【画像50枚】1993年のサファリラリーで優勝した軽自動車!? スバル・ヴィヴィオ・グループAが完全レストアで当時の勇姿とサウンドが甦る!

2024年8月4日(日)、福島県のエビスサーキットにスバルがWRCで走らせた本グループAマシンが4台も集結するイベント『グループAラリーカーミーティング』が開催された。展示車両の1台、ヴィヴィオRX-Rについて詳細に紹介しよう。

インプレッサWRX!レガシィRS!ヴィヴィオRX-R!本物のWRCマシンが並んだ『グループAラリーカーミーティング』

2024年8月4日(日)、福島県のエビスサーキットにスバルがWRCで走らせた本グループAマシンが4台も集結するイベント『グループAラリーカーミーティング』が開催された。並んだマシンはレオーネRX、レガシィRS、インプレッサWRX、そして今回がレストア後の初のお披露目となったヴィヴィオRX-Rだ。いずれもWRC参戦歴のある本物。そんな貴重なイベントの様子を紹介しよう。

スバルの軽自動車ヴィヴィオとは?

スバルが1992年3月に前モデルであるレックスからフルモデルチェンジする形でリリースされ、1998年の軽自動車規格改定に合わせる形で生産終了となった。
当時のスバルはメーカーイメージの刷新を進めており、1989年のレガシィ、1991年のアルシオーネSVXと次々と新型車を投入しており、ヴィヴィオも「ドライバーズ・ミニセダン」と謳われ”走り”の良さを追求していた。この流れは同年11月のインプレッサ登場で一旦の完成を見ることになる。

それはトップグレードである「RX-R」に象徴され、EN07型658cc直列4気筒DOHC16バルブにスーパーチャージャーとインタークーラーで過給したエンジンを搭載。前後ストラット形式の四輪独立懸架サスペンションにビスカップリング式フルタイム4WDを採用(FFも設定あり)。トランスミッションは5速MTのみという設定で、軽自動車の枠を超えた高い走行性能を実現していた。

ヴィヴィオRX-R

モータースポーツでも、当時の全日本ラリー選手権における最小排気量クラスにおいて、デビュー初年度からスズキ・アルトワークス、ダイハツ・ミラターボと三つ巴の戦いを繰り広げ、その高性能ぶりをアピールした。

スバル・ヴィヴィオRX-R(1992年3月)
ボディサイズ:全長3295mm×全幅1395mm×全高1375mm
ホイールベース:2310mm
車両重量:700kg(FF)/750kg(4WD)
最小回転半径:4.9m
エンジン:EN07型水冷4サイクル直列4気筒DOHC+インタークーラー付きスーパーチャージャー
排気量:658cc
最大出力:64ps/7200rpm
最大トルク:9.0kgm/4000rpm
駆動方式:FF/ビスカスカップリング式フルタイム4WD
サスペンション(前/後):L型ロワアーム+ストラット独立懸架/デュアルリンク+ストラット独立懸架
ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ドラム
タイヤ:155/60R13(FF)/155/65R13(4WD)
新車価格(当時):110万円(FF)/122万円(4WD)

1993年のサファリラリー

1993年のWRC(世界ラリー選手権)は絶対王者ランチアワークスが撤退。トヨタ、三菱、スバルの日本車3メーカーとフォードの4ワークスで争われていた。その第4戦サファリラリーは、ワークス参戦はトヨタが4台エントリーの必勝体制を敷く一方、他3ワークスはエントリーしなかったことから、トヨタが1-2-3-4位を独占。あわせて、ワークスセリカのハンドルを託された岩瀬晏弘選手が4位となり、当時のサファリラリー日本人最上位(これまでは1983年の高岡祥郎/スバルと1990年の篠塚健次郎/三菱の5位)を更新したラリーとして広く知られている。

4位でフィニッシュした岩瀬晏弘選手のペア(PHOTO:AUTOSPORT IWASE)

