バブル到来、日産イケイケ時代に生み出されたものとは? アフリカには何がある? その2【清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」 】

日産ヘリテージコレクション
日産ヘリテージコレクションからおおくりする清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」
ふたりのモータージャーナリスト、清水和夫氏と高平高輝氏によるクロストーク「南南西に進路を取れ!」。日産ヘリテージコレクションからお送りするその2では、いよいよなぜ日本自動車界は南南西に進むのがが語られるようだ。実はMID4って…な寄り道話も語りつつ。
TALK:清水和夫(Kazuo SHIMIZU)、高平高輝(Koki TAKAHIRA)/PHOTO:前田惠介(Keisuke MAEDA)、清水和夫、レーシングオン誌、オートスポーツ誌/ASSIST:永光やすの(Yasuno NAGAMITSU)

戦艦大和ミュージアムを見て清水和夫が思ったこと

日産ヘリテージコレクション
日産ヘリテージコレクションからおおくりする清水和夫×高平高輝クロストーク「南南西に進路を取れ!」

清水:日産ヘリテージコレクションは、コロナのころはしばらく公開していなかったけど、ココはもうどんどん見てもらった方がいい。若い学芸員を作ってね。
高平:和夫さん、老後にどうですか?
清水:いや、オレたちおっさんがやったらダメなんだよ。戦艦大和ミュージアム(広島県呉市)行ってみなよ。呉の大学の若い女子学生さんが学芸員として戦艦大和について話してくれるんだよ。

高平:今回、「南南西に進路を取れ」で日産ヘリテージコレクションに来たのがきっかけだけど、レース好き、レーシングカー好き、ついでにプラモデル好きが細かいところまで見る…だけじゃなくて、こういうところの学芸員さんは時代背景までもを一緒に教えてくれる人がいいよね。
清水:呉の戦艦大和ミュージアムで、日本には佐世保とか神戸とか軍港っていっぱいあったのに、なんで呉なんですか?って聞いたら、「いい鉄が取れるから」って。それと戦艦大和の図面っていうのは、全体を見てる人っていなくて、全部ブロックごとにモジュールでやってたから「MQB(フォルクスワーゲン Modulare Quer Baukasten/モジュラー・トランスバース・マトリックス)」なんだよね。今はみんなモジュラー化になっているけど、あんなでっかい大和の全体の図面なんて誰も書けないから、全部をブロックごとに作って、後で合わせる。すげ~なぁ!と思った。

高平:それ、大学の博士か、その勉強している女子学生さんたちがちゃんと解説してくれるっていうのはいいですね。
清水:それで、呉では学芸員さんたちはちゃんとした称号をもらえる。
高平:神奈川県もどうですか? 変なとこにお金使わないで、日産ヘリテージコレクションにお金つけてくれて、みんながもっと勉強できるようにしてやればいい。
清水:喋れる人がほんとに少ないんだよね。ココを管理している人とか、それこそ日置和夫さんなどのOBの方がオンラインで説明会をやったり。それ以外ではプリンス時代、ダットサン時代から話せる人はなかなかいない。でも“時代背景”が欲しいんだよね。戦後復興で日本人の気概をもう一度示す。元々プリンスっていうのは中島飛行機でしょ。

日産ヘリテージコレクション
日産ヘリテージコレクションには乗用車だけではなく、日産のレーシングカーがドーンと並ぶ

高平:ある意味、この60年代末が頂点ですよね。海の向こうではスティーブ・マックイーンのル・マン24時間でフォードvs.フェラーリっていうのは65年くらいから5年ほどやっていて、知っている人はそれに憧れていたっていう時代。
清水:ホンダは64年にF1作って、ニュルでデビューして、翌年メキシコグランプリで勝つ。
高平:基本的な下地がないまま修学旅行で京都・奈良連れて行かれて、国宝の仏像見せられて「へぇ~」って言ってるだけで、「もういいから早くゲームセンター行こうよ」みたいになっちゃう。なんとなく下地があって、あの頃こうだった、日本はこれで一回こういう風に景気悪くなった、みたいなことの知識を頭に入れないと、クルマだけ並べられてもわからないという。それはちょっと、歳取らないとわからないかもしれないけど。

