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■排気量を360ccから500ccに拡大したミニカ5
1976(昭和51)年4月12日、三自動車は3代目ミニカ「ミニカF4」のマイナーチェンジで同年1月に施行された軽の新規格に対応した「ミニカ5」を発売した。軽自動車の規格改正“排気量360→550cc化とボディサイズ拡大”に排気量500ccながら、他社に先行して対応したのがミニカ5だった。

ミニカは、三菱における軽の歴史を作った基幹モデル

ミニカは、1962年10月に前年発売の軽商用車ライトバン「三菱360」をベースに、三菱初の軽乗用車として誕生した。その後、2011年まで8代50年近く販売された三菱を代表する軽の基幹モデルである。

初代ミニカは、モノコックに近い構造で、エンジンなどのドライブトレインが数本のボルトを緩めるだけで簡単に脱着できる、進歩的な構造を採用していた。ライトバンの三菱360のBピラーまではそのまま流用し、ルーフ後半部分をノッチバックに変更して3ボックスセダンに仕立てた。その結果、軽としては最大のトランクスペースを持っていたこともミニカの大きなアピールポイントだった。


パワートレインは、最高出力17ps/最大トルク2.8kgmを発揮する360cc直2空冷OHV 2ストロークエンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式は当時多くの軽が採用していたRRではなく、オーソドックスなFRを採用。最高速度は86km/h、価格は38.5万円だった。

1969年に初めてのモデルチェンジで登場したのが、スタイリッシュに変貌した2代目「ミニカ70」で、最高出力26psの空冷エンジンに、28psの水冷エンジンも加わった。このミニカ70の派生モデルとして登場して、若者から人気を獲得したクーペが「ミニカスキッパー」である。




水冷4ストロークエンジンに変わった3代目ミニカF4
1970年代に入って世界規模で起こったオイルショックや排ガス規制強化は、軽自動車にも重くのしかかってきた。各メーカーは、低燃費と排ガス低減を実現するために、それまでの安価でコンパクトな空冷2ストロークエンジンから水冷4ストロークエンジンに切り替えた。

三菱も、1972年にモデルチェンジした3代目「ミニカF4」では、エンジンを水冷4ストロークエンジンに換装。F4の“4“は、”Four Cycle、Fresh、Family“のイニシャルと4人乗りの4を組み合わせたものとされている。

フルモノコックボディのミニカF4は、ハッチガラス付き3ドアの乗員4名で、先代のミニカ70の直線基調の角ばったスタイリングから、曲面を多用した乗用車風のスタイリングに変貌した。室内も、3連メーターやセンターコンソール、セミバケットタイプのシートなど、小型車にも負けない贅沢な装備が施された。

パワートレインは、最大出力32psの360cc並2水冷SOHC 4ストローク、および同エンジンの高出力型36psの2種エンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式は従来通りFRである。
ミニカF4も大ヒットしたわけでないが、それまでのミニカシリーズのように安定した販売を維持した。
軽の新規格にいち早く暫定対応したミニカ5

メーカーが排ガス規制対応に苦しむ中、1976年1月に軽自動車の規格改定が実施された。新規格は、エンジン排気量が360ccから550ccへ、ボディサイズが3000×1300×2000mm(全長×全幅×全高)から3200×1400×2000mmに拡大された。

新規格対応に予算や人員を十分に充てる余裕のない三菱は、段階的に対応することを決断。まず、他社に先んじて同年4月のこの日に、排気量を500ccに拡大、ボディはミニカF4の前後に大型バンパーを装備し、フロントグリルのデザインを変更するという暫定的な対応をした。また同時に、バンやミニキャブも発売された。
エンジン排気量は500ccに大きくなったが、51年排ガス規制に適合するため最高出力は30psに抑えられた。ただし、最大トルクは向上したため、むしろ扱いやすい実用的なクルマとなった。

1977年6月に排気量を550ccに拡大した新規格に対応した4代目「ミニカアミ55」に切り替わったので、ミニカ5は発売からわずか1年2ヶ月で生産を終えた。
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他車より少しでも早く対応したいということから、暫定的な対応となったミニカ5。ミニカアミ55が登場するまでのクルマであることは最初から分かっていたので、やや中途半端なクルマになったかもしれない。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。