潤沢な資金力を持つトヨタがサファリ制覇に意欲を見せるのに対し、当時の壮大かつ特殊なサファリラリーの参戦コストが高さはトヨタに比べると資金力やチーム体制で劣る他3ワークスの参戦回避に繋がった。後にワークスチームのシリーズ全戦参戦が義務付けられると、サファリラリーはラリーフォーマットを圧縮を迫られ、最終的にはWRCから外れることにつながっていくのだが、それはまた別の話。

1993年のサファリラリーに挑むトヨタワークス(TTE)の陣容。左からユハ・カンクネン、マルク・アレン、イアン・ダンカン、岩瀬晏弘の各車。地元スペシャリスト(ダンカン)を含むサファリ経験の豊富なクルーを揃え、万全のサービス体制を敷き、サファリ専従チームはレッキやテストに約1年を掛けたといわれる。(PHOTO:TOYOTA)

とはいえ、日本ではサファリラリーの認知度や訴求力は相変わらず高く、三菱はデビューしたばかりのランサーエボリューション(I)を篠塚健次郎に託し、ダイハツも恒例のシャレードを3台投入するなど、セミワークス体制でエントリーしている。

三菱は篠塚健次郎選手が新型のランサーエボリューションを走らせるもリタイヤ。
ダイハツはシャレード3台がトヨタに続く5-6-7位でフィニッシュし、クラス優勝(グループAクラス7)。

また、スバルも1980年の初参戦以来、サファリラリーへの参戦を毎年恒例としていた。1980年代のスバルのラリー活動はプライベートチームをメーカーが支援するセミワークス体制だった。しかし、1990年にプロドライブとのジョイントにより正式なワークス体制へ移行した後も、サファリラリーはプロドライブではなくこれまでどおり日本主導のセミワークス体制で参戦している。ちなみに、スバルワールドラリーチーム(プロドライブ)がサファリラリーにエントリーするのは1996年以降となる。

レガシィか?インプレッサか?いや、ヴィヴィオだ!

故・小関典幸氏が率いたチーム「SMSG」。小関典幸氏はその人柄から”親分”と呼ばれ親しまれていた。

そんなスバルのセミワークスチームが「SMSG(スバルモータースポーツグループ)」だ。スバルのテストドライバーで、1964年の第2回日本グランプリでは大久保力選手に続き2位に入りスバル360の1-2フィニッシュに貢献しただけでなく、初期スバルのモータースポーツ活動で重要な役割を担った故・小関典幸氏が設立したモータースポーツクラブ「上州オートクラブ」を母体とするチームで、1973年から海外でのモータースポーツに参戦。アメリカの「バハ1000」や「ロンドン〜シドニーマラソンラリー」を経て1980年にWRC・サファリラリーに挑むに至った。

1964年の第2回日本グランプリ(T-1クラス)。9号車は優勝した大久保力選手。

以来、SMSGは毎年サファリラリーへの出場を重ね、もちろん1993年もエントリーしている。しかし、その参戦車両は1990年からスバルのWRC主戦マシンを務めていたレガシィRSでもなく、1992年11月にデビューしたインプレッサWRXでもなく、軽自動車のヴィヴィオRX-Rだった。

1993年のサファリラリーに出走したヴィヴィオRX-R(グループA)。

なぜレガシィRSでもインプレッサWRXでもなくヴィヴィオRX-Rを、誰がどうして選んだのか……今回の『グループAラリーカーミーティング』を主催し、このヴィヴィオRX-Rをレストアした故・小関典幸氏のご子息、小関高幸氏に訊いてみたところ、レガシィRSはすでにモデル末期でWRCマシンはインプレッサWRXへの交代が既定路線。かといってサファリラリー参戦を決める時点ではインプレッサWRXはまだまだ準備不足(インプレッサWRXのデビューは1992年11月。1993年のサファリラリーは4月開催だが、準備はそのかなり前から始まる)。

1993年8月、第8戦ニュージランドラリーでWRC悲願の初優勝を遂げたスバルとレガシィRSとコリン・マクレー。(PHOTO:SUBARU)
同じく8月にレガシィの優勝を待って満を持して第9戦1000湖ラリーでデビューを飾ったインプレッサWRX。(PHOTO:SUBARU)

その間にあったのがヴィヴィオRX-Rだったというのがひとつ。そして何より”、”軽自動車でサファリラリーに出たら面白い”というのが大きな理由だったらしい。もちろん、選んだのは”親分”だったとのことだ。
かくしてヴィヴィオRX-RはグループAラリーカーに仕立てられ、軽自動車として初めてサファリラリーに挑むことになった。

ケニヤの英雄がクラス優勝の快挙!コリン・マクレーも激走!

