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『IKURA’s アメリカンフェスティバル 2024』に
エントリーしていたマッスルカーを一気に紹介!!
2024年7月28日(日)、静岡県の富士スピードウェイで開催された『IKURA’s アメリカンフェスティバル 2024』(以下、IAF)には、HOTROD(ホットロッド)、LOWRIDER(ローライダー)、フルサイズセダン、SUV、PICKUP TRUCK(ピックアップトラック)、STREET VAN(バニング)など、メーカーや年式、車種を問わず様々なアメ車が全国から集結した。そんなエントリー車の中でも参加台数が多く、会場の注目を集めていたのがMUSCLE CAR(マッスルカー)だ。
MUSCLE CARとは、国や時代、人によって定義に若干のゆらぎがあるが、1960~70年代前半にかけて相次いで登場した大排気量・高出力のV8エンジンを心臓に持つ、後輪駆動のアメリカ製2ドアクーペのことだ。また、5代目以降のフォード・マスタングや3代目ダッジ・チャレンジャー、5~6代目シボレー ・カマロのように往年の人気車を21世紀にリバイバルしたマシンも近年ではMUSCLE CARと見做されるようになっている。
長距離ドライブを得意とするGTカー的な性格を持ちながら、アクセルをひと踏みすれば野獣のような咆哮を上げ、大排気量のV8 OHVエンジンから発せられる強力なトルクにより重いボディを暴力的に加速させる。直線上の瞬間的な加速はスーパーカーのそれさえ凌駕するほどだ。少なくとも加速時の迫力という点ではMUSCLE CARに軍配が上がる。
日本車の日本刀、欧州車のサーベルのような切れ味の鋭さとはまた違う、バトルアクス(戦斧)のように重い一撃で対象を粉砕するようなイメージ……それこそがMUSCLE CARの魅力だ。そんな得難い個性を持つMUSCLE CARは、世界中に熱烈なファンを持ち、ここ日本でもハリウッド映画やTVゲーム、海外ドラマなどでの活躍から人気がある。今回はIAFにエントリーしたMUSCLE CARを紹介しよう。
アメリカンマッスルカー in『IKURA’sアメリカンフェスティバル2024』
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第二次世界大戦後、ヨーロッパ戦線に従軍していた裕福な家庭の子弟が持ち込んだスポーツカーがにわかにアメリカでブームになると、GMはこれに対抗すべく「プロジェクト・オペル」(GMグループのドイツ企業に因む)のコードネームでアメリカ製スポーツカー開発計画がスタートした。このプロジェクトの中心人物は、GMのデザイン部門責任者だったハリー・アールで、彼の主導により2シーターオープンカーとして開発が進められた。こうして1953年に誕生したのがコルベット (C1)で、アール好みのコークボトルラインとテールフィンを持つコンパクトなロードスターとして完成した。しかし、肝心のパワーユニットは改良型とは言え、最高出力150hpの235cu-in(3.9L)「ブルーフレーム 」直6 OHVだった。スポーツカーを名乗るには動力性能が不足としており、翌1955年からはシボレー開発部門責任者のエド・コールの監督下、若きエンジニアのゾーラ・アーカス・ダントフがトライシェビーに搭載されるのと同じ265cu-in(4.3L)「ターボファイア」V8 OHVが積めるように狭いエンジンベイを改修したことで、追加オプションとしてV8が選べるようになった。写真の素晴らしいコンディションのC1にどちらのエンジンが積まれているのかは、エンジンルームを覗けなかったため不明。1956年にC1は大掛かりなマイナーチェンジを受ける。
3度目のマイナーチェンジを受けた後のシボレー コルベット(C1)。レーシングモディファイが施されており、グリルがメッシュタイプに置き換えられ、モール類もストリップされているので正確な年式はわからないが、4灯ヘッドライトとリヤフェンダー上のテールランプから1958~1960年型のいずれかだとわかる。C1型コルベットは毎年内外装の意匠を変更しており、大別すると1953~57年型(前期型)、1958~1960年型(中期型)、1961~1962年型(後期型)に大別される。
