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自主規制値のきっかけV型ツインターボ登場
1989年は国産車の当たり年と呼ばれ、数多くの名車が発売された。なかでも記念すべきはエンジン出力に自主規制値が適用される最初のモデル、フェアレディZがZ32型へモデルチェンジしたことだろう。最高出力280psを達成したZ32は、本来300psをも超える実力を備えていた。ところが当時の運輸省からストップがかかり、280psという数値に落ち着いた経緯がある。
さらにエポックだったのがボディとスタイリング。歴史的に5ナンバーサイズでデザインされ、輸出向けに少々大きなバンパーなどを装備して3ナンバー化するのが一般的だったが、Z32では全車3ナンバー専用ボディが与えられたのだ。しかも極端に低いボンネットを実現しつつ、ガラスカバーで覆ったプロジェクターヘッドライトの採用とあいまり、新たな時代のデザインを感じさせた。
Z32発売後、バブル崩壊による不景気が到来してスポーツカー冬の時代を迎える。年々販売台数を減らしたZ32は、モデルチェンジすることなく2000年まで12年間作られた。今回はZ32を3台乗り継いだ人の登場だ。
外観
ローがプロジェクターでハイがハロゲンとなるヘッドライト。全面ガラスはカバーだ。
Z32では立体エンブレムがフロントノーズ中央のZエンブレムだけ。ほかはリヤにデカールが2つあるだけのシンプル構成。
エンジンルーム
国産車初の280psを達成したVG30DETTツインターボエンジン。ノンターボのNA版もあり、こちらは230ps仕様だった。
3台目にしてようやく理想のZ32を手にする
発売当時、Z32はスポーツカーであり高級車でもあった。当時の新車価格はNAでも330万円、ツインターボのTバールーフだと440万円にもなった。若者が気軽に買えるクルマではなかったが、頑張ってローンを組んで買ったのが今回のオーナー。ただ買えたのはNAで、ツインターボは無理だった。
お気に入りのZ32だったが、その後どうしても乗りたくてR32GT-Rへ乗り換えることにした。RB26と4WDの走りはZ32にはない楽しさがあったけれど、どうしてもロー&ワイドなスポーツカースタイルが好き。そこで2000年にイメージカラーだったZ32のイエローへ乗り換えている。この時もエンジンはNAだった。
これで2台目のZ32となったわけだが、さらに運命の悪戯がやってくる。破格の値段でZ32ツインターボ、しかも前期ノーマルルーフ、イエローカラーという仕様が出てきたのだ。いまだツインターボは乗ってないオーナー。そこで2台目購入から2年半後、現在の愛車へ乗り換えたのだ。
02年といえば7月にZ33が復活するものの、ちょうどフェアレディZの歴史が途絶えていた頃。中古車相場が底値に近い時期で、実に安く買えた。しかも走行距離は5万キロ前後でフルノーマル。入手後にオーナーが手を加えたのは17インチのBBSホイールを履かせたことくらい。今でもノーマルで維持する努力を続けている。
室内
大型メーターにブースト計や油圧計が組み込まれる。走行距離は実走!
【おことわり】掲載媒体によっては写真・画像がすべて表示はされない仕様のため、写真解説文のみが表示されてしまい、一部、意味が通らない構成になってしまっていることがあります。その際はお手数ですが元記事もご参照ください。
このフェアレディ300ZXツインターボ2シーターの記事は、7/21発売の令和に残るクルマ改造雑誌『G-ワークス』(毎月21日発売)2023年9月号に掲載されています。