なぜ世界はアフリカを目指したのか、アフリカには何があるのか

清水:なぜ日本人がみんなアフリカを目指したかっていうのは、日本は島国だから。私の感覚では、海から太陽が出て海に沈む姿しか見ていない。でも地平線に太陽が沈むっていうのはやっぱりアフリカじゃないと見られない。そこに憧れたんじゃないかな。
高平:「大陸で一旗揚げる」っていう。
清水:今、希少金属見れば全部アフリカ。コバルト、マンガン、ニッケル、アルミも石油も。アフリカの赤道挟んだあの辺、コンゴとか。
高平:赤道直下がそういうレアメタルの産出地。

サファリラリー
アフリカの大地を突き進むサファリラリー

清水:パリコレ見た? モデルさんのピアノブラックみたいな容姿がかっこいい。
高平:昔からヨーロッパで活躍するモデルさんで、ソマリア人はとにかく美人。東アフリカではソマリア、エチオピア。アフリカを東西南北で大きく分けると、南アフリカとその隣のナミビアというのは、昔から金とプラチナが出るんです。だからヨーロッパがとにかく植民地にして、戦争もあったし。今は赤道直下のコンゴとかタンザニア、モザンビークとかにレアメタルがある。

イケイケなバブル時代~バブル崩壊、そのとき日産は?

清水:これは生粋のDATSUNから来たスポーツカー、フェアレディSR311。オレがグループAレースで日産車に乗っていたのはR32時代。R31の時代にはオレはライバルのシエラに乗っていたからね。
高平:80年代からパルサーGTI-Rの90年代頭ぐらい、あの辺までバブルだからもうイケイケですよ、日本の自動車産業は。世界中の土地を買いまくっていたし。でも、その頃になると、日産はすごく早いうちに海外に工場を作って現地生産に乗り出した。だけど、日本のメーカーで一番最初に海外行ったのはホンダかな。その次にすぐ続いて日産が出て。でもトヨタはだいぶ遅れて出た。慎重っていうか、保守的だった。その頃から日産は、例えばアメリカではフェアレディZがめちゃめちゃ人気になっていたし、ヨーロッパでもちっちゃな小型車系が売れ始めていたし、現地工場もいっぱい作った。そして日産901活動に続くFFになったかっこいいオースターとか憶えていますね。ヨーロッパ風の5ドアハッチバックとか。だから日本車は本当に飛ぶ鳥を落とす勢いだった。それの尖兵が日産だった。

ダットサン240Z
ダットサン240Z 1972年 第41回モンテカルロラリー 総合3位

清水:あの頃、FFでマルチリンクができたのは、アウディはまだやっていなかったから、日産が先だった。
高平:日産が一番先で、物凄い評価が高かった。
清水:プリメーラはP11からUKに変わった。でもオレはJTCCではライバルのホンダだった。じゃ、“飛ぶ鳥を落とす勢い”だった日産はどこでつまずいたのか…? それが諸説あって、 やっぱりトヨタみたいに事業で儲けることが下手だったって言えば下手。オタク系なんだよね日産は。ま、ある意味ホンダもそうなんだけど。どこでつまずいたかって…ン~どうかね?

清水和夫
国際モータージャーナリスト・清水和夫。2024年も現役、全日本ラリー選手権をヤリス・ハイブリッドで走る

高平:厳しい言い方をすると、トヨタも2000年代に入ってからそうなったと思うんですけど、数を追って膨張していくところは中がスカスカになってくるっていうのはありますよね。日産は元々あんまりガバナンスっていうか、会社のきちっとした……まぁどこの会社もそうだったかもしれないですけど。
清水:これはね、ちょっと我々に何ヵ月か時間をください。要するに、組織なのか人なのか。それをトヨタと対比して考えていかないといけないので。人も影響しただろうし、やっぱり組織が違うかな日産は。日産のほうが官僚的だよね。

高平:あの頃はまだ芙蓉グループっていう重工産業、そのなかに組み込まれていたところがあって、銀行とか不動産とか。何よりも90年代半ばによく言われていた話ですけど、日産はステアリングホイールだけで50種類以上作っていたって言われていたじゃないですか。コストを管理するっていうのが、膨張の間にいつの間にかすっかり抜け落ちていたんですよ。エンジン、トランスミッションと、あらゆるそういうユニットが、物凄い種類になっていたんです。
清水:その辺はさ、渡邉衡三さんとか呼んできて一回、議論させたいよね。
高平:そうですね。イケイケどんどんでしょ!