1962年8月に1963年型としてフルモデルチェンジを迎えたコルベットC2は、1961年に発表されたラリー・シノダによるコンセプトカー「XP-755マコ・シャークI」の市販馬バージョンともいえるクルマで、ラリー・シノダ、ビル・ミッチェル、ゾーラ・アーカス・ダントフが中心となって開発された。写真の車両は1965年型で、1963年型までにあったカウルフード上のエアインテークがなく、フロントフェンダー側面のエアスクープが上下2連から前後3連に変わり、ロッカーパネルモールディングと内装トリムの意匠変更が識別点となる。
コルベットの第3世代に当たるC3が登場したのは、1967年8月(1968年型)のこと。その大胆かつグラマラスなボディは、ラリー・シノダが手掛けたコンセプトカー「マコ・シャークII」がモデルになっている。前後のバンパーがウレタン製に変わるのは1973年型からで、それ以前のモデルは「アイアンバンパー」の愛称からもわかる通り、クロームメッキが施されたスチール製バンパーとなる。シャシーやサスペンションなどは基本的にC2のものを踏襲しており、1971年型のパワーユニットはLT~1型350cu-in(5.7L)V8OHVを標準として、LS5とLS6の454cu-in(7.4L)V8OHVのビックブロックエンジンを選ぶこともできた。
市場を席巻していたフォード・マスタングに対抗するためGMシボレー・ディビジョンが1966年9月にニューモデルとして発表したのがシボレー・カマロだ。その第1世代に当たるモデルが1967~1969年型で、この頃のアメリカ車はイヤーモデル制により、毎年のマイナーチェンジが珍しくはなく、第1世代カマロも年式によって内外装のディティールが異なる上、豊富なオプションが用意され、また12種類のエンジンと3種類のトランスミッションの設定からあり、ユーザーは好みと使用目的に応じて好みのスタイルを選ぶことができた。1969年型の基本的なメカニズムは1968年型のキャリーオーバーとなるが、カウルフード、ルーフ、トランクリッドを除くボディ外板は一新され、よりワイドなスタイリングとなった。それに併せてフロントグリルはシャープなV字型となり、ヘッドランプはより深く埋め込まれている。なお、写真の車両は350cu-in(5.7L)V8 OHVエンジンとアップグレードシャシーで構成されたSSパフォーマンスパッケージをチョイスしているようで、ヘッドランプはコンシールドタイプとなることから同時にRS (ラリー・スポーツ)パッケージを選択した車両のようだ。
同じく1969年型シボレー ・カマロSS・2ドアHT。こちらはコンシールドヘッドランプではなく、通常の2灯式ヘッドランプの車両。エンジンは350cu-in(5.7L)V8 OHVエンジンを搭載する。
1964~1977年にかけてシボレーで販売されたインターミディエイト(中型車)。シボレーの主力車種ということでクーペ、セダン、コンバーチブル、ステーションワゴンとバリエーションは豊富で、UTE (クーペユーティリティ:クーペスタイルのピックアップトラック)のエルカミーノは姉妹車となる。写真の車両はシリーズの中でももっともスポーティなルックスを採用した第2世代のシェベルで、年式は1969年型となる。この世代のシェベルには396cu-in(6.5L)V8 OHVや427cu-in(7L)V8 OHVなどのビッグブロックの設定もあったが、写真の車両は標準エンジンの350cu-in(5.7L)V8 OHVを搭載しているようだ。鮮やかなライトブルーのボディはコンディションが良く、バランス良くローダウンした実に美しいマシンだ。
1962~1979年と1985~1988年にかけて生産されたシボレーのコンパクトカー(1980年代のノヴァはトヨタ・スプリンターのOEMによるバジェットカー)。比較的安価で取り扱いやすいサイズ、豊富なボディバリエーションを持ち、ドライビングプレジャーに優れた優秀な大衆車ということもあり、1968年まではシボレーディビジョンで最も売れたクルマだった。デビュー当初は経済性に優れた直4や直6エンジンの設定しかなったノヴァだったが、スピードマニアたちはノヴァの軽量設計と素性の良さを早くから見抜いており、ストリートレースやドラッグレースで使用するためスモールブロックV8へとエンジンをスワップするのが流行するようになる。1964年に新型シェベルの登場により売上が減少すると、販売のカンフル剤として283cu-in(4.3L)V8 OHVが選べるようになる。そして、翌1965年には最高出力300hpを叩き出す327cu-in(5.4L)V8の心臓を持つノヴァSSが登場。これにより経済的なコンパクトカーがマッスルカーに変身した瞬間だった。写真のノヴァはノヴァとしては第2世代に当たる1967年型で、パフォーマンスアップのためエンジンや足廻りなどに手が加えていた。オリーブドラブメタリックのボディが只者ではない雰囲気を醸し出している。
