歴史 渋滞なんて、いまもむかしも、承知の上で走るべし! 1973-2026 東京環状7号線、52年間の変貌を見る 3/3 最終回 ~ 世田谷区・大田区編~【MFクルマなんでもラウンジ】No.24 昔のモーターファン探訪 「モーターファン1974(昭和49)年2月号」より【写真・2枚目】 最後は、途中で気が変わって平和島に変えたトップ画像の、当初予定していた写真でしめくくる。 「地下に国道20号線、地上に環7。その頭上に首都高速がクロスする大原交差点。」(「道」特集キャプションより。) 1973年末時点の大原交差点。 現在の大原交差点をモノクロで。 そのカラー版。 2026年1月21日(水)16:49撮影。 1979(昭和54)年10月8日に撮影された大原交差点の航空写真。 といっても、交差点そのものは、首都高に隠れていて空からは見えない。 首都高の北側も南側も住宅が密集している。 当時のカメラマンは、当時の代田橋駅前歩道橋から上のページ写真を撮ったにちがいない。 現在に近い、2019年11月1日時点の大原交差点上空。 首都高の北側は住宅地のままだが、南側はマンションに変わったところが増えている。 代田橋駅前歩道橋は姿が現代的なスタイルに変わっている。 上の2026年版写真は、その代田橋駅前歩道橋から撮った。 「昼も夜もトラックが主役をつとめる環7。大型の通行も1日に2万台を越え、首都の経済をささえるエース道路としての価値が高い。」(「道」特集キャプションより。) 西武新宿線の北側にある野方第三陸橋から仮で撮った景色。 2026年1月25日(日)22:46撮影。 夜間写真じゃあわからないだろうから、日と時間を改めて撮り直した、第三陸橋への側道からの風景。 歩道橋、その向こうに坂という点は合致するが、側道と歩道橋の距離など、つじつまの合わない点も多い。 2026年3月8日(日)15:07撮影。 印刷にじみと片付けたくてどうしても捨てきれなかった謎の線。 というわけで、仕切り直しでもういちど。 ここだ! まずはモノクロで。 1973年ページ写真とそっくりなバイクが写っているのは偶然。 ねらったわけじゃなく、写真セレクト時、多く撮った中からバイク入り写真を撮っていたことに初めて気づき、迷うことなく掲載を決めた1枚。 神様はほんとにいるのかも知れない。 黒いヘルメット、黒いスーツ、バイクの触覚みたいな丸いバックミラーにふたつのメーター、ヘッドライト・・・そっくりだ。 このライダーも、まさか52年前の写真に写っていたひとと同じひとじゃあるまいな。 そしてカラー。 黒装束のバイクの姿はカラーになってもあまり変わっていないぞ。 2026年2月5日(木)16:04撮影。 1975年1月6日撮影の、若林陸橋から南方面への環7航空写真。 1973年ページ写真の正面に見える歩道橋はこれだった。 結構な望遠で撮ったことになる。 おそらく当時のカメラマンがシャッターを押した場所。 2019年11月1日に撮られた同所の航空写真。 歩道橋はいまも同じ場所に。 筆者が撮った位置。 ここにカーブミラーや道路標識を発見! もしやと思って1973年ページ写真の同じ部分を見てみると・・・ 心の目で見たら、わからない状態で見たときと違い、カーブミラーや道路標識(らしきもの)に見えてきた・・・先入観でないことを信じたい。 「環7にただひとつ残る東急・世田谷線の若林踏切。信号による通行だが、環7の内まわりのラッシュはここでピタリとおわる。」(「道」特集キャプションより。) もういちど1973年のページ写真を。 これがいまでは・・・ こうなっている。 そのカラー版。 2026年2月4日(水)14:42撮影。 2026年1月21日(水)15:41撮影。 若林踏切の航空写真。 1975年1月5日撮影。 同所2019年11月1日撮影。 1973年ページ写真の上部で切れかかって写っている歩道橋はこの位置にあるが・・・ 現在は踏切からより南に移動していた! 当時のカメラマンの撮影場所。 同じ場所から筆者も撮った。 52年前の仮面ライダー再登場。 52年後のライダーにも再びご登場願った。 その元写真。 若林陸橋、若林踏切、両方入れた航空写真の1975年 1月6日版。 同様に、その2019年11月1日版。 文字で書くより見てもらうほうがわかりやすい。 とどのつまり、こういうことなのよ。。 「環7の夜明け。大型トラックがうなりをあげ、乗用車の存在がいかにも小さく見える。」(「道」特集キャプションより。) 1973年末のページ写真。 てっきりビルごと丸ごと駐車場だと思っていた「P」マーク看板の建物が・・・ まさかいまもあるとは思ってもいなかった。 2026年2月12日(木)6:42撮影。 そのカラー版。 ページ写真のキャプションに「夜明け」と書いてあったので、筆者も本当に夜明けに出向いて撮ってきた。 2026年2月12日(木)6:42撮影。 馬込第三小学校上空から。 1975年1月3日撮影。 年明け撮影のせいか、クルマの数は少ない。 当時のカメラマンはこの歩道橋(浅間歩道橋)から撮ったもよう。 現在の馬込第三小学校を空から。 2019年11月1日撮影。 小学校の校舎は変わっていないが、周辺の建物は何かしらがちょこちょこ変わっている。 筆者も同じ歩道橋からシャッターをカシャッ! 「環7の起点は平和島。モノレールを越えたところで工事区間になり、将来はこの先で湾岸道路に結ばれる。」(「道」特集キャプションより。) 1973年末時点の平和島。 1975年1月3日に撮られた平和島の航空写真。 4つ葉のクローバー形のインターチェンジが出来上がっている。 2019年8月9日の平和島。 クローバーの内側や周辺エリアには緑がいっぱいだ。 写真で見てモノレールの右側=東側が大和大橋、西側が海岸通り&首都高1号羽田線を越える中之島橋。 現在2019年の姿。 キャプションのとおり、橋向こうが湾岸道路になる位置=モノレール西側から撮ったのだが・・・ 2026年1月29日(木)8:57撮影。 どうも橋の道の軌跡もその勾配もページ写真と合わない。 ヘンだと思ってページ写真と1975年の航空写真を眺めていたら、環7の中央分離帯の形がページ写真と違うことに気づいた。 というわけで、もういちどページ写真。 たぶんページ写真はこちら側=大和大橋を背にして撮ったのではと推理し、再度平和島に出向いて中之島橋方面を撮った写真。 たぶんこっちだ。 2026年3月7日(土)8:27撮影。 赤矢印が1973年末のページ写真のキャプションどおりだった場合の撮影場所、青矢印が筆者がここではと思って撮った場所。 ページ写真と1975年1月のこの航空写真、1年ちょいの時期ちがいを都合よく無視すると、赤マークから写した写真右入る土砂をここに置くとは思えない。 むしろ青マークの位置にこそ土砂を置くにふさわしい空き地が見える。 これもキャプションとページ写真の食い違いを疑った理由だ。 やはり52年前は青地点から撮ったのだと思う。 記念すべき「道」シリーズ第1回のとびら写真・・・わからん! わからん! いかにも「職人!」な姿のほうきづくりのおじさん。 いまも元気に過ごしているといいな。 この画像の記事を読む