6月最初の日曜日である5日に開催された甲府駅自動車博覧会。会場で見かけた貴重な旧車たちを紹介してきた最後は3代目に当たるフェアレディZ、Z31を紹介したい。というのもこの車両、なんと10年も屋外で放置されていた。当然外装は傷み放題だったところを救出、一人でここまでの状態へ戻してあげたという熱心なオーナーとともに紹介したい。
Z31フェアレディZは1983年のフルモデルチェンジで全車V6ターボエンジンに切り替わった変革期のZといえる。長く続いたL型直列6気筒エンジンと決別して、さらに豪華さと走行性能を追求していた。国内では2リッターと3リッターの排気量が用意されたが、エンジン自体はSOHCターボという仕様。そこで85年にはDOHCへ進化した新時代の直列6気筒に生まれ変わったRB20DET型エンジンを採用する200ZRを追加。さらに86年のマイナーチェンジでは北米日産による外装デザインを採用するとともに、2リッターV6が廃止され3リッターV6はSOHCターボが存続しつつ、新たにNAながらDOHC化したヘッドを備えるVG30DE型を追加ラインナップ。このVG30DE型を採用する300ZRはZ本来のハンドリングマシンとして評価されたものだった。
今回紹介するZ31はまさにこの300ZRで、新車当時を知る日産ファンには垂涎のモデル。オーナーの石原修二さんは現在54歳だから、若い頃に憧れた世代でもある。新車当時は買えなかったものの、19歳から日産車に乗り継ぐ生粋のファン。だから2016年にこの300ZRが放置されて酷い状態になっている姿を見つけた時、どうしても生き返らせてあげたくなったそうだ。放置されていたのは修理工場のヤードで、10年もの期間を経過していた。そんな状態のクルマを見つけても、普通の人なら手を出さないはず。そう思って質問したところ、石原さんはプロのメカニックだった。
石原さんは19歳でメカニックになるのだが、就職先は日産ディーラー。大好きな日産車に乗りながら仕事でも日産車を扱う毎日ということで、充実していたことだろう。現在では独立されて石原エンジニアという工場の代表になっているが、この300ZRを見つけたのも独立されてからのこと。整備はプロだが塗装はさすがに板金塗装工場へお願いした。だが、山本レーシングのリップスポイラーやローダウンした足回りなどは自ら作業している。
圧巻なのはエンジン作業。入手した当時はまだ部品供給があったということでインジェクターを6気筒分新品に交換しつつ、イグニッションコイルも新品にして点火系を見直した。さらにオイル漏れが見られたことからシリンダーヘッドガスケットだけでなくインテークマニホールドのガスケットも交換している。放置期間が長かったためラジエターは内部を洗浄したうえで水回りのホースはヒーター系含めて全交換。整備性が良いとは言い難いZ31でこれだけの整備を依頼したら恐ろしい額の請求書が届きそうだが、そこはプロである。部品代以外は自分が頑張ればいいこと。苦労することよりも若い頃に憧れたクルマに乗れる喜びが上回っていたことは言うまでもない。
外装は外注に出したものの、内装は石原さん自ら作業されている。実はこの300ZRが手に入ったことで部品取り用にもう1台用意されたとのこと。部品取り車から程度の良い部品を移植してあるというわけなのだ。不調だったスピードメーターをはじめ、劣化したゴム部品やレザー部品を総入れ替えするほど手をかけている。なかでも珍しいのがZ31に純正設定されていたレカロシート。1脚は友人から、もう1脚は探し出して手に入れたもので、友人から譲ってもらったものはシートレールが付いていたが探し出したものはシート単体しかなく、シートレールを買い足すことになった。社外品を使いつつも、純正にこだわるのが石原さん流なのだ。
この300ZRはTバールーフの2by2仕様で、新車当時は最上級グレードに当たる贅沢かつナンパな仕様でもあった。トランスミッションがATなことから、新車当時は裕福で走り屋とは無縁なオーナーだったのだろう。例えばこれがMTだったら、例え石原さんの技術があったとしても復活させるにはさらに大変だったはず。この時代のクルマは中古車になった時点で改造されるケースが多く、なかには元に戻せないほどの状態になった個体も多い。だからMT仕様は残存数が少なく今では高騰する原因にもなっている。Z31に限らず80年代から90年代のスポーツカーを狙うなら、AT仕様を選ぶという手もある。明らかに程度の良い個体が多い割に相場はMTより割安だからだ。とはいえATが壊れると高額な修理代が必要になるし、部品が足りずに直しきれない可能性もある。そうなったらMTに載せ替えて公認を取得すればいいのだが…。こんな妄想を楽しめるのも古いクルマならではの醍醐味ではないだろうか。