1970~1983年にかけて生産された第2世代のファイアーバードには、ベースグレードのファイアーバード以外にも、同エスプリ、同フォーミュラー、同トランザムの4つのグレードが用意されていた。トランザムはシリーズ最強のモデルで、最高出力の異なる335hp (L74ラムエアIII400)と345hp (L74ラムエアⅣ400)の2種類の400cu-in(6.6L)V8 OHV、1971年からは455cu-in(7.5L)V8 OHVを選ぶことができた。このエンジンはシボレーのスモール&ビッグブロックとは別系統の独立したシリーズで、ラムエアⅣと455エンジンはトランザム専用エンジンとなる。写真の1973年型トランザムはデザインを一新したノーズバード(カウルフードに描かれたグラフィック)が一新され、その下に備わるパワーユニットにはNASCAR用エンジンのコンポーネントを利用したシリーズ最強のスーパーデューティ455を選べた。このエンジンは500hp以上の最高出力を発揮することが可能であったが、「300hp以上の市販車を販売することは認められない」との環境保護庁からの横槍が入り、最終的に290hpに出力を抑えられることになったが、実際には371hpを発揮していたという。さらにはわずかな改造で500hp以上の出力に戻すことが可能であった。このエンジンはポンティアックのスポーツエンジンの最終形態であり、同時に最後のマッスルカー用エンジンとなった。
高性能化・高級化に伴い年々新車価格が高くなったMUSCLE CARを、本来のターゲットユーザーである若者たちでも手が届くようにと、1968年にインターミディエイトのベルヴェディアGTXをベースに装備を大幅に簡素化し、その代わりにエンジンは標準で335hpを叩き出す383(6.3L)SUPER COMMANDが奢られた(写真の車両はオプションの440 6パックを搭載する)。3000ドル以下で高性能車が買えるということで若者たちは色めき立ち、発売後の1年間で5000台以上を販売する大ヒットモデルとなる。なお、ロードランナーの名前はワーナー・ブラザースとの提携により、人気アニメ『ルーニー・テューンズ』からフルスピードで弾より速く走る「ロードランナー」(オオミチバシリ)のキャラクターから命名された。ボディサイドやホーンボタンなど車両の各部にロードランナーがあしらわれており、クラクションもアニメキャラの「ミッミッ(Beep Beep)」という鳴き声を再現している。
活況を呈していたポニーカー市場に参入すべく、1970年にクライスラーのダッジディビジョンから発売されたのがチャレンジャーだ。プリムス・バラクーダのEボディ・プラットフォームをもとにホイールベースを延長し、外装を薄板ボディ化して開発された。パワーユニットは複数用意され、シリーズ最強のパワーユニットは、チャレンジャーの高性能バージョンであるR/T(ロード&トラック)にオプションとして用意された440cu-in(7.2L) 6パックだ。これは3連装2バレルキャブレターのうち、通常は1基だけが機能し、全開時には2基すべてが機能するというもの。レーシングユニットの426HEMIに対して常用域での性能に遜色はなく、扱いやすさという点ではこちらが上だった。最高出力は390hpを発揮する。
2006年のデトロイトモーターショー で発表され、2008年4月から販売を開始したのが3代目ダッジ ・チャレンジャーだ。クライスラー300Cやダッジ ・マグナムなどにも採用されるメルセデス・ベンツ由来の後輪駆動用プラットフォームの「LXプラットフォーム」を採用し、1970年に登場した初代チャレンジャーを彷彿とさせるボディを組み合わせた。パワーユニットは3.5~3.6L V6のほか、伝統の5.7~6.4L V8 OHV HEMIが搭載される。
チャレンジャーを大胆にカスタマイズ。M&M’Sカラーにボディをラッピングし、シザーズドア化している。