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R31型スカイラインに設定された「オーテックバージョン」とは?
本来なら日産自動車で『スカイラインの父』桜井眞一郎氏自身が開発主管として手がける最後のスカイラインとなるはずだった『R31』。しかし彼は病に倒れ、志半ばで伊藤修令氏に開発主管を引き継ぎ、1985年8月に4ドアハードトップ、4ドアセダン系を発売されるも、ハイソカーを意識した内外装や、熟成不足のエンジンとサスペンションも当初不評だった。
1986年1月にワゴン、5月には『2ドアスポーツ・クーペGTS』を追加。GTオートスポイラーを設定するなどスポーツ路線を打ち出した。1987年にはスカイライン(R31)シリーズ全体のマイナーチェンジを行ったほか、グループAホモロゲーションモデルである『スカイラインGTS-R』を限定800台で発売。これが即完売となるなど、スカイライン人気は徐々に回復してきていた。
1988年(昭和63年)8月22日に発売された『スカイラインGTSオーテックバージョン』はオーテックジャパンが得意とする少量生産、特装車生産技術を活かして開発された初のコンプリートカーとして発売された。しかも体調が回復してオーテックジャパン初代社長に就任していた桜井眞一郎氏が4年前、志半ばで離れたR31を自らチューニングしたという事実に桜井ファン、スカイラインファンは胸を熱くした。こだわりのチューニングは細部にまで及び、車両本体価格は427万円と高価だったにも関わらず、限定200台に対し購入希望者が殺到して抽選販売となった。
(オーディオレス車 427万円、GTS-X用純正オーディオ付車 436万円、アルパイン製高級オーディオ付車 457万円。)
1988年当時の自動車価格 スカイライン(R31)自体は149万4000円〜264万4000円、GTS-Rは340万円という設定で、スカイラインが強く意識したハイソカーでは、マークIIが170万3000円〜319万5000円、ソアラが237万2000円〜489万6000円だった。 日産では同年発売の初代シーマが383万5000円〜510万円。同時期のクラウンが168万4000円〜501万2000円と、センチュリーやプレジデントを除く一般的な上級車種がグレードによっては500万円を超えてきた時代だ。 (編集部註)
エンジンは直列6気筒DOHCインタークーラーターボのRB20DETをベースに最高出力210PS/400rpm、25.0kgm/2800rpm。『GTS-R』と同じレベルの最高出力までチューニンングしているが小型のスチール製タービン(ギャレット製T25/T3)と専用エキゾーストマニホールドとコンピュターコントロールユニットに変更するなどして、低回転域から高回転域までどこからでも有効トルクを発生する『大人のチューニング』が施されていた。
標準装着タイヤはR31初期型の発売当初からの4ドア系と同じ215/60R15 サイズのブリヂストンポテンザRE-88、ホイールは当時高価だった日本製のボルクレーシング3ピースアルミホイールは7J×15インチのワイドサイズでメッシュタイプを採用。軽量かつ高剛性であることを活かしてバネ下重量の軽減をはかっている。『2ドアスポーツクーペGTS』系で高評価だったタイヤ205/60R15、ホイール6J×15インチと異なるあたりに拘りを感じる。(『GTS-R』は205/60R15サイズのダンロップフォーミュラM2に6J×15インチのスチールホイールが標準。当時の広報車がよく履いていたBBS製アルミホイールはオプション設定。)
更にフロント&リヤストラットタワーバーを装着して、剛性をアップ。緩めに組まれた機械式LSDと専用サスペンション、8段階減衰力調整式ショックアブソーバーにによって、しなやかに路面を捉えるセッティングが施されていた。
筆者はショートサーキットで、ほぼノーマルの『スカイラインGTSオーテックバージョン』に乗って、腕の立つドライバーの操る『GTS-R』を追いかけたことがあるが、その走りは同等。ヘアピンコーナーの立ち上がりなどでは、素直でしなやかなサスペンションと低中速トルクに優るエンジンを持つ『GTSオーテックバージョン』の方が、『GTS-R』より速いくらいであったことに驚き、感銘を受けた。
