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アルファロメオはフィアット&アバルト500シリーズに次ぐエントリー台数
栃木県足利市駒場町にある栗田美術館大駐車場を会場として、2024年10月27日(日)に『足利モーターフェス2024』が開催された。このイベントは昨年までのイタリア車&フランス車を中心にした『足利ミーティング2023』が、生産国や年式を問わないオールジャンル参加可能なカーイベントへと発展したものだ。
前身の『足利ミーティング』が足利市内にある「アバルトカフェ」こと『Cafe-lien』の常連客を中心にしてはじまったこともあり、参加車両の中でもっとも台数が多いのがフィアット500&アバルト500/595/695シリーズだったが、ほかに日本車、アメリカ車、イギリス車、ドイツ車などのエントリーもあった。今回はフィアット&アバルトに次ぐエントリー数となったアルファロメオを語って行きたい。
超高級車メーカーから高性能量産車メーカーへの転身
新車販売台数の世界的な減少に伴い最近でこそちょっと元気のないアルファロメオだが、戦前には今日のフェラーリに匹敵するような超高級GT&スポーツカーメーカーであった。第二次世界大戦後に量産車メーカーに転身してからは、初代ジュリエッタや初代ジュリア、スパイダー、アルフェッタなどの名車の数々を生み出し、アルフィスタと呼ばれる世界中に熱狂的なファンを生み出してきた。
しかし、その歴史を振り返れば、アルファロメオほど順風満帆という言葉から程遠いメーカーはないだろう。
世界恐慌に端を発する経営難とファシスト政権の圧力により1933年に国営化を余儀なくされたことから、アルファロメオの苦難と不幸の歴史は始まった。第二次世界大戦では欧州全土が戦災によって疲弊したことによって、戦後は得意としていた高級車市場が縮小。このジャンルからの撤退を余儀なくされる。
1950年に発表された1900シリーズによって心機一転、これまでに培ってきた技術を生かした高性能量産車メーカーへと転身する。だが、そこは国営企業の哀しさ、1960年代末にイタリア政府からの要請でイタリア南部の雇用創出と経済格差是正のため、進出したくもないナポリ近郊に進出し、建てたくもない工場を建てるはめになった。
つまりは経営よりも国策を優先せざるを得なくなったわけだ。
案の定、同工場で生産されるアルファスッドは、傑出した設計のFWD小型車であったにもかかわらず、未熟で労働意欲の低い南イタリアの労働者と低品質なソ連製の鋼板が原因で、故障が多く「錆びるのではなく溶ける」と言われるほど腐食に弱いという欠点が顕となり、ユーザーから散々な評価を受けることになる。
その結果、イタリア南部の工場は業績拡大につながるどころか、お荷物となってアルファロメオの経営に深刻な影響を与えることになったのだ。
だが、アルファロメオの苦難は国策によるものばかりが原因ではなかった。
1972年に発表されたアルフェッタは、世界的なヒット作のジュリアシリーズの後継車として誕生。対地キャンパー変化の少なさと路面追随性、乗り心地を両立したド・ディオン・アクスルをリヤサスペンションに採用し、トランスミッションとリヤデフを一体化したトランスアクスル、バネ下重量軽減に繋がるインボードブレーキの採用など、良好なハンドリングと広い車内空間、優れた乗り心地の両立という理想を追求して凝りに凝った設計を採用していた。
だが、このことが災いして、初期モデルは機械的な信頼性の不足から不具合が多発。さらにスッドと同じく防錆の不十分さから販売に暗い影を落とす。さらに1970年代からの排ガス規制への対応、イタリア国内で相次いだ労働争議により、ついには経営が抜き差しならない状態まで悪化する。そして、1986年にかつてのライバルだったフィアット傘下に収まるまで、いつ倒産してもおかしくないまでに経営が逼迫することになってしまった。
フィアット傘下で156や147が世界的にヒット!
アルファロメオは完全復活を遂げたかに見えたが……
1990年代に入り、得意としていたFR車を涙を飲んで封印したアルファロメオだったが、フィアットの支援もあり、155、145/146、GTV/スパイダーと相次いで魅力的なモデルを市場に投入。
1998年にデビューした156は美しいスタイリングと官能的なエンジンが評価され、アルファロメオ初のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、世界的なベストセラーとなった。そして、2001年には156の妹分に当たる147も同賞を受賞。アルファロメオはここに完全復活を遂げた……かに見えた。
しかし、156後継の159はオペルのプラットフォームとメカニズムを流用したことがマイナスに響いたか、それとも大幅なサイズアップが市場から嫌われたのか、あるいはドイツの血が混じったことが悪かったのか、いずれの理由によるものかは定かではないのだが、クルマ自体は評価が高かったにも販売は今ひとつに終わった。
3代目ジュリエッタと言うスマッシュヒットはあったものの、ここからアルファロメオは再び元気を失ってしまう。とくに156が好調だった日本ではその傾向が顕著だった。
159の後継として2016年に誕生した2代目ジュリアは、久しぶりのアルファロメオの量産FRセダンということで、BMW3シリーズを性能的に凌駕する走りとスタイリングの美しさにこだわった傑作車だった。
ところが、昨今の世界的SUVブームに加えて「環境保護」を錦の御旗に、BHV技術で先行する日本車の欧州市場からの締め出しを画策した欧州議会は、実現可能性のほとんどない内燃機関全廃・BEVへの移行政策を推進した。その影響を受けて純然たる内燃機関車のジュリアは登場時から逆風に晒されることになる。結果、商業的な失敗とまでは言えないが、アルファロメオが望んだほどのヒットには恵まれず現在に至る。
