迷ったらツヤ消しがカスタムの基本だ
敗戦後の占領軍じゃないが、日本人の誰にもあるだろうアメリカへの憧れ。豊かで底抜けに明るくてフレンドリー。若いヤンキーが金髪ガールフレンドを横に乗せるのは、フルサイズの’50sカーと相場は決まっていた。同じ事を日本でやったら、お金がいくらあっても足りない。それなら旧車がいいかも? サブロクなんて格好の素材もあることだし。
オーナーがポーターを手に入れたのは、そんな理由から。先輩が乗らずに放置していたポーターに目を付け、粘りに粘って手に入れるや、速攻でツヤ消しに塗った。しかもセクシャルじゃないがバイオレットカラー!
でも日が経つうちにサビが侵攻してくる。あちこち直して全塗装し直そうと思うのだが、仕事に趣味に家庭にと、時間がまるでない。開き直って「このままでもイイじゃん」仕様なのだ。
マツダB360をフルモデルチェンジして1968年に発売。バンとトラックをラインナップするがバンは76年で生産終了となり、ポーターキャブだけが継続された。B360はマツダR360クーペと同じV型2気筒エンジンだったが、後にキャロルと同じ直列4気筒に変更されポーターにも受け継がれた。ところがあまりの遅さから73年には2ストローク2気筒エンジンに換装されてしまう。2ストの残存数が多いのは、4ストは当時希少なアルミ製だったので買い手が多く、スクラップ率が高かったからだ。
SUSPENSION
ホイールを赤く塗装してホワイトリボンを装着。純正キャップとの相性もバッチリ。フロントはストラット式と先進的だったのだが……、車高短にするためバネは思い切り良く取り外してしまった!
タイヤ上面がフェンダー内に隠れるがインナーフェンダーとは干渉しない。ほぼ限界の低さ。リヤはブロックを取り外して適当に転がっていた板バネを切って流用。バネはもちろん逆反り。
ENGINE
オールアルミエンジンだったマツダ製サブロク軽自動車たちは「白いエンジン」のコピーで売り出されたが、後にアルミ目当てでスクラップされるとは誰も思っていなかった。
邪魔にならないから焦らずのんびり楽しめる
ツヤ消しバイオレットで全塗装した後、お約束の車高短化。とはいえアフターパーツもないポーターだから、乗り心地を犠牲にするのは覚悟のうえでフロントはバネを取り外している。リヤはブロックだと低くなりきらないので、自宅や仕事場に転がっていた板バネを何枚か切ってはめ込んだ。
外装のポイントはフロントマスク。ヘッドランプは純正の角形だと可愛いのでスリーポインテッド入り丸形に変更。ランプやグリル全周を覆うように装着されているメッキモールを取り外して、ラットなスタイルを手に入れた。
問題なのはエンジン。前オーナーの先輩が放置していたのもメタルがダメでクランクから打音が出ていたから。そこで知り合いの修理工場に頼んで他車流用で直し、車検を取って路上復活。だが幸せは数日しか保たず、またメタルがダメになった。その後エンジンを2回載せ換えたが、いずれも同じ症状でエンコ。今はスペアをオーバーホールする予定で、平地をゆっくりとしか走れない。何事も焦らず楽しみながら進める。
室内
鉄板むき出しの内装だから、ホイールと同じ赤で塗装した。パーツに頼らないカスタムセンスに脱帽だ。
70年代からはサブロクといえどもヘッドレストが装備され開放感がイマイチ。もちろん取り外した。
フラットになるリヤシートを倒せば全長1020mm、全幅1085mm、最大積載量300kgのラゲッジ。
このマツダ・ポーターバン・デラックスの記事は、令和に残るクルマ改造雑誌『G-ワークス』(毎月21日発売)に掲載された記事を引用・転載したものです。