SMSGがエントリーしたヴィヴィオRX-Rは3台。ワークスドライバーとして成長著しいコリン・マクレー、地元ケニヤの英雄パトリック・ジル、全日本ラリーでインプレッサWRXを走らせる石田正史の各選手がステアリングを握った。
軽自動車が過酷さで鳴るサファリラリーに参戦するというだけでも驚きだが、プロドライブの秘蔵っ子ワークスドライバーがドライブするということで大いに話題を攫った。

コリン・マクレー/デレック・リンガー組のヴィヴィオRX-R(6号車)。(PHOTO:SUBARU)

その起用について小関高幸氏によると、当時ワークスドライバーとして修行中だったマクレーがサファリでテスト走行をしていたことから、そのまま乗せてしまった……というような経緯だったとか。ヴィヴィオRX-Rの選択と合わせて世間をアッと言わせようとしていた”親分”の思惑が感じ取れる。

マクレー車のみカラーはワークスと同様の群青で、1993年からスバルワールドラリーチームのメインスポンサーとなった「555」タバコのロゴも入っていた。(PHOTO:SUBARU)

というのも、マクレーに関しては「完走など考えず、行けるところまで全開で行け!」という”親分”のオーダーがあったことが当時のメディアにも語られている。
その指示に違わず、マクレーは第1LEGでトヨタワークスのセリカGT-FOURに割って入る4位まで順位を上げるものの、サスペンションを壊してタイムアウト。リタイヤとなったものの、その走りは多くの人に衝撃を与えた。

ジル車と石田正史車はスポンサーのT-BiRDカラーのイエロー。(PHOTO:SUBARU)
7号車がパトリック・ジル組、8号車が石田正史車。(PHOTO:SUBARU)

また、石田正史選手も第3LEGでマッドホールから脱出できずオーバーヒートで無念のリタイヤとなった。しかし、1990年にグループN車(レガシィRS)をサファリ史上初めてゴールさせたジルは、今度はヴィヴィオRX-Rを無事にゴールまで導き、またもサファリラリー史上初の軽自動車による完走を成し遂げた。リザルトは総合12位、グループAクラス5優勝の快挙となった。

総合12位でクラス優勝(グループAクラス5)を果たしたパトリック・ジル組。パトリック・ジルは1984年からスバルでサファリラリーに出走しており、1990年にはグループNのレガシィRSをドライブして総合8位、グループN優勝を飾った。(PHOTO:SUBARU)

なお、リザルトを確認するとSMSG以外にも2台のヴィヴィオRX-Rがエントリーしており(34号車、52号車)、1台(34号車)が総合15位(クラス2位)で完走している。

パトリック・ジルの優勝車両をフルレストア

その後、この3台のヴィヴィオRX-RグループA車両は貸し出されてその他のラリーに出走したりしたようだが、最終的には優勝車両の1台を除いて処分されたようだ。残る1台もモーター系のイベントなどで展示された後は、車両を製作したKITサービス(故・小関典幸氏が設立し、現在は小関高幸氏が代表を務める)に展示されていた。

KITサービスが所有する1993年サファリラリーウィナーカー。

小関典幸氏が逝去し、小関高幸氏が跡を継いで代表となったのが2018年。KITサービスでは同社が携わったスバルの歴史的名車を何台も保存しているが、当時を知る関係者も次第に減ってきていることから、小関高幸氏は意を決し2023年7月25日よりこのヴィヴィオRX-Rのレストアに着手。約1年を掛けて、ほぼ当時の状態が再現された。