こだわりの専用ボディカラーのみの設定と豪華装備の数々
エクステリアは専用色グレイッシュブラウンメタリックのみ。決して派手ではないが、大人の落ち着いた雰囲気のボディカラーで高級感がある。 ブラックアウトされたウインドウモール類、ボディを一周するプロテクターとの相性も良い。
インテリアはグレーのみ。 『GTS-R』同様にイタルボランテ製本革巻ステアリングホイール&本革巻シフトノブの採用、オートエアコン標準装備、アルパイン製高級オーディオ(当時の価格で30万円!)をオプション設定で用意するなど特別感、所有する満足感の方を重視していることが理解できる。
安全装備に関しても4WAS(4輪アンチスキッドブレーキシステム=ABS)、停止表示板組込みトランクリッド、ハイマウントストップランプ付き専用リヤスポイラーをいち早く標準採用するなど、随所に強いこだわりが感じられる。
伊藤修令氏の『GTS-R』からは荒々しさとレースへの『熱い情熱』が伝わってくるが、桜井眞一郎氏の『GTSオーテックバージョン』からは『洗練された走りと味わい深さ』といったようなものが伝わってくる。
スポーツカーを卒業した『大人のためのスポーツクーペ』は、エンジンやシャシーがそれぞれ個性を主張するのではなく「乗ってみるとなんかこのクルマはいいね!」と言いたくなるような走りだ。数々のレース経験から得たノウハウと『スカイラインとはどんなクルマなのか』を知り尽くした桜井氏の『哲学』が感じられる。
『スカイラインGTSオーテックバージョン(R31)』から始まった渋いゴールド系ボディカラーは次の『スカイライン2.6オーテックバージョン(R32)』や日産のカタログモデルであるスカイラインGT-R(R34)Mスペック、日産GT-R(R35)Tスペックへと少しずつ色味を変えながら継承されているようだ。
筆者は日産GT-R(R35)Tスペックも試乗する機会があったがサーキットやラップタイムの追求ではなく、あくまでメインステージはストリートのサスペンションセッティングや快適装備を備えている点などボディカラーだけではなく、『スカイラインGTSオーテックバージョン(R31)』と共通点が感じられた。
新車で購入し、35年間愛し続けた『スカイラインGTSオーテックバージョン』
今回撮影させていただいた『スカイラインGTSオーテックバージョン』は、かなりオリジナリティが保たれている車両だ。新車で購入して以来35年間、昭和、平成、令和と乗りつづけてきたオーナーの南十字星さんは「発売当時は改造に対する規制が厳しく、エンジンやサスペンションに手を加えて新車でナンバー登録するのが容易ではない時代で、このクルマは限定200台の抽選でしたが運よく手に入れることができました」と当時を振り返る。
「購入後はその走りに惚れ込み、少し前までは現役でサーキット走行していましたのでR31 HOUSE車高調サスキットを組み、ハブを4穴から5穴化(Z31用を流用)してGT-R(R32)のVスペック用BBSホイールとブレンボブレーキキャリパーをシャンパンゴールドに塗装して、装着しました」
「当時のオリジナルを出来るだけ維持しようと努めていますが手に入らない部品が増えてきましたので、アフターパーツに交換せざるを得ない状況です。 それでもなるべくオリジナルのオーテックジャパンのイメージを崩さないようにしたいと心がけながら維持しています。 友人たちには「R31でスポーツ走行をしたら、もったいない」と言われて、今は他にサーキット用のクルマも所有していますが、長年連れ添ったこのR31の走りが一番しっくりくるんです。まだまだ元気に走りますよ」ととても嬉しそうに語ってくれた。
35年以上愛され続け、まだこれからも乗り続けたいと思わせてくれるなんて、本当に素晴らしいことだ。 まるで家族の一員とも言えるような存在となる『スカイラインGTSオーテックバージョン』なら、当時としては高額だった車両価格427万円を遥かに上回る『所有する喜び』や『価値ある時間』をオーナーは過ごすことが出来ることを今回再確認した。サブスクや生産効率ばかりが優先された新車が多い現代こそ、オーテックジャパンが提供してきた『走りへのこだわり』を詰め込んだ『永く愛されるクルマ』達が光り輝いて見える。