走りを極めたスーパースポーツセダン「ダットサン・ブルーバード1600SSS」。サファリラリーを制したその実力とは【歴史に残るクルマと技術033】

大衆車として人気を獲得した日産自動車の初代(310型)「ブルーバード」登場の8年後、1967年に3代目(510型)ブルーバードがデビューした。歴代ブルーバードの中でも最も人気の高い3代目だが、なかでもスポーツモデルの「ブルーバード1600SSS」は、日本車初のサファリラリー総合優勝を飾るなど、ブルーバードの名を世界に轟かせた名車だ。
1967年にデビューした510型「ブルーバード1600SSS」

大衆車市場を開拓して大ヒットした初代(310型)ブルーバード

1950年代後半は「トヨペット・クラウン」に代表される純国産車が登場し始めた自動車黎明期。トヨタから1957年に初代「トヨペット・コロナ」がデビューし、それに対抗する形で1959年に日産の初代「ダットサン・ブルーバード」が誕生した。

初代ブルーバードは、セミモノコックボディの親しみやすい丸みを帯びた4ドアセダンで、パワートレインは1.0L&1.2L直4 OHVエンジンと3速MTの組み合わせで、駆動方式はFR。自家用車として家族が乗って楽しめる室内空間と優れた乗り心地が評価され、1カ月で8000台もバックオーダーを抱えるほどの人気を獲得した。

1959年に誕生した初代310型「ブルーバード」

翌年には、トヨタからライバル車の2代目「トヨペット・コロナ」がデビューし、市場を二分する熾烈な販売合戦、いわゆる「B(ブルーバード)C(コロナ)戦争」が勃発。それでも初代ブルーバードは、コロナを圧倒して連続64カ月間小型乗用車のトップに君臨したのだ。

スーパーソニックラインのボディが特徴の3代目(510型)ブルーバード

好調な初代ブルーバードに続いて、1963年に2代目(410型)がデビュー。初代のキープコンセプトで人気を博したが、ライバルのコロナの後塵を拝することになり、首位奪回にために1967年に登場したのが3代目だ。

3代目ブルーバードは“新しい時代の新しいセダン”のキャッチコピーでプラットフォームやエンジンなどを一新。ロングノーズ・ショートデッキに、高性能時代にふさわしいスーパーソニックラインと呼ばれるシャープなフォルムが特徴だった。

1967年にデビューした3代目「ブルーバード1300デラックス」

最高出力72PSを発揮する新開発の1.3L&1.6L直4 SOHCエンジンを搭載したFRレイアウトで、さらに当時としては先進の4輪独立サスペンションなどを採用していた。車両価格は、1.4Lセダンが52.5万円(2ドア)/62.4万円(4ドア)、1.6Lセダンが65.4万円(4ドア)。ちなみに当時の大卒初任給は3.1万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値では廉価なモデルでも約400万円に相当する。

そして注目されたのが、1.6L高性能エンジンを搭載した走りを極めたスポーツグレード「1600SSS」、SSS(スリーS)は“スーパー スポーツ セダン”の略だ。

人気を加速した1600SSS(スーパースポーツセダン)の登場

SSSシリーズが初めて登場したのは2代目ブルーバードである。1964年に1.3L直4 OHVツインキャブ・エンジンの「1300SS(スポーツセダン)」がデビューし、1966年にサファリラリーで日本車初のクラス優勝を果たした。さらに1965年には「1600SSS」が登場して国内レースで活躍した。

1966年サファリラリーでクラス優勝した「ブルーバード1300SS」

そして3代目で登場した1600SSSは、エンジンを前モデルの最高出力90PSの1.6L直4 OHV SUツインキャブ(R型)から、100PSを発生する1.6L直4 SOHC SUツインキャブ(L16型)に換装。最高速も160km/hから、3代目では165km/hに向上した。

1600SSSの車両価格は73.5万円で、現在の価値では約545万円に相当。一見ごく普通のセダンでありながら、優れた走りで多くの人を魅了した1600SSSは、3代目ブルーバードの人気を加速、2代目でコロナに奪われた小型乗用車の首位奪回に大きく貢献したのだ。

ブルーバード1600SSSが成し遂げたサファリ完全優勝

当時のサファリラリーは、東アフリカのケニアとウガンダの両国の約5000kmの悪路コースで行われる、当時最も過酷なレース。ここで優勝することは、市販車の実力の高さを実証することになるため、多くのメーカーが果敢にチャレンジした。

