ジンクグリーン、世界初公開

ロードスター文化を支える人たちの物語

今年は、ロードスターが1160台、そして約2700名のファンが軽井沢に集まった。

ロードスター軽井沢ミーティングは1993年、115台の車両、138名の参加者からスタートし、今年2026年で第34回を迎えた。コロナ禍の時期も開催時期をずらしながら一度も途切れることなく続けてきたというのだから、その熱量は本物だ。

主催するのは軽井沢ミーティング実行委員会。有志19名で構成されるが、実行委員を含め全員が参加費を自腹で払うというのがこのイベントの根本にある姿勢だ。運営側も客と同じ立場で参加している。マツダからの出張者28名も例外なく参加費を徴収されている。

晴天のもと開催された34回目となる軽井沢ミーティング2026。

今年の日曜日の参加人数(チケット発行数)は2696名で過去最多を更新。ロードスターの参加台数は1160台(当日の実数)で、そのうち現行モデルNDが全体の62%(幌50%+RF12%)と3分の2近くを占め、NAが22%、NBとNCが各8%。

外から見るとロードスターは中高年の趣味車というイメージがあるかもしれないが、参加者の平均年齢は51.6歳。一般的にスポーツカーユーザーは50代後半から60代以上と言われるが、このミーティングは若い人が平均年齢を押し下げてくれているのがわかる。海外からも約50名が駆け付けている。朝の駐車案内や運営を支えるボランティアは実行委員以外から119名が集まり、こちらも全員参加費を自己負担している。駐車券の応募総数は3070台に対して当選は1100台、当選率35.8%という激戦ぶりも、このイベントの人気を如実に物語っている。

現NDロードスター開発主査の齋藤茂樹さん。

マツダからも、ロードスターのNDを担当する齋藤茂樹主査とチーフデザイナーの岩内義人氏らが参加し、ファンへのプレゼントとして、ここで「世界初公開の新色」をまとったロードスターが披露されることになった。

現NDロードスター・チーフデザイナーの岩内義人さん。

その色の名前は「ジンクグリーンメタリック」。ジンクグリーンと聞いても、ピンとくる人は多くないかもしれない。ジンク(Zinc)とは亜鉛(元素記号Zn)のことで、船舶や航空機、鉄橋などに使われる亜鉛を用いた防錆下地塗料「ジンクロメートプライマー」からインスピレーションを得た色だという。工業的でワイルドな重厚感をそのままクルマの色にするには荒々しすぎる。そこをいかに「洗練」させてスポーツカーとして成立させるかが岩内氏の仕事だった。

色相環で言うと、通常の緑から青の方向に大きく振っている。黄色方向に振ってしまうと生命感があふれる「芝生みたいな緑」になる。それは避けたかった。青を多く混ぜてクールで工業的な印象に仕上げつつ、ハイライトの光り方にも徹底的にこだわっている。

マツダが磨き続けてきた「匠塗り」の技術を応用し、ブルーマイカを全体の約50%入れることでアルミフレークとの反発を抑え、素直で美しいハイライトを実現させた。マット調の渋さとハイライトのきらめきが絶妙に共存するこの色は、セラミックメタリック、ポリメタルグレーメタリック、ジルコンサンドメタリック、ロジウムホワイトプレミアムメタリックなどと同様、マツダの素材発想型カラーの系譜にある。

グリーンはロードスターにとって、NAの時代から特別なイメージを持つ。NDロードスターにグリーンが追加されるという噂はネット上に溢れていた。ブリティッシュレーシンググリーンとタン内装という鉄板の組み合わせであるVセレクションが「ここに戻ってくる」と期待したファンも多かっただろう。

しかし、目の前に登場したジンクグリーンのロードスターは、影では黒と見間違うほどでありながら、強い日差しのもと角度によっては非常に明るいグリーンに見えることもある。今まで見たことのない「緑」だ。さらにお披露目されたその個体には、シルバーがもうひとつのテーマカラーとして組み合わされていた。

