ホンダの世界戦略車「シビック」はどのようにして世界一厳しい米国排ガス規制“マスキー法”をクリアしたのか?【歴史に残るクルマと技術039】

ホンダCVCCエンジン
世界で初めてマスキー法に適合したホンダCVCCエンジン
ホンダ「シビック」は、開発当初から世界戦略車として1972年7月にデビューした。翌1973年12月には、世界一厳しい米国の排ガス規制「マスキー法」を世界に先駆けてクリアしたCVCCエンジンを搭載。これにより、ホンダとシビックの名は世界中に轟き、日米で大ヒットしたのだ。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)

世界戦略車として燃費と走りを両立したコンパクトカー

シビックは、世界市場に進出することが前提の世界戦略車として、“俊敏なベイシックカー、世界の街にスタート!”のキャッチコピーとともに登場した2ドアファストバックのコンパクトカーである。
見た目よりも車高が低く、エンジン横置きFFレイアウトの優れたパッケージングと、ホイールベースを延長して室内空間を確保した、当時のコンパクトカーの流れを先取りしたクルマだった。

シビック
シビック

発売当初のパワートレインは、69psを発生する1.2L直4 SOHCエンジンと4速MTの組み合わせ。特にハイパワーエンジンではなかったが、車重が600kgと軽量なので、低燃費と小気味よい走りの両立を実現。1973年には、米国に輸出され、燃費も良くきびきび走るシビックはたちまち人気モデルとなった。
車両価格は、42.5万円(スタンダード)/47.5万円(デラックス)。ちなみに、当時の大卒初任給は5.6万円程度(現在は、約23万円)なので、単純計算では現在の価値では175万円/195万円程度であり、このリーズナブルな価格設定も人気に拍車をかけた。

シビック
)1972年にデビューした「シビック」

ホンダとシビックの名を世界に知らしめることになった「米国マスキー法」

マスキー法とは、正式には「米国大気浄化法改正案」のことで、エドマンド・マスキー上院議員が提案したことから、その名が付けられた。1970年に、この改正案は両議院で可決され、その年の12月31日にニクソン大統領の署名によって制定された。

シビック
2BOXファストバックの「シビック」サイドビュー)

その内容は、1975年以降に製造される自動車の排ガス(NOx、HC、CO)を、1970~1971年基準の90%以上減少させるという、当時としては実現不可能と思えるような厳しい規制だった。
世界一大きな市場である米国で規制が施行されれば、米国での販売が困難になる恐れがあると世界の自動車メーカーを震撼させることになった。
ところが、米国の自動車メーカーがマスキー法の達成は困難と強く主張し、実際の施行については紛糾。内容の修正が続き、1973年には実質的な廃案状態に追い込まれた。メーカーの大反対に加え、1973年に起こったオイルショックが規制廃止の追い風になったのだ。

一方日本では、マスキー法と同レベルの排ガス規制を段階的に導入。1978年には、マスキー法と同レベルの厳しい“昭和53年排ガス規制”が施行されることになった。

独自の燃焼方式CVCCの急速燃焼で排ガスを低減

CVCC搭載シビックの発表会風景
赤坂プリンスホテルでのCVCC搭載シビックの発表会風景

ホンダは、EPAの正式な認可を受ける前の1973年10月に、新しく開発された低公害CVCCエンジンの発表を東京・赤坂プリンスホテルで大々的に行った。発表当日、本田宗一郎社長ほか関係者が出席し、国内外の多くのジャーナリストを前に、CVCCエンジンの開発過程やエンジン性能、燃焼理論が紹介された。

ホンダCVCCエンジン
世界で初めてマスキー法に適合したホンダCVCCエンジン

新開発のCVCC(Compound Vortex Controlled Combustion:複合過流調整燃焼方式)エンジンは、副室を持つ燃焼室で構成され、副室で燃焼した火炎がトーチノズルを通して主燃焼室に噴流となって噴出する。この噴流が主燃焼室に強い渦流を発生させ、安定した希薄な混合気の燃焼が成立することにより、有害成分のNOx、HC、COが低減できるのだ。触媒などの特別な排ガス低減システムは不要で、エンジンのシリンダーヘッドの交換のみで対応できることも大きなメリットである。

その年の12月には、米国EPA(環境保護庁)による立ち合い試験が行なわれ、マスキー法適合車第1号として正式に認められた。マスキー法によって、ホンダとシビックの名は世界に轟き、2輪に続いて4輪でも“世界のホンダ”の名声を得たのだ。

日本車躍進の契機となった排ガス規制とオイルショック

1973年のオイルショックとマスキー法により、ユーザの目は燃費の良いコンパクトカーに向けられた。シビックは、燃費の悪いビッグサイズの米国車の2倍以上の燃費を達成し、米国で最も燃費の良い、そしてクリーンなクルマの称号を獲得。シビックの米国販売は、1947年に4.1万台、1975年に10.2万台に達し、ベストセラー・コンパクトカーの座を手に入れたのだ。

一方、日本では廃案同然となったマスキー法と同レベルの排ガス規制を1973年から段階的に導入。1978年にはマスキー法と同レベルの“昭和53年排ガス規制”を施行。しかし、日本メーカーはCVCCエンジンに続いて独自の排ガス低減技術を開発し、厳しい規制をクリアした。

シビックの主要諸元
シビックの主要諸元

シビックに続いた日本のコンパクトカーは、品質も優れていることから自動車大国の米国で高い人気を獲得。一方で煽りを受けた米国ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)の業績は悪化し、日米の貿易摩擦に発展することになったのだ。

ホンダのシビックが誕生した1972年は、どんな年

1972年には、スバル(当時は、富士重工業)から「レオーネ・エステートバン4WD」も発売された。レオーネ・エステートバン4WDは、ジープタイプではない世界初の量産4WDモデルの商用車であり、1975年にはセダンの「レオーネ」にも4WDが搭載され、世界初の4WD乗用車となった。

レオーネエステートバン4WD
1972年にデビューした「レオーネエステートバン4WD」

その他、沖縄が本土復帰、日中国交が正常化された記念に“カンカン”と“ランラン”の2頭のパンダが中国から上野動物園に贈呈されパンダブームが起こり、山陽新幹線が開通した。
また、ガソリン58円/L
、ビール大瓶156円、コーヒー一杯115円、ラーメン194円、カレー182円、アンパン39円の時代だった。

排ガスと燃費技術で米国を追い越した象徴的なモデルとなったホンダのシビック。自動車後進国の日本車が世界で大躍進を遂げる先陣を切った、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…