戦車を北海道から南西諸島に運ぶ最速カーフェリー「ナッチャンWorld」島嶼防衛を左右するのは兵站力

「ナッチャンWorld」へ自走で乗り込む10式戦車。積載ランプ周辺を改修、昇降性や取り回しを向上させた。
有事には自衛隊の車両や装備、人員などを輸送することを目的として、高速フェリー「ナッチャンWorld」の保有会社と防衛省が契約を結んだのが約6年前のこと。これ以降、たとえば北海道の戦車を本船で長距離輸送して遠隔地まで運ぶといった訓練が重ねられてきた。想定するのは島嶼防衛。南西の島々が危機に陥った場合、陸上防衛力を緊急輸送・投入することにある。

TEXT&PHOTO:貝方士英樹(KAIHOSHI Hideki)

時速約67km/h、波を貫くウェーブピアサー

2007年、青森港と函館港を結ぶ航路(青函航路)に就役したのが「ナッチャンRera(れら)」という高速フェリーだった。続いて同型船「ナッチャンWorld」も就航した。この2隻は「ウェーブピアサー」と呼ばれる船型なのが特徴だった。

高速フェリー「ナッチャンRera」。2008年4月に乗船したときの姿。

ウェーブピアサーは「波浪貫通型船」と呼ばれるもので、これは通常の船が波を乗り越えて走るのとは異なり、船体が波を切り裂くようにして航走するものだ。本船は舳先から喫水線下にかけての形状が薄く鋭く尖っていて、この部分が波を突き刺すようにして進む。しかも双胴船で推進機構はウォータージェット方式。特異な外観と高速性を示す推進方式が珍しかった。

2隻のナッチャンを建造したのは同型の船舶建造では有力なオーストラリアのインキャット・タスマニア社。青函航路で運用していたのは東日本フェリー。本船の速力は約36ノット、時速で約67km/hと高速だ。総トン数は1万700トン、全長112mと大型船の部類になる。車両積載数は普通乗用車で100台以上、大型トラックが30~50台など。2隻で積載数には幅があるようだ。

2基あるウォータージェット推進器。速力は約36ノット、時速約67km/hと高速だ。

船名の「ナッチャン」とは船体に描かれたイラスト原作者の小学生(当時)の愛称で、「Rera(れら)」はアイヌ語の風を意味する言葉、これらを組み合わせた。一方の「World」は同じく船体イラストで描かれた世界の仲間がパレードするイメージからつけられたという。奇抜な外観に加え、カラフルなイラストが描かれていることも目立つ点だった。

青森港へ接岸する「ナッチャンRera」。水平スラスターのように使うウォータージェットの噴流が派手だ。

筆者は2008年4月に「ナッチャンRera」に乗ったことがある。そのときの海況は穏やかだったので、波を貫くウェーブピアサーの特性を体験することはなかったが、独特の乗り味だったように思う。

というのも、船首を薄くしている構造から、船首区画が他区画と比べて軽くなっているという。つまり船首部は浮力が少ない。ふたつの胴体をつなぐ船体中央部にはセンターバウという構造物があり、海面に接するように垂れ下がった形状をしている。

本船を正面から見ると3胴船に見えるが、センターバウはつねに海面へ接しているわけではない。しかし高波時には盛り上がった波が届き、結果的にセンターバウが海面に接して浮力を稼ぐことになる。これで軽く暴れやすい船首の動揺を抑えているようだ。

船首正面から見た「ナッチャンWorld」。3胴船のように見えるが双胴船だ。中央に垂れ下がって見える胴体はセンターバウと呼ばれる構造物。高波時に構造的に軽い船首部分を持ち上げる役目のある浮力区画。水線下に沈むふたつの船体の先端は「デミハル」と呼ばれる尖った形状をしている。

とはいえ、ウェーブピアサー形状であることで構造的に浮力の少なくなった船首部分がなにかと動きやすいのは抑えきれず、基本的にピッチングの揺れが多くなるという印象だった。双胴船だからローリング性は安定方向に働くのだろうが、まったく揺れない船ではなく、独特の揺れが生じるものだった。

ナッチャン2隻の定期便としての就航期間はごく短いものだった。主に採算の悪化を理由に2008年11月には定期運航を停止、その後は別会社が繁忙期のみ運航するなどの状態になった。結局、民航船としては振るわず、ナッチャンReraは台湾へ売却されたという。