まだ正式発表前だが、このジンクグリーンメタリックをまとった特別仕様車であるのはほぼ間違いない。その特別仕様車のコーディネートは、シルバーのソフトトップ、シルバーのブレンボキャリパー、そしてピアノブラックのレイズ製ホイールという組み合わせで、ビルシュタインダンパーを足まわりに持つ。

そのビルシュタイン装着車だが、今回の仕様変更で足まわりをゼロから見直したと齋藤主査は力を込めた。従来はバネを柔らかくしてダンパーで減衰を持たせる考え方だったのを逆転させ、バネを固くしてダンパーの減衰を抜く方向に転換した。これによってサスペンションがよりしなやかに動き、乗り心地と操縦性が高い次元で両立するという。レーシングカーの開発で得たノウハウを注ぎ込んだマツダ・スピリット・レーシングの足まわり開発思想を、今度は1.5Lモデルへとフィードバックさせたものだという。

「ロードスターってこんなにまだ軽快にできるのかと感動してもらえるはず。ぜひ試乗して確かめてほしい」と主査は言い、ボクの名前を指名してそのことを記事にしてほしいと会場で笑いながら頼んできた。こんなに嬉しいプレッシャーのかけ方があるだろうか。だが、ぜひ乗ってみたいと思った。

なおこの足まわりの変更はRSグレードのビルシュタイン装着車の幌モデルにも適用されるそうだ。騒音規制(フェーズ3)対応のために排気系を大型化し、タイヤも専用の静粛性の高いものに替えたが、グリップ性能は従来と同等に保っているとのことで、この点も安心材料だ。

40周年、つまり2029年に向けた話も出た。もちろん記念限定モデルは出すという。さらに齋藤主査が温めている構想として「ロードスター100名道」というプロジェクトが披露された。日本全国にあるロードスターで走ったら楽しいだろうという道や景色を、ユーザーからの投票と自身の足で巡って実際に選定し、2028年にリリースして、2029年の40周年にユーザーと一緒にその場所を走るという。主査自らが日本中を走り回るこのプランに、会場からは大きな拍手が上がった。

他のゲストについても触れておこう。

「スポーツカー人馬一体ミュージアム」構想を語る貴島孝雄さん。

初代NAロードスターの開発メンバーに始まり、2代目NBと3代目NCの主査を務め、その後山口東京理科大学で長年教壇に立ってきた貴島孝雄氏は、今年8月から広島県安芸高田市のサーキットを核にした「スポーツカー人馬一体ミュージアム」のプレオープンを控えていることを明かした。廃校になった小学校をミュージアムとして活用し、この人がいなければロードスターは生まれなかったのでは?とさえ言われる初代NA主査を務めた平井敏雄氏の遺品なども展示する構想で、トヨタGRとの縁もある現地の拠点と連携しながら若い自動車エンジニアや愛好者を育てる場を作ろうというのだ。

2016年にNDロードスターが、ワールド・カー・オブ・ザ・イヤーとワールドデザイン・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した時のトロフィーを持つ、当時のチーフデザイナー中山雅さんと当時の主査山本修弘さん。

また山本修弘氏(NDロードスター開発主査)は、神戸の自動車整備専門学校「マステック神戸」の初代校長に就任したことを報告。今年4月の入学式には21名の第1期生が集まり、学校が完成する前から入学者を募集せざるを得なかったというドタバタの開校秘話も語られた。

マツダ副社長も務めた藤原清志さんは、ND開発時の衝撃的なエピソードを披露。

あくまで「ファンの1人」として参加の藤原清志氏(元マツダ代表取締役副社長・COO)は、NDロードスターを「800kgで1.5L」という方向性で突き進む際に、マーケットの要望に合わせ初代NAから3代目NCへと次第に大きくなってきた歴史を知る社内からの「そんな小さくして本当に売れるのか。1.5Lにして売れたデータがあるのか?」という大きな壁を一言で黙らせたエピソードを語ってくれた。

「(経営畑の)2人が売れないって言うなら、つまり売れるってことだな」と言ったら会議室がシーンとして、それ以降誰も文句を言わなくなったという。あの軽量・コンパクトなNDが生まれた背景に、こういう人物がいたわけだ。

