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チューナーのサイドストーリーを元に、人物像に迫る連載「チューナー伝説〜挑戦し続けてきた男達の横顔〜」。第二回目は、日本を代表するロータリーチューナーであるフジタエンジニアリング・藤田儀晴氏だ。
西の大御所、その素顔
チューンドロータリーの世界において「東のアメミヤ、西のフジタ」と言われるほどに、この二人の名チューナーはともに東京と大阪のロータリーチューニングをリードし続けた名将として広く認識されている。
「雨さんはやっぱり凄いと思いますよ。いくつになっても元気に走って、エンジンを組んでいますし。あまり話す機会はないですけど、尊敬しています」。西の大御所が静かに語り出す。
「ロータリーのチューニングって、機械加工は必要ないでしょ。全て手加工。そこがレシプロとの違いであり、醍醐味だと思うんです。ロータリーにハマる人はそういうところも好きなんじゃないかなって思うんです。手作業だからこそ、厳密には同じエンジンは2つと作れない。そして、真の意味でベストと呼べるエンジンチューニング法にはまだ辿り着けてない。先が見えない世界ですよ」。
藤田義晴。今年で66歳を迎えるこのチューナーの根底にあるのは、孤高の存在であるロータリーに対する、もはや宗教的とも言える、求道にまつわる執念なのかもしれない。
ファミリアとの出会いが全ての始まり
藤田さんが、この世界に足を踏み入れたキッカケは中学生時代までさかのぼる。「近所に住んでいたお兄さんがファミリアロータリークーペに乗っていて、ロータリーエンジン特有の乾いたサウンドと、モーターのような鋭い加速に憧れたんです。“どこまで回るのこのエンジン!?”って。それが僕のスタート地点だったと思いますね」。
ロータリーへの憧れを抱きながら高校に通い、技術を高めようと地元岡山の自動車修理工場でバイトに明け暮れる日々。悪の道に走ることなく、一心不乱にモーターと向き合い続けた。
高校卒業後は整備系専門学校に進学。同時に、生まれて初めての愛車を手に入れた。車種はカペラロータリークーペ。農協でローンを組んで購入したという。
「免許を取る前に買ったんだっけかな。イジくり倒して、1年くらい乗ったと思います。その次の愛車もカペラだった気がするけど、よく覚えているのはRX-3ですね。成人式に、RSワタナベ履いてメガホンマフラーを付けたシャコタン仕様で行きましたから」。
とにかく改造が大好きだった藤田さんは、その後の愛車も全てチューニング。果てには独学でロータリーエンジンの組み方とポートチューニングを覚え、ファミリアロータリークーペに自作(友人と共同製作)の12Aブリッジポート+日本機器45φキャブ仕様を搭載。中山サーキットなどで性能検証しながら、チューンドロータリーの走りを楽しんでいたそうだ。
フジタエンジニアリングの幕開け
専門学校を卒業して、バイト先だった自動車修理工場にそのまま就職した藤田さんだったが、しばらくして大阪への来坂を決意する。
「このままじゃ面白くないなって。で、大阪に友人がいたこともあって、僕も行こうと。家出に近かったかな? もちろん仕事しないと食べていけないので、自動車修理工場に就職しました。それが僕にとってのターニングポイントだった。色々な人たちと知り合うことができて、独立への道が開いたんですよ」。
独立して、大阪の八尾でフジタエンジニアリングをスタートさせたのは26歳の時。まだロータリー専門ではなく、レシプロのチューニングが多く、サニークーペで中山のカーロード杯やNCHKといった草レースに参戦して腕を磨いていた。
オープンから1年が経過した頃、SA22Cに13Bサイドポートを換装し、HKSが発売していたスーパーターボキットを搭載。当時、関西で盛り上がりつつあった臨海のゼロヨンに出没しはじめる。さらに、富士のゼロヨン大会や谷田部の0-1000mアタックにも遠征するようになり、雑誌にもたびたび取り上げられ、次第にロータリーのお客さんが増えていった。
そして1988年、フジタエンジニアリングの名声を決定づける出来事が起こる。某誌の最高速テストで、ノーマルポート+TO4Sタービン仕様のFC3Sが313km/hをマークしたのである。この大記録は、未だに破られていない金字塔になっているほどだ。
「自分でも驚いたほどです。でも、魔王号(FD3S)もそうなんですが、あまり力を入れないで作ったクルマほど結果を出してくれるというか…。不思議なものです」。そのように謙遜する藤田さんだが、これまで手にしてきた数々の栄光は、フジタエンジニアリングが有する絶対的な技術力の裏付けに他ならない。運などではない、実力なのである。
未来への挑戦
フジタエンジニアリングが、堺にある現在のファクトリーに落ち着いたのは1993年のこと。そこからはトップロータリーチューナーとして様々な活躍を見せていくわけだが、実は、OPTIONからはなかなか声がかからず、悶々とした日々を過ごした時期もあったそう。
「中山やゼロヨンで活躍するようになって、ようやく取り上げてもらえて。やっと認められたかって感じでしたね(笑)」。
藤田さんがOPTIONの取材で強く思い出に残っているのは、ロータリー勢では初めて挑んだ0-300km/hチャレンジだ。最高速アタックで実績を残してきたサイドポート+TD05Gツインターボ仕様のFC3Sを持ち込み、パワーだけでなく、低速域のトルクやバンクに順応できる足回りの必要性など、多くのことを学んだ。「トータルチューニングの重要性を理解した瞬間でしたね」と、当時を振り返る。
最近は若い20代のユーザーも目立つようになってきて、ハードチューンだけでなく、誰でも気軽に楽しめるクルマ作りの提案やクルマ遊びの場の提供に力を入れているという藤田さん。
「若い子が本当に元気で。ロータリー車って中古ですごく高くなってるでしょ。それでも彼らは頑張って購入するんです。嬉しくなりますよ。僕もそれに応えなくてはならない。まだまだ第一線で頑張っていきますよ」。
今年で創業40周年を迎えたフジタエンジニアリング。店舗の棚に並ぶ顧客リストはFD3Sだけでも数千台におよぶ。そしてその数はこれからも増え続けていくのだろう。
プロフィール 藤田儀晴(Yoshiharu Fujita) ショップ名:FUJITA ENGINEERING 出身地:岡山県美作市出身 生年月日:1956年3月10日
PHOTO:吉見幸夫
●取材協力:フジタエンジニアリング 大阪府堺市東区八下町1丁82-1 TEL:072-258-1313
【関連リンク】
フジタエンジニアリング
http://www.fujita-eng.com