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■日産が誇る最高級車「プレジデント」が3代目にモデルチェンジ
1990(平成2)年10月24日、1965年に誕生した日産自動車の最高級車「プレジデント」が2回目のモデルチェンジを行い3代目が登場した。3代目は、それまでの専用設計でなく、「インフィニティQ45」のホイールベースを伸ばして大型化と高級化を図った。
国産ショーファーカーの元祖プレジデント誕生
1960年代は日本のモータリゼーションが幕開け、クルマは一般庶民にも手の届く存在となり、一方で政治家や会社幹部などを送迎する世界に通用する純国産ショーファーカーの登場が期待された。
それに最初に応えたのは日産であり、まず1963年にセドリックベースの大型高級車「セドリックスペシャル」を発売。さらに、1965年には国産車最大のボディと大排気量エンジンを搭載した最高級車「プレジデント」を投入した。
プレジデントのボディサイズは、全長5045mm/全幅1795mm/全高1460mm。エンジンは、最高出力180ps/最大トルク32kgmを発揮する4.0L V8 OHVエンジンと、130ps/24kgmの3.0L直6 OHVエンジンの2種が搭載された。
スタイリングは、当時のアメリカ車のような直線基調をベースとし、インテリアについては室内全体に張り巡らせたソフトパッドや多くの快適装備で高級感をアピールした。最高グレードの車両価格は、当時としては破格の300万円(現在なら約3000万円相当)だった。日本初の本格ショーファーカーは、さっそく当時の佐藤栄作首相や官公庁、大企業の専用車として使用された。
トヨタからライバルのセンチュリーが登場
プレジデントから遅れること2年、1967年にトヨタからライバルとなる「センチュリー」がデビューした。
ボディサイズは、4980mm/全幅1890mm/全高1450mmで、宇治平等院の鳳凰をモチーフにしたエンブレムや独特のボディカラーを採用して、プレジデントに負けない高級感と重厚感をアピール。エンジンは、最高出力150ps/最大トルク24.0kgmを発揮する3.0L V8 OHVで、性能や乗り心地、居住性などトヨタの技術の粋を結集した最高級車だった。
当初は先行して発売されたプレジデントの方が、センチュリーよりも販売を伸ばしたが、センチュリーは1973年にエンジンを3.4Lに、1982年には4.0Lに拡大、さらにロングボディを追加するなどして、1980年代にはセンチュリーはプレジデントを上回る販売を記録するようになった。
Q45をベースに大型化・高級化を実現した3代目プレジデント
一方、プレジデントは1973年に2代目に移行し、排気量を拡大した4.4L V8 OHVと3.0L直6 OHVを搭載して、さらに上級化をさらに追及した。
そして、1990年には3代目に移行。3代目プレジデントは、専用設計を止めて前年に北米市場向けの高級車ブランドとして米国で設立されたインフィニティのフラッグシップ「Q45」をベースにした。Q45の全長とホイールベースを150mm伸ばし、重厚感のある大型フロントグリル、七宝焼きのオーナメントなどを備えた最高級車として仕上げられた。
全長5225mm/全幅1830mm/全高1435mmの堂々たるボディに、エンジンは当時インフィニティで販売されていたQ45搭載を専用チューニングした270ps/40.2kgmの4.5L V型8気筒DOHCが搭載された。また、運転席SRSエアバッグやABS、トラクションコントロールが標準装備され、快適装備としてデュアルエアコンや後席パワーシート、クルーズコントロールなど日産の最新技術が盛り込まれた。
車両価格は、標準グレードが860万円。当時の大卒初任給は、17万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算で現在の価値で約1164万円に相当する。
その後、2003年に最終モデルとなる4代目が登場。シーマと同じコンポーネントを利用した最上級モデルだったが、当時日産が進めていたラインナップの整理によって2010年に生産を終えることになった。
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日本を代表するショーファーカーとして長くライバル関係にあったプレジデントとセンチュリー。センチュリーが今もフラッグシップとして君臨するのに対し、プレジデントは3代目から専用設計を止めて迷走し始めた。しかし、おかげでプレジデントという大看板の特別感が消え、名前も消えてしまったのだ。
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