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■ランサーの派生車としてデビューしたファストバッククーペ
1975(昭和50)年3月1日、三菱自動車からコンパクトクーペ「ギャランクーペFTO」の実質的な後継である「ランサー・セレステ」がデビューした。セレステは、1973年に登場した初代「ランサー」の派生車で、ベースのランサーとは全く異なるスポーティなスタイリングが注目を集めた。

セレステの前身はギャランGTOの弟分FTO

ランサー・セレステは、1970年にデビューしたスペシャリティカー「ギャランGTO」の弟分にあたるコンパクトクーペ「ギャランクーペFTO(1973年~)」の実質的な後継車である。比較的高価なGTOに対して、FTOは安価でより若い層をターゲットにしたクーペという位置付けだった。

スタイリングは、ワイド&ローのダイナミックなファストバックとノッチバックをミックスさせたコンパクトな2ドアクーペスタイルを採用。インテリアについても、4連メーターのインパネや3本スポークステアリング、バケットシートなどでスポーティさをアピールした。

パワートレインは、1.4L直4 OHVのシングルキャブ&ツインキャブ仕様のエンジンと4速MTの組み合わせ。走りを強調したハイグレード「1600GSR」には、高出力対応に応えて最高出力110psの新世代1.6L SOHCエンジンが搭載された。
比較的手頃な価格で入手できたFTOだったが、GTOの弟分というイメージが強いためGTOほど注目されずに、後継車であるランサー・セレステの登場とともに1975年に生産を終了した。
スタイリッシュなクーペ、セレステだったが1代限りで終焉

ランサー・セレステは、初代ランサーの派生車として基本コンポーネントを流用して、1975年3月のこの日にデビューした。

スタイリングは、丸目2灯に大きなリアゲートを持つ2ドアファストバックのスポーティなクーペスタイル。一方で、リアゲートを開けると広い荷室があり、リアシートを前に倒すと室内後部にカーペット張りの広いスペースが生まれるなど、実用性も考慮されていた。

パワートレインは、最高出力92psを発揮する1.4L&100psの1.6L直4 SOHCのシングルキャブ仕様と110psのツインキャブ仕様のエンジン、そして92psの昭和50年排ガス規制に適合したMCAシステムを採用した1.6L直4 SOHCエンジンの4種エンジンと4速および5速MTの組み合わせ、駆動方式はFR。MCAシステムは、サーマルリアクタ(排気ガス再燃焼装置)とEGRを組み合わせたクリーン排ガスシステムの総称である。

車両価格は、1.6L標準グレードが86.7万円、トップグレードのツインキャブ仕様1600GSRが96.7万円、MCAクリーン排ガスシステム搭載モデルが93.7万円に設定。当時の大卒初任給は8.4万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で標準グレードが237万円、1600GSRが265万円に相当する。
スタイリッシュなデザインと鮮やかなボディ色が若者の注目を集めたが、1台限りで1982年に生産を終えた。

排ガス規制強化に苦しんだセレステ

セレステは、デビューから8ヶ月後の1975年11月には、全車が昭和51年排出ガス規制に適合した。しかし、排ガス規制をクリアするために最高出力は、1.4Lエンジンが92ps→85ps、1.6Lシングルキャブ100ps→92ps、1.6Lツインキャブ110ps→100psへと低下してしまった。
当時、セレステも含めこの時期に登場した多くのクルマは、厳しい排ガス規制対応に苦しみ、コストが上がって出力と燃費が低下する傾向にあった。
厳しい排ガス規制が段階的に強化された最中に登場したセレステは、前身にあたる排ガス規制の緩やかな時代に登場して俊足ぶりが評価されたFTOに較べると、パワー不足は否めず、人気が今一歩盛り上がらなかった要因のひとつだった。

その後、三菱は1977年に“MCA-JET”と名付けた新しい燃焼方式を開発し、当時世界で最も厳しい排ガス規制昭和53年排ガス規制をクリアした。MCA-JETとは、ジェットバルブと呼ばれる小さな第2の吸気弁から吸入される空気または薄い混合気でシリンダー内に強力なスワールを発生させて燃焼を活性化し、排ガスを低減する燃焼方式だ。
他のメーカーも独自の排ガス低減手法を開発して、1970年代の世界一厳しかった排ガス規制を乗り越えたのだ。
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1970年代は排ガス強化に加えて1973年にはオイルショックに見舞われ、自動車メーカーは排ガス低減と燃費低減を最優先課題とすることを強いられた。セレステのシャープなスタイリングは今見ても秀逸だと思うが、この大きな荒波の中で船出したセレステは不運だった。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。