このジュリアの予想外の苦戦により、アルファロメオの商品戦略は大幅に狂った。当時の親会社だったFCAは2022年までにアルファロメオから6車種のニューモデルを発表するとアナウンスしていた。その中にはジュリア派生のクーペやFR化が予定されていたジュリエッタ後継車も含まれていたが、結局それらのほとんどはキャンセルされてしまった。
結局、ジュリア以降にデビューを果たしたのはSUVのステルビオとトナーレだけ。しかも、高性能GTやスポーツセダン、スポーツカーを売りにして名門アルファロメオがよりにもよって流行商品のSUVを出すとは……。
美と走りを追求し、モータースポーツを愛する
“イタリア”を体現したメーカー
輝かしい歴史と伝統を持ち、さまざまな名車を世に送り出してきたアルファロメオだが、昨今は量産車のラインナップがわずか3車種と少なく、販売面でも好調とはけっして言えない。それでも日本を含め世界中に大勢のファンが見捨てることなく、あいも変わらず熱い支持を続けているのは、アルファロメオがクルマを愛する人々によって創建され、自分たちが恋い焦がれるクルマだけを作り続けてきたからだ。
そして、それはクルマ好きのためのクルマでもあるということだ。こうした会社の成り立ち故に、アルファロメオは創立以来、モータースポーツとは切っても切れない関係にあった。そして、レースにかける熱情は、赤字続きでいつ倒産してもおかしくない時期でもレースに参加し続け、決して参戦を諦めなかったというのだから疑う余地なく本物なのである。
もちろん、優勝劣敗がモータースポーツの常だ。アルファロメオとていつも勝ち続けていたわけではない。それでもアルファロメオがアルファロメオである以上、イタリアのナショナルカラーである真紅で塗られた縦型グリルのマシンが、サーキットに姿を見せないわけにはいかなかったのだ。
日本ではイタリア車というとフェラーリをイメージする人が多いだろう。たしかに、F1イタリアGPが開催されるとイタリア全土からティフォシが押し寄せ、モンツァサーキットの観客席は赤一色に染まる。だが、これはF1という檜舞台で世界を相手に戦うイタリア代表を応援するものであって、一般のイタリア人にとっては実生活とは隔絶されたスーパースターに憧れの眼差しを向けつつ声援を送るようなものだ。それに対してアルファロメオは「自分がステアリングを握る」ということを含めてもっと身近な存在なのである。
かつては超高級車を製造していたという貴族を思わせる高貴な出自でありながら、大衆車メーカーに身を窶して糊口をしのぐ姿は諸行無常の響きありといった趣があり、没落貴族にも似た侘び寂びのようなものを感じさせる。それでいて貧すれど鈍せずで、かつての栄華を極めし頃に培われたのであろう「美」を求める感覚と、「走り」のための情熱と技術は希求する精神は依然として失われてはいないと感じる。
そんなアルファロメオの姿は、栄華を誇った地中海世界の覇者・古代ローマ帝国を祖先に持ちながら現代では先進国の中で後塵を拝してもなお「美」や「スピード」という特定の分野でいまだに光り輝き、存在感を示すイタリアとどこか被って見える。
故にイタリア人は「フェラーリは外国人が考える“イタリア的なもの”を具現化して海外で(高値で)販売するクルマ。私たちが愛している本物のイタリアはアルファロメオにこそある」と語るのだ。
ガソリンで走るのではない!熱い情熱を燃やして走るのだ!
アルファロメオは「真のクルマ好き」が乗るクルマ?
「アルファロメオはガソリンで走るのではない。熱い情熱を燃やして走るのだ」と熱烈なアルフィスタたちが語るとおり、アルファロメオは熱い魂を感じさせてくれる。ステアリングを握り、走り出せばエンジンは生き物のような雄叫びを上げ、人馬一体となってともにハイスピードで駆け抜ける。その際にクルマからはドライバーの語感を刺激しつつ、「もっと走れ、もっとスピードを!」と血の通った生き物のように熱く訴えかけてくるのだ。
アルファロメオを運転する快楽にハマってしまうと、すっかり虜になって、ほかのクルマの存在など眼中になくなり、アルファロメオのない生活など考えられなくなってしまうのだ。そして寝ても覚めても常にアルファロメオのことが頭から離れなくなってしまうのだろう。
今回の『足利モーターフェス2024』には、そんなアルファロメオに身も心も捧げた生粋のアルフィスタが多数参集していた。エントリーしていた車両も1960年代の1750GTVから最新型のジュリアまで幅広い。1967年型1300GTジュニアを愛用するひとりのアルフィスタとしては、同好の志がこれだけ集まったことを嬉しく思う。
イギリスの人気自動車番組『TOP GEAR』の司会を努めたモータージャーナリストのジェレミー・クラークソンは「愛車遍歴にアルファロメオが入っていない人をクルマ好きとは呼ばない」と語っている。この30年、必ず1台はアルファロメオを所有し続けてきた筆者も、この言葉に100%同意する。
この先、アルファロメオにどのような運命が待ち受けているかは定かではない。きっとその道程はこれまで以上に苦しいものになるだろう。ひょっとしたら近い将来、電動化によってその個性と魅力を完全に失ってしまうのかもしれない。だが、中古車にまで目を向ければ過去に作られた名車の数々が存在するし、アルファロメオのディーラーに行けば、ジュリアを始めとした魅力的なクルマをまだまだ新車で買うことができる。アルファロメオ手に入れてジェレミー・クラークソン曰くの「真のクルマ好き」になってみては如何だろうか?