2024年8月4日(日)に開催された『グループAラリーカーミーティング』でレストア後の初お披露目と走行確認が行われた。

とはいえ、レストアは苦労の連続で、特に露天展示だったことからサビによるボディの劣化が激しく修復にはかなりの手間がかかったという。特にパテによる補修は極力少なくしたことも苦労に拍車をかけたそうだ。
また、ヴィヴィオ自体がすでに生産終了から15年も経過しており、確保しておいた部品取り車も年相応に劣化。もちろん新品部品は廃番が多く、その調達も大きな課題となったがデッドストック品を発掘できたのは車両を開発したからこその強みだ。

『グループAラリーカーミーティング』の会場となったエビスサーキットのピット。

小関高幸氏は「動態保存がもっと楽だった時期にやっておけば良かった」とレストアしてみた今になって思ったそうだ。

ディティールチェック!【エクステリア】

レストア車両は優勝車の7号車で、パトリック・ジル選手がドライブしたもの。マクレー車のブルーと異なり、スポンサーであるT-BiRDのイエローになっている。こちらもボディの補修に合わせて塗り直されている。合わせて、ステッカーも当時のものをリメイクしており、再現性は抜群だ。

イベント当日は、レストア時に発掘された当時モノのSMSGステッカーが希望者に先着で配布され、オールドファンにとても喜ばれていた。ただし、あくまで当時モノなので、糊の状態や耐候性については期待できないとのことだった。

ゼッケンやナンバーが貼られるボンネット。もちろん開閉はピン式に改められている。
優勝車のケニア人コンビはパトリック・ジル(ドライバー)とリック・マシューズ(コドライバー)。
RX-Rを始めとしたステッカーはラリーカーにも残された。スポンサーステッカーの他にSMSGのステッカーも。

サファリラリーならではの装備といえばアニマルガードだが、これもオリジナルで製作されたもの。補助等はフォグランプもウイングランプもPIAA製を装着する。

フロントのアニマルガードにはランプポッドを設置。アニマルガードは元のフォグランプ用の穴からフレームに繋がる。
ランプカバーはPIAAが今回のレストアに合わせて新たに用意してくれたもの。
ウイングランプもサファリラリーならでは装備。コースが完全にクローズされないサファリラリーでは、被視認性向上のために昼間でも点灯することも。
全点灯状態。

また、念入りなアンダーガード類やマッドフラップ類の装着もハードなラフロードを走るサファリラリーならでは。サビの酷かったボディは修復され再塗装されてはいるものの、それでも走行時のダメージは感じられるし、何よりフロントアンダーガードに残る傷跡が30年を経てもなお実戦を思い起こさせる。

フロントのアンダーガードを車両前方から見る。ちなみに、前方より後方が厚くなっている。
リヤサスペンスションのアームまわりを保護するマッドフラップ。
エキゾーストはオリジナルのストレート構造。プロペラシャフトのジョイントにもガードが備わる。
触媒やサイレンサーは見受けられない。マッドフラップはリヤのホース類も保護するように装着。
ストレートマフラーは、軽自動車とは思えぬ勇ましいサウンドを奏でる。

ホイールはKITサービスオリジナル品を装着している。何より驚いたのがそのホイールに装着されたタイヤ。ブリヂストンのラリータイヤはPOTENZA RE46Rだが、サファリラリー仕様の特別製。しかも、このタイヤは当時モノのデッドストックなのだ。流石に30年落ちのラリータイヤで走行するのは憚れるので、走行時はノーマルタイヤに履き替えた。

KITサービスのオリジナルホイールを装着。サイズは4.5J×13インチ。
タイヤはブリヂストンのラリータイヤ、POTENZA RE46Rのサファリラリー特別仕様。サイズは155/65R13。

ディティールチェック!【パワートレイン&足まわり】

エンジンはグループA規定に合わせたファインチューニングを施しており、ECUもグループAに合わせてセッティングしている。また、ラジエーターはオリジナルのアルミ製に換装。とはいえ、外観はノーマルとほとんど変わらない。

