歴史から紐解くブランドの本質【ロータス編】

なぜロータスはライトウェイトスポーツカーの代表となったか【歴史に見るブランドの本質 Vol.29】

1962年に発表され、今でも最高のスポーツカーの1台として初期のロータスを代表するエラン。
1962年に発表され、今でも最高のスポーツカーの1台として初期のロータスを代表するエラン。
自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

モータースポーツの虜に

中古のオースチン・セブンをベースとしたロータス・マーク1。助手席に座るのは妻のヘイゼル・チャップマン。

ロータスはご存知の通りコーリン・チャップマンによって創設されたレーシングカーコンストラクターであり、スポーツカーメーカーである。ロータスエンジニアリング社が産声を上げたのは1952年。従業員はコーリン・チャップマンとマイケル・アーレンの二人だけ。場所はコーリンの父親が経営するホテルの馬小屋だった。しかし、この時点で既にLOTUSの文字と自らの名前のイニシャルであるACBCをかたどった貝殻型のロゴは完成していた。

コーリンはまだロンドン大学工学部の学生だった1947年、中古のオースチン・セブンをベースとしたスペシャルの製作を思い立つ。そして、このクルマにロータス・マーク1という名を付けたのだ。なぜロータスなのかという理由については公式な記録はないが、第一期ホンダF1の監督だった中村良夫の著書『グランプリ2』(二玄社)に中村がコーリンから直接聞いた話として、当時コーリンは東洋哲学や仏教に関心を持っていて、それ故に蓮を意味するロータスという名を与えた、という記述がある。

このマーク1でトライアル競技に参加したコーリンは、モータースポーツの虜になり、より競争力の高い車を作ろうと志す。3台目のマーク3は、サーキットレースを目指し、当時の750フォーミュラという規格に則って製作された。このマーク3はレースで好成績をあげ、イギリスのモータースポーツ界でロータスの名は知れ渡ることとなる。コーリンは1952年、市販化を狙ったモデル、マーク6を完成させる。従業員はまだ3人しかいなかったが、週1台のペースで100台以上のマーク6が作られた。ただしマーク6は完成車としては売られず、キットフォーム販売だった。

ライトウェイトスポーツの理想型

画期的なFRPモノコックをもつエリート。ヒルクライムイベントに参加したドライバーはジム・クラーク。
画期的なFRPモノコックをもつエリート。ヒルクライムイベントに参加したドライバーはジム・クラーク。

ロードカーとしては1957年、現在のケータハムにつながるセブンと画期的なFRPモノコックをもつエリートを同時に発表・発売した。どちらも小型軽量で俊敏、パワーは少なくとも優れた操縦性で素晴らしいスポーツカーに仕上がっていた。

エリートのFRPモノコックの欠点を修正し、スチール製バックボーンフレームを持つエランは1962年に発表され、今でも最高のスポーツカーの1台として初期のロータスを代表するモデルとなった。エランをミッドシップにしたような構造の1966年登場のヨーロッパも素晴らしい小型ライトウェイトスポーツカーであり、1970年代初頭までのロータスはまさにライトウェイトスポーツの理想型として一貫したブランドイメージを築きあげたのであった。

コーリン亡き後は低迷

1985年のF1。エリオ・デ・アンジェリスとサイドポンツーンに座るアイルトン・セナ。
1985年のF1。エリオ・デ・アンジェリスとサイドポンツーンに座るアイルトン・セナ。

ロータスは1958年からF1にも参戦、1960年モナコグランプリで初勝利を挙げる。1963年には画期的なモノコックボディを持つロータス25で10戦中7勝を挙げワールドチャンピオンを獲得したのを皮切りに1960年代に3回、1970年代に4回コンストラクターチャンピオンを獲得、F1を代表するチームへと成長する。

1970年代に入るとロードカーは高級高性能路線へと舵を切るが結果的に失敗に終わり、1980年代に入るとロータス車の販売は低迷する。1982年、コーリンがこの世を去ったあとはF1でも低迷・撤退の道を進んだ。ロータスが本格的に復活するのは、1995年に発表される本来のロータスらしいライトウェイトスポーツ、エリーゼまで待たねばならなかった。

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著者プロフィール

山崎 明 近影

山崎 明

1960年、東京・新橋生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業、同年電通入社。1989年スイスIMD MBA修了。…