プリンス自動車が残した最後の傑作、日産3代目「グロリア」は75.5万円~【今日は何の日?4月15日】

日産3代目「グロリア」
日産3代目「グロリア」
一年365日。毎日が何かの記念日である。本日4月15日は、プリンス自動車が開発した最後の「グロリア」3代目が誕生した日だ。プリンス自動車は、前年に日産自動車に吸収合併されたことから、発売時にはプリンスグロリアではなく、“日産「グロリア」”を名乗った。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・昭和40年代日本車のすべて、60年代日本車のすべて、新型セドリック/グロリアのすべて

■3代目グロリアはプリンス自動車最後の名車

日産3代目「グロリア」
日産3代目「グロリア」

1967(昭和42)年4月15日、日産自動車から3代目となる「グロリア」がデビューした。グロリアは、プリンス自動車がトヨタ「クラウン」に対抗するために投入した最高級車だが、3代目グロリアデビューの前年1966年にプリンス自動車が日産自動車に吸収合併されたため、この3代目がプリンス自動車開発最後のクルマとなった。

日産3代目「グロリア」
日産3代目「グロリア」

クラウンに対抗して投入されたプリンス自動車グロリア

初代プリンス・グロリア
1959年に誕生した初代プリンス・グロリア

1955年、本格的な純国産高級乗用車のトヨタ「トヨペット・クラウン」が誕生した。そのクラウンに対抗して富士精密工業(後のプリンス自動車)は、1959年2月に「グロリア」を発売、ここからグロリアの歴史が始まった。ちなみに、グロリアの車名は、当時の皇太子殿下(現、上皇陛下)のご成婚を記念し命名された。

初代「スカイライン」
1957年に誕生し、グロリアのベースとなった初代「スカイライン」

グロリアは、1957年にデビューした初代スカイライン「プリンス・スカイライン」をベースに大型化されたモデルである。スカイラインより、全長を100mm延ばした全長4380mm×全幅1765×全高1535mmの戦後初の3ナンバー規格の大型4ドア乗用車で、横目丸型4灯ヘッドライトにゴールデンベルラインとテールフィンが備わったアメ車風の堂々たるスタイリングが特徴だった。

初代プリンス・グロリア
1959年に誕生した初代プリンス・グロリア

サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン/コイル式、リアはド・ディオンアクスル/リーフ式を採用。パワートレインは、最高出力94ps/最大トルク15.6kgmを発揮する1.9L直4 SOHCエンジンと4速コラムMTの組み合わせ、駆動方式はFRで最高速度は140km/hに達した。

初代プリンス・グロリア
1959年に誕生した初代プリンス・グロリアのコクピット
初代プリンス・グロリアのカタログ
初代プリンス・グロリアのカタログ

また内装は、オールウールの西陣織の高級ベンチシート、前後席それぞれにアームレストが装備されるという豪華さだった。ちなみに、まだ合併前でライバル関係にあった日産は、1960年に「セドリック」を投入していた。

日産自動車がプリンス自動車を吸収合併

3代目「グロリア スーパー6」
1967年にデビューした3代目「グロリア スーパー6」

その後、グロリアは1962年に2代目に移行。1963年には、日本初のSOHCを採用した2.0L直6エンジン搭載の「スーパー6」が追加された。

初代プリンス・グロリア スーパー6 第2回日本グランプリ T-VIレース仕様
初代プリンス・グロリア スーパー6 第2回日本グランプリ T-VIレース仕様

ところが、1960年初頭に政府が1965年から乗用車の輸入自由化を実施するという、乗用車メーカーを震撼させるニュースが入ってきた。先進的な欧米車が輸入されるようになれば、当時まだ開発途上の日本の自動車メーカーが太刀打ちできる状況ではなかったのだ。これは、欧米メーカーと資本提携するか、国内の競合メーカーと合併するかという選択に迫られたようなものだった。

スーパー6の2L 直6エンジン
グロリアに設定されたスーパー6の2L 直6エンジン

このような条件下で、当時のプリンス自動車は、技術至上主義的な面があり、開発コストがかかりすぎたり、大衆車の開発が遅れるなどして経営は安定していなかった。そこでプリンス自動車は、日産との合併を申し入れ、1966年8月に日産自動車がプリンス自動車を吸収合併する形で新体制が発足した。

初代「セドリック」
1960年にデビューした縦目4灯が特徴の初代「セドリック」
初代「セドリック」
1960年にデビューした縦目4灯が特徴の初代「セドリック」

プリンス自動車が開発した最後のモデル3代目グロリア

合併した時点で、名門のプリンス自動車の名前は消滅したのだが、量産まで最終段階となっていた3代目グロリアについては、基本的にはデザインはそのままで、開発の主導は旧プリンスのエンジニアが担当。機能面については極力日産車との共用化を進めることになった。

日産3代目「グロリア」
日産3代目「グロリア」
3代目グロリアのリアビュー
3代目グロリアのリアビュー

そして、1967年4月のこの日、3代目グロリアは日産「グロリア」と名乗ってデビューした。3代目グロリアで注目されたのは、まずそのスタイリングだ。1966年に発表された天皇の御料車「日産プリンス・ロイヤル」をイメージしており、上品な直線基調のボディラインに縦目丸型4灯のヘッドライトとリアコンビランプが特徴だった。

3代目グロリア・スーパーデラックス。右上はスーパー6のコクピット
3代目グロリア・スーパーデラックス。右上はスーパー6のコクピット

日産の影響で、リアサスペンションがそれまでのド・ディオンアクスルからセドリックと共通のリーフリジッドに変更され、エンジンはプリンス製の105ps/16.0kgmの2.0L直6 SOHCとともに、標準仕様には日産製の92ps/16.0kgmの2.0L直4 OHVが搭載された。また内装についても、多くの装備がセドリックと共用化された。

車両価格は、標準グレードが75.5万円/スーパー6が101.5万円、スーパーデラックスは111.0万円に設定。当時の大卒初任給は、3.2万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約543万円/730万円/798万円に相当する。

3代目「セドリック(セダン)」
1971年にデビューした3代目「セドリック(セダン)」。この世代からグロリアと兄弟車となった
4代目「グロリア(ハードトップ)」
1971年にデビューした4代目「グロリア(ハードトップ)」。この世代から「セドリック」の兄弟車となった

1971年2月には、3代目セドリックと4代目グロリアのモデルチェンジを機に両モデルは兄弟車になり、新たなスタートを切った。1960年代まで、単独ではなかなかクラウンに敵わなかったが、1970年代からは連合軍でクラウンに挑み、一気に販売を伸ばしていったのだ。

初代「フーガ」
「セドリック/グロリア」の後継車として2004年に登場した初代「フーガ」
初代「フーガ」
「セドリック/グロリア」の後継車として2004年に登場した初代「フーガ」

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兄弟車になって以降は、クラウンとともにセドリック/グロリアは高級車市場を2分したが、2004年に10代目セドリック/11代目グロリアは生産を終えて「フーガ」にバトンタッチ、これでセドリック/グロリアは歴史の幕を下ろした。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…