清水:でも、渡邉さんたちのやり方だったら会社はやっぱり潰れるよね。あんまり収益を考えてない。
高平:でも、そのおかげで評価を得たことは間違いないですよね。ただ、やっぱり今考えてみると、このクラス(プリメーラ)にフロント・マルチリンクサスっているの?みたいな話はあります。
清水:そう、そこは結構、最近のシトロエン、DSなんかを見ると、リヤがトーションビームでこの乗り心地?っていうのあるから。やりすぎちゃダメなんだよな。儲からないし。

日産MID4は実は…な秘密?

ニッサン MID4=II
ニッサン MID4=IIの秘密?も語られた

高平:MID4なんかももう象徴的じゃないですか。80年代末の東京モーターショーなんて、もう絶対売れないだろ!?みたいなクルマばっかりみんなが競って作っていたっていう。このMID4は“II”でしょ。これは言っていいのかどうか、もう明らかなのかもしれないけど、これ、マグナ・シュタイア(オーストリア)で作ったんですよね。元ニスモで難波さんとかの下にいたラリーやっていた人(武井道男氏?)が突然その担当になり、「特殊車両のグループ長、オマエやれ!」って。「今年(1987年)の東京モーターショーまでに作れ! 走るヤツ作れ!! そうじゃないと絵に描いた餅だろ!って言う新聞屋がいるからよ。アイツらには追浜かどっかでガーンと乗せるんだ!」って。

高平高輝
高平高輝氏。二玄社・カーグラフィック誌副編集長、NAVI編集長、CG編集委員を経たのち2010年よりフリーのモータージャーナリストへ

清水:オレ、追浜でテストさせられたよ。要するにね、長谷見昌弘さんが「アンダーだからダメだ」って言ってNG出した。ホントにそうなのか?って、「じゃ清水さん乗って!」ってことで追浜で乗った。
高平:このMID4を作った人に聞いたら、夏休み中ずっとヨーロッパのマグナ・シュタイア行って、「なんとか作ってもらうように土下座してこい!」って上から言われて、 VGエンジンとセドリックのシャシーの一部を持っていって、これでなんとかしてくださいって。でもマグナ・シュタイアはあの頃、お金を積んで頼めば「わかった」って言ってくれるところだったと。四駆の技術をまともに持っていて、それをプロトタイプに作り上げる技術を持っていたのは、ヨーロッパにも3つくらいしかない。
清水:マグナ・シュタイアとファーガソン? でもファーガソンは技術だけ。

高平高輝と清水和夫
高平高輝さんと清水和夫さんが話をし始めると、脱線が止まらず

高平:作れるのは一部イタリアのカロッツェリアとレーシングチームがくっついているようなところとか。だから日産は この頃からマグナ・シュタイアとの関係があった。でもこういうのを突貫工事でこのレベルまで作り上げられたっていう、それもあの当時ならでは。
清水:いくら払ったかは知んないけど!
高平:多分ものすごいお金だと思います。でも払った価値はあった。したがって、これ(MID4-II)はGT-Rチーム(BNR32)がやっていたアテーサ(ATTESA)とは全然関係ないんですよね。

みんな大好き12気筒エンジン! でもその行方は?

清水:グループBで中央研究所がポルシェ959を買って研究していたんですよ。渡邉衡三さんも買ったので、日産は2台の959を持っていた。一台はGT-Rのネタになったんだけど。
高平:オレたちが話すると、どんどん脇に脇に入っていく!
清水:加藤博義(日産レジェンドテストドライバー)も連れてこようか!

