ネピア・デルティック:対向ピストンをトライアングルで配置(4-3)【矢吹明紀のUnique Engines】

ここまででデルティックのエンジンとしての基本デザインは概ね理解して頂けたものと思う。ここからはクランクシャフトからアウトプットシャフトへの流れ、掃気ポンプを担っていたメカニカルスーパーチャージャーの構造、燃料噴射ポンプ他の補機類のディテールについて解説したい。
TEXT:矢吹明紀(YABUKI Akinori) PHOTO:Wikimedia Commons

4-2から続く

まずはクランクシャフトからアウトプットシャフトへの構造だが、クランクシャフトの一方の端からアウトプットシャフトの間にはフェージングギアボックスと呼ばれていた2ピースの集合ギアボックスが装備されていた。ここでは3本のクランクシャフトからの動力を一本のアウトプットシャフトへの集合が行われていた。アウトプットシャフトの位置は基本的には逆三角形にレイアウトされていたシリンダーブロックの中央部に配置されていたが、ギアボックスを組み替えることでその位置の変更は融通が利いた。これは搭載する艦艇の設計に合わせて変更された。クランクシャフトの回転方向はギアボックス側から見て上の2本が右回転だったのに対して下の1本は左回転となっていたが、これはクランクシャフトの回転に伴って相応のモーメントが発生したことに対する対応策であり、一種のバランサー的な意味があった。また各コンロッドのビッグエンド部は偏心構造となっており、排気ポート側のピストンが吸気ポート側のピストンをクランク角で常に20度リードする構造となっていた。言うまでも無くこれは吸気ポートよりも排気ポートをわずかだけ早く開くための措置である。これら下部クランクシャフトの逆回転とビッグエンド部の偏心構造はオリジナルのデルティックの設計には存在しなかったものだが、初期の設計検討の時点で海軍技術研究所のエンジニアだったハーバート・ペンウォーデンによって追加されたものだった。

(PHOTO:Napier)

燃料噴射ポンプを駆動するカムは同じくこのギアボックス部からべべルギアとシャフトによって駆動されていた。燃料噴射ポンプは各シリンダーバンクに6基装備されており、それぞれ各シリンダーに2基装備されていたインジェクターに燃料を供給していた。一方、掃気ポンプとしての役割を担っていた過給機だが、本体のハウジングは前述の通りアウトプットシャフトギアボックスの反対側に装着されていた。ただし駆動自体はフェージングギアボックスから長いシャフトで前方の過給機へと接続する構造であり、シャフトは逆三角形の中央部を通っていた。過給機は直径15.5インチ(394mm)の遠心式インペラーを備えた一段式であり、クランクシャフトの5.72倍の速度で回転し、7.8psiのブースト(0.53bar)を発生させていた。過給圧としてはそれほど高めでは無かったが機械的な圧縮比自体が過給エンジンとしては高めであり掃気ポンプとして十分な性能だったと言って良いだろう。ちなみに過給機に動力を供給していたのは上部2本のクランクシャフトのみであり下部のクランクシャフトは接続されていなかった。その代わりに下部クランクシャフトは、2つのオイルポンプと同じく2つのウォーターポンプを駆動していた。デルティックは一見すると非常に複雑ではあったものの、動力系の流れと補機のレイアウト自体は外観とは裏腹に良く整理されていた。

ネピア・デルティックCT-18型(FIGURE:Napier)

こうしてデルティックは完成品となったわけだが、ここで改めてデルティックの開発過程を時系列に従って振り返って見ると、試作計画締結から設計作業に入ったのは1946年の初め。この年の終わりには単気筒の試験用エンジンが完成し、その後はすぐに逆三角形レイアウトの3気筒エンジンが製作され様々な実験を実施、特異なレイアウトの有効性が確認された。完成形というべき18気筒初号機の組み立てが完了したのは1950年3月のことであり、以降は一年以上を掛けて入念な試験の問題点の洗い出しが行われた。1951年の終わりにはイギリス海軍に制式採用される前にドイツ海軍の目に留まることとなり、Eボートと呼ばれていた魚雷艇(高速哨戒艇)に試験採用されている。その後イギリス海軍本部による型式認定のための1000時間に及ぶ全ての試験が終了したのは1953年のこと。そこでは1000時間の運転では問題はほとんど生じず、オーバーホールサイクルは2000時間を上回ることが確認された。こうしてデルティックはイギリス海軍においても制式採用が決定したのである。

ここでイギリスの軍用をメインとした新型エンジンなのにも拘らず、試験的とはいえ最初に外国で採用されたことに違和感を抱く人も多いとは思うが、イギリスの場合政府機関による新兵器の選定評価と認可については極めて保守的かつ慎重というのがセオリーであり、イギリスの軍需産業は新型をまず外国にプレゼンテーションしそこで実績を積むというのは19世紀からの伝統だった。余談ながら明治期を代表する日本海軍の著名な戦艦でありイギリスで建造した「三笠」は同時代のイギリス海軍の戦艦よりも新型かつ明らかに強力だった。これはその後に建造された「金剛」も同じだった。

なおイギリス海軍の艦艇で最初にデルティックD18を採用したのは1954年10月に初号艇が竣工したダーク級MTBのダーク・アドベンチャーだったのだが、実はこの魚雷艇/高速哨戒艇には創設間もない日本の海上自衛隊も注目しており、購入年月は不明ながら(おそらくは1955年か1956年)サウンダース・ロー製の一隻を研究用に購入し魚雷艇「PT9」として運用している。この当時、海上自衛隊の艦艇はアメリカからの旧式供与艦艇や旧日本海軍の残存艦艇を改修したものが大半であり、ダーク級魚雷艇は紛れもない最新鋭艦艇という意味では注目すべき存在だった。ただ魚雷艇という種別は極めてマイナーであり、その機関部の先進性とは裏腹に一般は言うまでも無くマスコミ等に注目されることもほとんど無く1972年に用廃となり解体された。海上自衛隊内でのデルティックD18の技術的評価記録も現代では判然としていない。

4-4へ続く

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著者プロフィール

矢吹明紀 近影

矢吹明紀

フリーランス一筋のライター。陸海空を問わず世界中のあらゆる乗物、新旧様々な機械類をこよなく愛する。…