藤原さんが推し進めてくれなかったらNDは生まれなかったかも知れない、ということで、軽井沢ミーティング実行委員会より、愛車の前で花束と感謝状が送られた。

トークショーにはこの他に、NAから常にロードスターの幌の骨組みと生地を作り続けてくれている東洋シートの担当から、新しくデニムを素材とした幌はどうか?など、ファンの声を拾いに来ていることが語られた。

また、マツダ社内部門からは、マツダコレクション担当よりやはり広島の企業が作るスピングルとコラボしたスニーカーのお披露目、クラシックマツダからはヒーターコアの復刻外部生産など、その活動報告がなされていた。

さて、改めて考えてみると、このトークショーに登壇したゲストたちは、軽井沢ミーティング実行委員会が個別に声をかけて招いた人たちだ。マツダは協賛してもいないし、スポンサーでもない。マツダ社員の出張参加者28名の参加費も、しっかり徴収される。イベントを利用させてもらっている側なのだ。

それにしてもなぜ、こんなに密度の高いファンとの接点が生まれるのか。ここには元マツダ社員でありM2の運営を担当していた水落正典さんの存在が欠かせない。

M2とは1990年代初頭にマツダが設立した、ユーザーとの接点を大切にするための拠点で、マツダ車をベースとした特別な車両、ロードスターをベースとしたM2 1001や1002、1028などクルマそのものをリリースしたり、様々なイベントでファンとメーカーが直接つながる場として機能していた。しかしバブル崩壊とともにM2は閉じられてしまい車両開発はできなくなったが、そのファンコミュニケーションのためのスピリットは水落さんとともにマツダを離れた。

水落さんはロードスターのファンとの接点を外部で守り続け、この軽井沢ミーティングをはじめとするコミュニティを後方から支援し続け、育ててきた。その結果として今、マツダ現役のエンジニアやデザイナー、かつて開発や経営に携わった人たちなどもここに集まり、ここでしか話さないような本音を語る場が生まれている。マツダとしても、開発の方向性にも、マーケティング的にもうまく利用することが可能となっているわけだ。世界的に見ても、これほどメーカーとオーナーが対等かつ率直に向き合えるイベントは珍しいのではないだろうか。

ボクはM2発足直前から水落さんと知り合い、M2が無くなる前後も見てきたし、何かあるたびに話をさせていただいてきた。これまで軽井沢ミーティングには、恐らく34回のうち8割くらいはメディアとして参加取材させていただいてきた。

「たられば」かもしれないが、もしあの時、水落さんが外部として引き継がず、メーカーであるマツダがM2のファンコミュニティ機能を続けていたなら、このような本音で語れる場にはなっていないだろう。メーカー主催のファンイベントは、どうしてもクルマを作って売る側のお祭りへ、お客様を招待し喜んでもらう図式となる。自動車メーカーと個々のユーザーだけで自動車文化を育てるのは非常に困難だと思えるのだ。

今後水落さんは、軽井沢ミーティングを日本の自動車文化のひとつとして継続的に維持していくため、軽井沢ミーティング実行委員会の名を残しつつ、財団を立ち上げ、その業務のひとつとしてサポートしていく体制を整えつつある。

来年はジンクグリーンのロードスターを始め、今年同様に多くのロードスターが軽井沢に集まってくるだろうし、マツダからも40周年に向けた新しい話題、もしかすると新しいロードスターの話題も出てくるかもしれない。

そしておそらく水落さんや実行委員、そしてボランティアの面々、マツダの社員やOBたちは、来年も参加費を自分で払い、ユーザーとその愛車を笑顔で迎える。

その精神が続く限り、軽井沢ミーティングはロードスター乗りにとって特別な場所であり続ける。その継続こそが、ひとつの自動車文化というものなのだ。

PHOTO&REPORT:小林和久

「ND型ロードスターに欧州の艶感を」クラッシュカーボンで激変するスタイルに大注目!

純正の良さを活かしながら、ワイド&ローのシルエットへと進化させるND型ロードスター用ボディキット。クラッシュカーボンの独特な質感が高級感を演出し、従来のスポーツ系カスタムとは一線を画すスタイルを実現。今どきの“魅せるカスタム”がここにある。