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オートモビルカウンシル会場の一等地を陣取るイギリスの名門・アルヴィス
2023年4月14~16日にかけて幕張メッセで開催された『オートモビル・カウンシル2023』。会場の入り口近くの一等地に陣を張ったのがアルヴィス・ジャパンのブースだ。アルヴィスの社名を聞いてパッとブランドがイメージできる人はベテランの英国車ファンだけだろう。もしくは陸戦兵器を守備範囲とするミリタリーファンか。いずれにしても一般のエンスージアストからは半ば忘れられつつあるメイクスだ。
FWD・四輪独立懸架・世界初のシンクロメッシュ・トランスミッションなど
新技術を意欲的に取り込んだ戦前のアルヴィス
アルヴィスの前身となるTGジョン&カンパニーが創業したのは1919年のことだ。創業者のトーマス・G・ジョンがコベントリーにあったキャブレターメーカーのホーリーブラザーズを買収し、据え置き式の産業用エンジンやキャブレター、スクーターなどを生産を開始したことから同社の歴史は始まる。
そして、創業とほぼ同時にエンジニアのジェフリー・ド・フレヴィルに、アルミ製ピストンを採用した画期的な設計の1.5L直列4気筒SV(サイドバルブ)エンジンの製作を依頼し、1920年にこのエンジンを搭載した同社初の乗用車10/30を発表。性能と品質の高さから瞬く間に評判となった。
これによって地歩を確実なものにすると、1921年に社名をアルヴィス・カー&エンジニアリング・カンパニー・リミテッドへと改名し、生産工場をコベントリーのホーリーヘッドロードへと移した。
こうして自動車メーカーとして歩み出したアルヴィスは、1923年にディムラーからG・T・スミス=クラークを主任技術者兼工場長へと引き抜き、主任設計者にはともに移籍したウィリアム・Mが就任した。
このふたりのコンビは、その後四半世紀以上にわたって続き、12/40や12/50などの10/30の改良型にはじまり、12/75などのFWD車、同社初の直列6気筒エンジンを搭載した14.75、SA~SDまでのシリーズが作られた高級スポーツサルーンのスポーツ20などはすべて彼らの作品である。
戦前のアルヴィスを総括すると、創業間もない1920年代は小排気量の高性能車、1930年代以降は直6エンジン搭載車を主力とした高性能サルーンを製造し、前輪駆動レーシングカーのパイオニアとして1925年のインディ500や1928年のル・マン24時間レースなどを含む内外のモータースポーツで活躍。
さらには技術志向の強いメーカーとして、独立懸架や前輪駆動などの当時としては先進的なメカニズムを採用し、さらにはイナーシャーロック式のフルシンクロメッシュ・トランスミッションを世界に先駆けて採用(コンスタントロード式のシンクロメッシュは1928年にアール・A・トンプソンが開発し、翌1929年にキャデラックが採用。こちらが世界初のシンクロメッシュ となる)するなどしてその名声に磨きをかけて行った。
第二次世界大戦によって狂う運命の歯車
高級車市場の縮小によるローバーとの合併から1967年に自動車生産から撤退
しかし、順風満帆に見えたアルヴィスの運命を狂わす出来事が1939年に発生する。そう第二次世界大戦の勃発だ。イギリスは開戦とともに乗用車の生産を禁止し(解禁は戦争終結後の1946年)、さらに1940年11月のドイツ空軍のコヴェントリー爆撃で自動車工場は半壊した(同社の兵器工場と航空エンジン製造工場は難を免れた)。
戦後になって、戦前のモデルである12/70をベースにしたTA14で自動車の生産を再開したアルヴィスであったが、戦後の社会情勢のもとでは高級車市場は極めて低調で、さらには大型車に対する重課税により厳しい再出発となった。ようやく戦後モデルが発表したのは1950年のTA21からとなる。だが、すっかり企業としての体力を失っていた同社は、以後このモデルをベースに1966年誕生のTF21まで改良を加えながら生産を続けた。
1965年にローバーがアルヴィスの資本を握ると、ローバー製V型8気筒エンジンを搭載したミッドシップスポーツカーのP6BSが開発が進められたが、ローバーがレイランドと合併し、国営企業のブリティッシュ ・レイランドが成立したことにより、プロトタイプが1台製作されただけでこの話は立ち消えとなった。
