【アストンマーティンアーカイブ】記念すべき1台目のDB「2リッター・スポーツ/DB1」

初めてDBと名付けられた「2リッター・スポーツ/DB1」とは? 記念碑的モデルを振り返る【アストンマーティンアーカイブ】

デイビッド・ブラウン体制下で開発された初めてのクルマ「2リッター・スポーツ/DB1」。1948年9月のロンドン・モーターショーで発表された。
デイビッド・ブラウン体制下で開発された初めてのクルマ「2リッター・スポーツ/DB1」。1948年9月のロンドン・モーターショーで発表された。
昨年、創業110周年を迎えたアストンマーティン。その歴史は必ずしも順風満帆というわけではなかったが、だからこそ、語り継がれるドラマがある。この連載では今につながる「DB」の1台目を解説する。

2 Litre Sports /DB1(1948-1950)

デイヴィッド・ブラウン体制下で開発された初のモデル

ラゴンダ出身のフランク・フィーレイがデザインした流麗な2シーターオープンボディ。ロングノーズ&ショートデッキのプロポーションを持つ。
ラゴンダ出身のフランク・フィーレイがデザインした流麗な2シーターオープンボディ。ロングノーズ&ショートデッキのプロポーションを持つ。

1913年にレーシングドライバーでもあったルイス・ズボロフスキー伯爵の支援を受け、ロバート・バムフォードとライオネル・マーティンという2人の青年によって設立されたアストンマーティン。当初の社名はバムフォード・アンド・マーティンだったが、イソッタ・フラスキーニのシャシーに自製のエンジンを搭載した1号車がアストン・クリントンで行われたヒルクライムで好成績を収めたのを機にアストンマーティンを名乗るようになった。その後1922年にバムフォードと別れたマーティンが経営を引き継ぐが、1924年にズボロフスキー伯爵がレースで事故死すると経営が悪化。結局、マーティンも会社を離れることとなった。

1926年にアストンマーティンはアウグストゥス・チェーザレ・ベルテッリの手に渡り、彼のもとで名機1.5リッター直4OHCエンジンを開発。インターナショナル、アルスター、ル・マンといった名車を生み出すが、経営状況が不安定で1936年にはアーサー・サザーランドの手に渡るなど流転を繰り返す。

第2次大戦後、タイムズ紙にサザーランド家がアストンマーティン売却の広告を出すと、トラクターやトランスミッションの製造で有名なデイヴィッド・ブラウン・リミテッドを率いるデイヴッド・ブラウンが名乗り出て、1947年に買収が成立。ブラウンは翌年に高級車や高性能スポーツカーを得意としてきたラゴンダ社も買収し合併。1950年に社名をアストンマーティン・ラゴンダ・リミテッドへと変更している。

そのデイヴィッド・ブラウン体制下で開発された初めてのクルマとして1948年9月のロンドン・モーターショーで発表されたのが「2リッター・スポーツ/DB1」だ。これはサザーランド体制下の1939年にクロード・ヒルが試作した幻のスポーツサルーン、アトムのスチールフレームシャシーをベースとしたもので、フロントトレーリング式、リヤリジッド式のサスペンション形式もアトムと変わらないものの、リヤサスペンションのスプリングが半楕円リーフからコイルに変更されているのが特徴といえた。

DB1の名は1950年にDB2が発表された後に

デイヴィッド・ブラウン。アストンマーティンの黄金期を創出した。
デイヴィッド・ブラウン。アストンマーティンの黄金期を創出した。

エンジンはヒルが戦時中から開発を続けていた1970ccの直列4気筒OHVユニットで、2基の1 1/2インチSUキャブレターを組み合わせることにより91PSの最高出力を発生。ギヤボックスはデイヴィッド・ブラウン製の先進的なオールシンクロ4速MTが搭載されている。

11ヵ月でデザインから製造にまで辿り着いたというロングノーズ&ショートデッキのプロポーションをもつ流麗な2シーターオープンボディはラゴンダ出身のフランク・フィーレイが担当。彼が手がけた中央の縦長のラジエターグリルと、左右の小さなグリルの組み合わせは、その後のアストンマーティンのアイデンティティとなるベーングリルの元となった。

サイクルフェンダーをもつプロトタイプが1948年のスパ・フランコルシャン24時間レースにセント・ジョン・ホースフォールとレスリー・ジョンソンのドライブで出場し、いきなり優勝を遂げたこともあって多くの期待を集めた「2リッター・スポーツ」だが、市販モデルの販売は3000ポンドという高価格と2740mmのロングホイールベースと重い車重に起因する鈍重な運動性能によって低迷。11台のコンプリートモデルと、1台のローリングシャシー、そして後継のDB2の発表後オープンモデルを所望するオーナーのために追加で作られた3台のコンプリートモデルの、合計15台の製造に留まっている。

ちなみにその正式名称はアストンマーティン・2リッター・スポーツで、DB1というモデル名は1950年にDB2が発表されたことを受け、便宜上呼ばれるようになったものだ。とはいえ、この2リッター・スポーツ/DB1が、その後に黄金期を迎えるデイヴィッド・ブラウン体制下のアストンマーティンの最初の偉大な一歩になったのは、紛れもない事実である。

映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』でスタントを務めたレプリカ「アストンマーティン DB5」。映画『007』シリーズ60周年を記念したチャリティオークションにかけられ、292万2000ポンド(当時約4億6700万円)で落札されたという。

ボンドカーで確立した「アストンマーティン」ブランド【歴史に見るブランドの本質 Vol.25】

自動車メーカーは単に商品を売るだけではなく、その歴史やブランドをクルマに載せて売っている。しかし、イメージを確固たるものにする道のりは決して容易ではない。本連載では各メーカーの歴史から、そのブランドを考察する。

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著者プロフィール

藤原よしお 近影

藤原よしお

クルマに関しては、ヒストリックカー、海外プレミアム・ブランド、そしてモータースポーツ(特に戦後から1…