清水:92年にバブルが崩壊して、日産がちょっと経営が苦しくなって、2000年にカルロス・ゴーンちゃんが来ちゃったっていう。
高平:その間、何年かありますけど、これだけ戦線が伸びていて、ちょっと景気が悪くなったからなんとかしようって言っても、そりゃ自動車会社はデカいからしんどいですよね。一方で、マツダはもうほぼもう崖っぷち、転落寸前だった。
清水:だって12気筒エンジンまで作っていたんだよ。

ジオット・キャスピタ
JIOTTO CASPITA/ワコール+童夢+SUBARUのスーパーカー

高平:みんなどうかしていましたよね! 12気筒エンジン作っていないメーカーはなかった。
清水:いすゞも三菱も作っていた。スバルはジオット・キャスピタ(JIOTTO CASPITA/ワコール+童夢+SUBARUのスーパーカー)があったでしょ、水平対向12気筒エンジンの。でもスバルはドラム缶に入れて封印したらしい。
高平:アレ、なぜカルロ・キティ博士(Carlo Chiti/イタリア/レーシングカー&エンジン設計者)ほどの人が、昔は凄いものをいっぱい作っていたのに「あんなもん回るはずない」って。ヒラメみたいなデカいクルマ。機械抵抗だけでまともに回らないでしょコレ!っていうくらい、そういう時代だったんですね。浮かれていたのかな。
清水:なんかまた話が横道にずれたよ!

ジオット・キャスピタ
ジオット・キャスピタのSUBARU製水平対向12気筒エンジン

ヘリテージコレクションが教えてくれるもの

高平:すぐ時間経っちゃう、まずいな。でも、この“ヘリテージ”ってなんか硬い感じがしますけど、これからを考えるのに、“日本のクルマはオークションで馬鹿みたいな値段がついている”っていうやつだけじゃなくて、結構頑張ったクルマとか、今見てもいいなとか、凄いことをやったんだなっていうのを知ってほしい。
清水:だからさ、ここ日産ヘリテージコレクションも、コッチのモータースポーツの車両がなくてコッチの量産車だけだったら、なんとも味気ないっていうかね、デザイン的には。
高平:確かに。でも好きなのもありますけどね。スカイラインはその昔のレースの栄光があったからこそ。でもコレ、今見るとかっこいいですよね。“ジャパン”ってなんだよ!って感じ。
清水:でもやっぱGC10じゃない?
高平:ボクが一番最初に友だちと買ったクルマ、GC10のデラックスって知ってます? 1500ってやつがあったんですよ。

清水和夫の愛車
最初の愛車はハコスカだが、ラリーではランサーやTE27レビンで参戦
清水和夫
大学生時代の清水和夫さん(ご本人提供)

清水:さっきサファリラリーの話をしたけど、オレはリアルに72年にGC10ハコスカに出合って、また人生が変わったクチだな。ラリーはハコスカじゃデカくてダメだったから、売ってランサーかなんか買った。で、TE27レビンにいった。でも、スカイラインと出合ったから、大学でクルマ好きがみんな寄ってきて、ラリーに連れて行かれた。スカイラインでは鋸山走ったり。TE27レビンで街道レースやったり!?
高平:昔はスカイラインでもちっちゃいハブでスタッドボルトは4本だし、これじゃあサファリラリーに持って行っても、ねぇ。
清水:北海道美瑛に行くとさオレ、ケンメリ・スカイラインのCMのポプラの木ってあるじゃない。あの辺行ったら必ず行くんだよね。

歴代スカイライン
高平氏、かつての愛車を見つけて大喜び!

高平:スカイライン1500デラックス、あったあった! ちょっと鼻が短い。スカイラインのなかの、AE86じゃなくてAE85みたいな立ち位置。助手席のドアが外から開かないっていう凄い中古を友だちと買って、ふたりとも運転席側からしか乗れないっていう! 確か10万円だった。
清水:あ~こんなにノーズ(の長さ)違うんだ。オレはGC10ハコスカね。

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クルマ大好きなオジサマふたりだと、ここ日産ヘリテージコレクションを見て回るといろんな話、思い出話についつい花が咲いてしまう! というところで、次回その3では、未来を考えつつ、希少金属を得るため、維持するためにはどうすればいいのか?などの話へと進みそうです。

その1はこちらから。
その3はこちらから
その4(最終回)はこちらから

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著者プロフィール

清水和夫 近影

清水和夫

1954年生まれ東京出身/武蔵工業大学電子通信工学科卒業。1972年のラリーデビュー以来、N1耐久や全日本ツ…