歴史から紐解くブランドの本質【ロールス・ロイス編】

ロールス・ロイスが高級車の代名詞となったのはいつか?【歴史に見るブランドの本質 Vol.32】

静粛性をアピールするためテスト用の個体はシルバーに塗られていたこともあり、「シルバーゴースト」とニックネームが与えられた。
静粛性をアピールするためテスト用の個体はシルバーに塗られていたこともあり、「シルバーゴースト」とニックネームが与えられた。
自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

ROLLS-ROYCE

二人のRから始まった歴史

世界中の誰もが最高級車として認知しているブランド、ロールス・ロイス。その二つのRのひとつ、チャールズ・ロールスは貴族階級出身で、自動車の魅力に取り憑かれていた。まだ18歳だった1896年、当時自動車先進国だったフランスに行き、プジョーを購入する。その後パナールも購入し、モータースポーツにも積極的に参戦した。

大学卒業後、当時の高級高性能車であるフランスのパナールやベルギーのミネルヴァを輸入する会社を立ち上げ、ロンドンに大きなショールームを開設した。売れ行きは良かったが、扱う商品がすべて外国製だったことがイギリス貴族であるロールスには不満だった。

もうひとつのR、ヘンリー・ロイスはたたき上げの職人で、20歳の時に電気器具工場を設立する。ロイスは発明家ではなかったが完璧主義者であり、彼の作る製品は高品質で耐久性も高く評判となり、会社は順調に発展していた。

瞬く間に貴族階級に浸透したブランド

1904年、ロイスが完成させた2気筒10HP。オーソドックスな設計だが非常に高い工作精度で造られていた。

ある程度財を成したロイスは1902年、フランスのデコービルという自動車を購入する。しかしロイスにとってその品質と作りの悪さは耐えられないものだった。改良のための部品を製作したものの、最終的にすべて自製しなければ満足するものができないと悟り、独自の車を作り上げることを決意する。

ロイスは1904年、2気筒10HPモデルを完成させる。10HPはオーソドックスな設計だが非常に高い工作精度で造られていた。この試作車が優れたイギリス製の車を求めていたロールスの目にとまり、ロイスに独占販売を申し入れる。そしてロールスはこの車をロールス・ロイスと名付けて即座に生産・販売することにしたのである。

ロールス・ロイスとなった10HPはこの時点で既にパルテノン神殿をかたどったラジエーターとRを2つ重ねたエンブレムを備えていた。豊富な資金源を得たロイスは矢継ぎ早に3気筒15HP、4気筒20HP、6気筒30HPと開発し、その高い品質は評判を呼び、イギリス貴族階級に瞬く間に浸透していった。

ロイスは最高の車を目指すべく、ガソリン車の活発さと電気自動車の静粛性を併せ持つものを目標とした。当時、ガソリンエンジンはまだ未成熟で、電気自動車とガソリン車は拮抗していたのである。

ニックネーム「シルバーゴースト」

ロールス・ロイスの名声を決定づけたのは、設立2年後の1906年に登場した、新設計の6気筒7ベアリングエンジンを搭載した40/50HPである。ロイスこだわりの精緻なクルマ造りにより素晴らしい静粛性と信頼性・耐久性を備えていた。

このモデルの実力を実証するため、15000マイルに及ぶ耐久性を実証する公開テストを行った。このテストに供された個体はシルバーに塗られており、静粛性をアピールするため「シルバーゴースト」というニックネームが与えられていた。このテストは大成功を収め、以降このモデルはシルバーゴーストいう名で販売されるようになった。

ロールス・ロイスは1922年までシルバーゴースト1車種のみの展開だったが、このシルバーゴーストによってロールス・ロイスは圧倒的な品質と静粛性で世界的な名声をごく短期間で築きあげることに成功したのである。

1959年型のモーリス ミニ・マイナー。

MINIはいつからプレミアムコンパクトカーブランドになったのか?【歴史に見るブランドの本質 Vol.31】

自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

キーワードで検索する

著者プロフィール

山崎 明 近影

山崎 明

1960年、東京・新橋生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業、同年電通入社。1989年スイスIMD MBA修了。…