【海外技術情報】VW:『W12 Nardò』の世界記録達成から20周年を迎えた今、Wエンジンを振り返る

2002年2月23日、VWのW12がイタリアのナルドサーキットで7つの世界速度記録を達成した。その20周年を記念して、同車が搭載していたWエンジンを振り返ってみよう。
TEXT:川島礼二郎(KAWASHIMA Reijiro)

W12コンセプトクーペに搭載されたW12エンジン

VWのユニークなWエンジンと同様の機構を備えた最初のスーパーカーは、クワッドターボチャージャーを搭載のW16エンジンを採用したブガッティ『ヴェイロン』ではない。それはItal Designのジウジアーロ氏が描いた空力的なスタイリングを有した、1997年に東京モーターショーで公開されたVW『W12コンセプトクーペ』であった。同車はVWにとって極めて珍しいスーパーカーであり、ブランド最高のラグジュアリーモデルとパフォーマンスモデルへの道を開いた。

『W12コンセプトクーペ』は同社の軽量コンパクトな2.8リッターVR6エンジンを2つ、共通のクランクシャフトに組み合わせて作られた5.6リッターW12エンジンを搭載していた。最高出力は414馬力を誇り、VWのシンクロ全輪駆動と6速シーケンシャルトランスミッションを介して伝達された。1998年には、ジュネーブモーターショーでロードスターの変種が発表された。

その3年となる2001年には、VWは南イタリアのナルドリングで24時間速度記録への挑戦を発表。モーターショーで見られたW12コンセプトクーペは大幅に進化していた。W12エンジンは6リットルに拡大され、最高出力は591馬力にまで跳ね上がった。クーペコンセプトが採用していた全輪駆動システムは廃止され、車両重量はわずか2,646ポンドであった。そして2002年2月23日、『W12ナルド』は4,809マイルの距離をカバーし、時速200.6マイルの平均速度を達成。『W12ナルド』は7つの世界記録と12の国際クラスの記録を打ち立てた。

フェルディナント・ピエヒが東京・名古屋間の新幹線で着想を得たWエンジン

さて、ご存知の通り、Wエンジンの開発は、ありそうもない場所=東京と名古屋の間を走る新幹線で始まった、とされている。1997年、当時のVWパワートレイン開発責任者、カール・ハインツ・ノイマン氏との会話の後、ピエヒは封筒を手に取り、しばらく頭の中で転がっていたアイデアをスケッチしたという。

6気筒VR6エンジンは1990年代半ばまでにVWが広く使用されていたが、その独自のオフセットシリンダーバンクにより、『ゴルフ』のような小型車にも横方向に収まるほどコンパクトであった。比較的狭いエンジンの2つをさらにV型に組み合わせると、コンパクトな12気筒を作ることができる。統合されたVR6エンジンのオフセットシリンダーは『W』を形成する。こうして生まれたのがWエンジンであるという。

ピエヒは1990年代、VWのCEOとして先頭に立っていた。そして彼はハイエンドで高級なブランドを探していた。そこで手に入れたのがブガッティである。1998年に契約が成立すると、ピエヒはすぐに、ブガッティに搭載する新しいW18エンジンの開発に着手した。

またしてもItal Designのジウジアーロ氏の手を借りて、ブガッティ『EB118デザインプロトタイプ』が開発された。EB 118はW18エンジンを搭載し、1998年10月のパリモーターショーでデビューした。

『ヴェイロン』は量産されるまでに幾つかの修正と改良を受けた。そのなかで、最も大きな変更を受けたのは、そのエンジンである。2001年のコンセプトである『EB16:4 ヴェイロン』にはW16エンジンが搭載されていた。つまり、2つのV8が90度の角度で結合されていた。W16シリンダーバンクが15度の角度で分離されており、エンジンは4つのターボチャージャー(「16:4」の「4」)を使用できるほどコンパクトであった。それは987馬力と922 lb-ftのトルクを発生、0-60 mphは3秒未満、そして最高速度は時速250マイルを達成していた。

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著者プロフィール

川島礼二郎 近影

川島礼二郎

1973年神奈川県生まれ。大学卒業後、青年海外協力隊員としてケニアに赴任。帰国後、二輪車専門誌、機械系…