島嶼防衛で、長距離を高速輸送できる輸送船

もう1隻のナッチャンWorldに自衛隊が目をつけた。日本南西の多数の離島を守る島嶼防衛で、長距離を高速輸送できる輸送船が必要だったからだ。南西諸島へ主に陸上自衛隊の車両や装備、人員を運ぶ輸送船として使いたい。具体的には北海道の戦車などを南西諸島へ短時間で運びたいのである。

もちろん海上自衛隊にも輸送艦はある。「おおすみ」型輸送艦だ。同じく全通甲板構造と艦内格納庫を持つ「ひゅうが/いせ」型護衛艦や、「いずも/かが」型護衛艦も車両輸送能力はある。しかし「ひゅうが/いずも」は航空機運用分野や対潜水艦活動、指揮艦としての立ち位置が重視される。そして「おおすみ」はアシ(速力)が遅い。つまり海上輸送力として充分ではない現状を、民間船であるナッチャンで補おうとする目論見があったわけだ。話がまとまるなら、高速輸送艦を建造するより早く新規輸送力を整備できる。

そして2016年に防衛省は本船所有元の高速マリン・トランスポート社とナッチャンWorldを輸送使用することで契約を結んだ。いわゆる民間力で公共面の施設整備やサービス、役務の実施などを行なうPFI(Private Finance Initiative)の考えによる。契約期間は2025年末までの10年間。対象はナッチャンWorld。これで自衛隊は海上高速輸送力を手に入れたことになる。

有事対応するため官民がタッグを組んだ体制ができて以降、自衛隊はナッチャンWorldを使って長距離輸送訓練を繰り返している。ナッチャンWorldは船尾区画を改修し、車両の乗降ランプを加工した。これで10式戦車など装軌式戦闘車両を始めとする諸職種の車両の積み込み作業などが便利になり、北海道から戦車を積んで九州へ、あるいは沖縄本島へ短時間で到達できる。

船尾の大きな開口部へ車両積載ブリッジがかけられる。長く大きな橋でストレートに船内へ乗り込む。
車両甲板内部。複数本の駐車ラインが並列に敷かれている。

沖縄といえば、那覇港には米軍が使う同様のウェーブピアサー型輸送船も頻繁に出入りしている。米軍はこうした新機軸の投入に躊躇がない。使えるものは使う姿勢で、多くの米軍人を乗せて長距離機動訓練などをしている。しかし前述した独特の揺れの件では、屈強な海兵隊員でも『あの船に長時間乗るのはキビシイ』とボヤく人が多いらしい。

脅威に近接する沖縄の海だが、有事を想定したとき、空と海の守りを堅持できていれば、自己防衛用の武装を持たないナッチャンWorldが10式戦車や90式戦車を沖縄へ直接運び込むことも可能ではないか。安全を考えればナッチャンは那覇港などで積み荷を降ろし、そこから「おおすみ」型輸送艦へ積み替え、さらに先島諸島へ前進する。こうしたリレーも考えられる。

ちなみに沖縄県では、自然災害を想定した自治体の防災訓練の機会を使って自衛隊車両を民航カーフェリーで輸送する訓練をここ20年で積み重ねている。多数の離島を結ぶ大小の民航船のなかで、どのタイプのフェリーなら陸上自衛隊のどの車両と装備が運べるかを実地で試してある。自衛隊車両のみならず、消防車や警察機動隊の救助車なども同様に積載・輸送試験や訓練を重ねている。

災害対応と有事の防衛とは地続きのものだと思う。今後、有人離島からの大規模住民避難が必要になる状況は起きるものと備えておくべきで、八重山諸島・先島諸島の住民を沖縄本島や奄美大島、さらには九州まで後退、避難させるには多くの航空機や船舶が必要だ。

そのときは自衛隊の航空輸送力と海上輸送力に加えて民間輸送力も必要になるはず。島嶼防衛でもっとも必要なのは正面に投入する防衛力にも増して、住民避難を担うロジスティクスの仕組みだと思う。

「ナッチャンRera」船内の客席(2008年)。椅子席のほか広間などもあってバリエーション豊富だった。

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著者プロフィール

貝方士英樹 近影

貝方士英樹

名字は「かいほし」と読む。やや難読名字で、世帯数もごく少数の1964年東京都生まれ。三栄書房(現・三栄…