これ以降、アルヴィスは乗用車生産から撤退して軍用車の開発・製造に活路を見出す。FV601サラディン6輪装甲車やFV101スコーピオン軽戦車、FV430トロージャン装甲兵員輸送車など、現在でも各国で運用が続けられているこれらの装甲車両はすべてアルヴィスが開発したものだ。
2002年にはロールス・ロイスから兵器メーカーのヴィッカースを買収したが、2004年にBAEシステムズの傘下に入り、BAE システムズ・ランド・アンド・アーマメンツへと改組されたことにより歴史あるアルヴィスの社名は一時消滅した。
オートモービルカウンシルの会場に並ぶ戦前・戦後のアルヴィスの名車
アルヴィスの歴史をざっと紹介したところで、話を再びオートモビル・カウンシル会場へと戻す。
今回ブースに並べられたアルヴィスは全部で5台。そのうち目玉となるのは、1927年10月15日の「JCC200マイルレース」に2台が参戦した1927年型アルヴィスFWDストレート8グランプリ・カーだ(このクルマについては次回詳しく解説する)。
それ以外の展示車両は、1950年型アルヴィス1.9L TB14ロードスターと1964年型アルヴィス3.0L TE21パークウッド・ドロップヘッドクーペ、そして、2020年型アルヴィス4.3バンデン・プラ・ツアラー、2022年型アルヴィス3.0Lグラバー・スーパークーペだ。
いずれも往年のアルヴィスを代表する名車である。だが、ちょっと待ってほしい。
4.3バンデン・プラ・ツアラーと3.0Lグラバー・スーパークーペの製造年は2020年と2021年と説明書きがされている。本来の製造年は前者が1937~40年、後者は1964~66年になるはずだ。いったいこれはどうしたことだろうか?
レプリカではない? 新生アルヴィスの「コンティニュエーション」シリーズ
これらの車両は2012年に復活した新生アルヴィスで製造された車両だ。と言ってもレプリカではない。
じつはアルヴィス4.3は150台の製造認証を受けていたが、戦争の影響で1940年までにラインオフした車両は73台に留まった。残りの77台に関してはシャシーナンバーが割り振られたまま生産されずに宙に浮いていたわけである。
そこで残りのシャシーナンバーをあらためて製造しようというのが、新生アルヴィスのコンティニュエーションシリーズなのだ(アルヴィス3.0Lについても同様)。
そうなると気になるのが、現在の厳しい法規対応に合致しない古い設計のモデルが公道を走れるのか、走れたとしても余計な安全装備が付くことでオリジナルの美しさが損なわれてしまわないか、という点だ。
しかし、現在のイギリスの法律では生産が年間300台を超えないメーカーに関しては、現代の安全装備や排気ガス規制をクリアさせる必要がなく、ナンバー取得を可能としているとのこと。また、日本でも割り振られた車体番号を根拠に、当時作られた年式での登録が可能になるため、エアバッグや衝突被害軽減ブレーキ、シートベルトなどの装備を取り付けなくともナンバー取得が可能となる。
すなわち、展示車両のアルヴィス4.3バンデン・プラ・ツアラーは製造は2020年だが、登録上は1937年製となるのだ。
現代の交通環境に合わせて見えない部分を近代化
だが、エクステリアとインテリアは生産当時のまま
また、コンティニュエーションシリーズは現代の交通環境に合わせるため、当時の姿そのままというわけではなく、SUキャブを電子式燃料噴射に、ドラムブレーキをディスクブレーキに、ウォーム&ローラーのステアリングをラック&ピニオンに置き換えるなどの近代化が図られている(顧客が望めば当時のスペックでの注文も可能らしい)。これにより排気ガス規制もクリアし、合法的にドライブを楽しめるわけである。
気になるお値段は6000~7000万円ほどと絶対的には高価だが、公道走行ができない車両も少なくない他社のリプロダクションモデルが1億円以上することを考えると相対的にはリーズナブルと言える。
アルヴィスの輸入販売元は1950年代に同社の正規販売店を務めていた明治産業(アルヴィス・ジャパン)だ。コンティニュエーションシリーズ以外にもレストア済みの車両の販売、整備・レストア、パーツ供給などを手掛けているので、アルヴィスの購入を考えている人は1度ショールームを訪れてみると良いだろう。
読者の方のご指摘により一部修正させて頂きました。謹んでお詫びを申し上げるとともに、訂正させて頂きます。 2023年4月27日更新