EN07型658cc水冷直列4気筒DOHC16バルブエンジンはスーパーチャージャーで過給。インタークーラーは空冷式をエンジン上部に設置している。エンジンルームはストラットタワーバーなどの補強が施されておらず、ノーマル然とした雰囲気。
スーパーチャージャーは左フロントに配置。
アルミ製のオリジナルラジエーターは左寄りに設置。

リヤデフにスバル純正LSDを入れているほかは駆動系は基本的にノーマルのまま。トランスミッションも純正の5速MTだ。車体の下を覗くと、リヤデフまわりにはアンダーガードを装着していないのが意外だ。

サブフレームにはリヤデフのほか、リヤサスペンションのロワアームが接続される。リヤデフ後方に別タンク式リヤショックアブソーバーのタンクが水平に配置される。
プロペラシャフトがリヤデフキャリアを兼ねるサブフレームを貫通している。

サスペンションはKYBの車高調で、サファリ用の特別仕様を装着。リヤのみ別タンク式になっているのだが、当初はフロントも別タンク式を考えていたことから、フロントのホイールハウス内にはタンク設置用のステーだけが残されていた。
ブレーキはフロントがベンチレーテッドディスク、リヤがドラムという形式はノーマルと同様だが、ブレーキホースはオリジナルのステンメッシュ製に換装されている。

フロントの足まわり。KYB製の車高調とステンメッシュのブレーキホース以外はほぼノーマル。
前方の黒い筒が別タンク用のホルダー。
キャリパーには「AISIN」の刻印が見える。
レストアにあたってパッドはDIXCEL製に。
リヤの足まわり。KYB製の車高調はリヤは別タンク式となる。ドラムブレーキだが、ステンメッシュのブレーキホースはフロント同様。
2本のロワアームとトレーリングリンクを組み合わせたパラレルリンク式ストラットはレガシィやインプレッサと同じ形式。
ショックアブソーバー下端後方からスタビライザーが複雑な形状で伸びている。

ディティールチェック!【インテリア】

グループA時代のラリーカーはWRCマシンであっても、コックピットはダッシュボードやドアトリムが市販車のまま残されているなど意外とノーマルの雰囲気を感じさせる。特にこのヴィヴィオはKITサービスで製作されていることから、よりノーマル度が高いように見受けられる。

ダッシュボードだけでなくメーターまでノーマルのままのコックピット。ステアリングは、当時の純正オプションの定番「MOMOコブラ」を装着している。シフトレバーもRX-R純正の本革仕様が残る。

EVA製のフルバケットシートはSUBARUのロゴが入ったオリジナル品。レストアにあたり当時の職人が表皮を張り替えるなど補修しているが、その際にロゴだけは元の表皮から移植しているという。ただし、実戦でのパトリック・ジル車のシートはレカロ製のSP-Gを装着していたそうだ。

ペダル及びフットレストはアルミ製を装着。ダッシュボード右端に増設されたランプ類のスイッチが設置されている。
シートはEVA製のフルバケットタイプ。ハーネスはサベルト製の2インチ5点式を装着。
助手席は足元にフットレストを追加し、クロスレンチを置く。ダッシュボードにはステーを設置してラリーコンピュータ2機を装着。
ラリーコンピューターはハルダ製を2機並べる。
空調コントロールパネルはそのままだが、オーディオスペースは埋められてキルスイッチ、ブースト計、ラジエーターファンのスイッチなどが設置されている。

グループAラリーカーの例に漏れず、ダッシュボードなどはそのまま残るがカーペットなどの内装はすっかり剥がされている。一方でドアトリムが残るのもこの時代のグループA車両には多いパターンだ。

ロールケージはダッシュボード貫通式だが、サイドバーは無い。

しかも、RX-Rはヴィヴィオのトップグレードなので、パワーウインドウが標準となっており、このグループA車両にはそのまま残されていた。ただ、トップグレードではあるのだが、スーパーチャージャー+CVTの「GX」に装備されるエアコンがRX-Rには装備されていないのは、走り志向だったからだろうか。
ちなみに、1993年2月に追加されたクロスミッションを搭載する競技ベースグレードの「RX-RA」ではエアコンはもちろん、パワーウインドウも外されている。