満を持して1600SSSが参戦した1970年の第18回サファリラリーは、雨に見舞われた悪条件で開催され、ライバルは、ポルシェ、フォード、プジョー、ボルボなど外国勢だった。レースは、ポルシェとの一騎打ちとなり、1600SSSはポルシェを追走する形で展開。1600SSSは、2位と3位でポルシェにプレッシャーをかけ、逃げるポルシェは逃げ切りを図るが、無理がたたったのかついにエンジンが焼き付きを起こした。

その結果、ブルーバードがトップを奪取、さらに2位と4位、7位も占めて念願の総合優勝、世界制覇を成し遂げた。その後も、日産はサファリラリーで1971年から2連勝と1979年から4連勝を飾るなどして、「ラリーの日産」の名声を獲得したのだ。

1971年サファリラリーの「ブルーバード1600SSS」

ブルーバード1600SSSが発売された1967年はどんな年?

1967年には、ブルーバード1600SSSの他に「トヨタ2000GT」や「センチュリー」、ホンダ「N360」、マツダ「コスモスポーツ」、日産「プリンス・ロイヤル」も登場した。

1967年にデビューした「トヨタ2000GT」

トヨタ2000GTは、ヤマハと共同開発し世界トップの性能を誇った日本初の本格スーパースポーツカー、センチュリーはトヨタを代表する4.0L V8エンジンを搭載した最高級乗用車。ホンダN360は4ストロークエンジンを搭載し大ヒットした高性能のFF軽乗用車、コスモスポーツは量産初のロータリーエンジン搭載車、プリンス・ロイヤルは6.4L V8エンジンを搭載した天皇陛下の御料車として製造された最高級乗用車だ。

1967年にデビューした世界初のロータリーエンジン搭載車のマツダ「コスモスポーツ」

その他、この年にはカラーTVの本放送が開始され、ラジオ番組「オールナイトニッポン」の放送が始まった。タカラの「リカちゃん人形」、森永製菓の「チョコフレーク」と「チョコボール」、人気マンガ「天才バカボン」、「ルパン3世」、「あしたのジョー」の連載が始まった。
また、ガソリン53円/L、ビール大瓶128円、コーヒー一杯77.5円、ラーメン132円、カレー126円、アンパン21円の時代だった。

世界ラリーを通して後れを取っていた日本車の優秀さを世界にアピールした「ブルーバード1600SSS」。スーパースポーツセダン(SSS)という称号が最も似合う、日本の歴史に残るクルマであることに間違いはない。

ダットサン・ブルーバード1600SSS 1967年
モデル名:P510
全長×全幅×全高:4120mm×1560mm×1400mm
車両重量:915kg
乗車定員:5名
車体:一体構造
前軸:ストラットボールジョイント式 後軸:半浮動式
ステアリング:リサーキュレーティングボール式
ダンパー:前 油圧式筒型複動式、後 油圧式筒型複動式
エンジン:水冷直列4気筒 OHC
気化器:2連横向可変ベンチュリー
排気量:1595cc
ボア×ストローク:83.0mm×73.7mm
最高出力:100ps/6000rpm
最大トルク:13.5kgm/4000mm
トランスミッション:4速MT
駆動方式:FR
最高速度:165km/h

トヨタが投入した最高級車「センチュリー」、ショーファーカー誕生とその名の由来は【歴史に残るクルマと技術】

トヨタは、世界に通用するショーファーカーを目指して、1967年に最高級車「センチュリー」を発売。2年前にデビューした日産自動車「プレジデント」の対抗馬として、当時の先進技術と贅を尽くしたセンチュリーは、その後も長く最高級車として君臨し、その特別仕様車「センチュリー・ロイヤル」は皇室専用の御料車として活躍している。

天皇陛下のために作られた御料車「日産・プリンスロイヤル」。日本初のリムジンのこだわりが凄い【歴史に残るクルマと技術032】

国産車初の御料車「日産・プリンスロイヤル」は、プリンス自動車によって開発・製造され、1967(昭和42)年2月に宮内庁に納入された。その数カ月前にプリンス自動車は日産自動車に吸収合併されたため、車名には「ニッサン」と「プリンス」の両方が冠された「日産・プリンスロイヤル」となった。以降、2008年までの約40年間2代の天皇陛下に愛用されたのだ。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…