レッドの差し色が印象的なヴィヴィオRX-Rのインテリアだが、ドアトリムに残るのみ。
グループA車両はドアトリムはそのまま残す傾向があるが、パワーウインドウまであるケースはあまりない。

ラゲッジスペースはグループA車両として大きく変わっているところで、燃料タンクは公認の安全タンクをリヤシート位置に設置。バッテリーも後席左端に移設されている。13インチの小径とはいえスペアタイア2本を収め、安全タンクと長めのパイプが繋ぐ給油口もラゲッジルーム内に収められる容量は、セダンを名乗るもののボンネットバンの流れをくむ2ボックスボディの賜物か。

スペアタイヤ2本を詰め込んだラゲッジスペース。後席位置には競技用の燃料タンクが設置される。右端のステーに支えられた円形の部分が給油口で、長めのパイプがタンクに繋がる。ロールケージの他にリヤストラットタワーバーも装着されている。

ロールケージも当時モノを補修して使用しているのだが、グループA車両としては控えめな構成に見える。コックピットにはサイドバーもなく、リヤの斜行バーも右上から左下の1本のみ。コックピットにはサイドバーも無い。それでも、フロントまわりよりリヤの方が比較的多めなのは、開口部の大きな2ボックスボディゆえか。

ロールケージはオリジナルだが、本数は多くはない。
燃料タンクはEVA製の60L安全タンク。右前方に公認ステッカーが貼られている。ちなみにノーマルのタンクは32L。
燃料タンクの左に移設されたバッテリー。
燃料タンク右側には燃料ポンプ。

サファリ仕様の車両を製作するにあたっては、汎用品は兎も角として、まだデビューから間もないヴィヴィオの専用パーツはあまり出揃っておらず、オリジナルで製作する部分も多かったという。
それもあって、グループA規定の改造もラリーを走る上で必要な範囲にとどまったことから、グループA車両ではあるもののかなりノーマルに近いというのが実情だそうだ。

協力社内容
ボディリペアショップFIX車体及び外装板金塗装
株式会社三陽下まわり部品の粉体塗装
TIMELESSドライアイスブラストの出張作業
セノキモータース業者仲介
パシフィックブラスト車体ウェットブラスト・フロア張り替え
YODA Rallying外装カラーリング(データ作成/施工)
PIAA株式会社フォグランプカバーの新規製作
マルヨシスポーツロールケージ補修
株式会社レイルマッドフラップ素材提供
エンパイヤ自動車シートベルト(サベルト)
D&D株式会社シート補修仲介
M’sワークスシザースジャッキ提供
スコーチャーズスクワッドタイヤ組み換え
KITサービスのヴィヴィオRX-Rサファリラリー優勝車レストア企画は多くの協力者に支えられて完成した。上記のメーカーやショップに加え、部品や部品取り車の提供、車両整備への協力など個人の協力も多く、このヴィヴィオRX-R復活への期待の高さを窺わせる。

逆にグループA規定に必要な改造さえ施せば、WRCで最も過酷とさえ言われるサファリラリーを走り切ることができる性能を備えていたとも言えるだろう。

1990年代前半のWRCシーンに確かな爪痕を残した3台のスバル・グループAマシン。

ヴィヴィオ以降、ワゴンRから始まるハイトワゴン系が軽自動車市場の主流を占めるようになったことからセダンタイプの軽自動車は減少。まして競技まで視野に入れたハイパフォーマンスモデルは極めて稀な存在になっていく。スバルもプレオ、R1/R2、ステラと市場に翻弄され、最終的には軽自動車生産から撤退した。そんなことから、ヴィヴィオには根強いファンがおり、イベント当日にもこのレストアされたサファリラリー優勝車をひと目見ようとヴィヴィオオーナーが集まっていた。

『グループAラリーカーミーティング』に展示されているレストア後のヴィヴィオRX-R(グループA)。
イベント当日の様子とエンジン始動や走行シーンの動画はこちら!

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