ダイハツ「シャレード」は、どのようにして世界初の1.0L 4スト3気筒を実現したのか【歴史に残るクルマと技術041】

ダイハツ「シャレード」
ダイハツ「シャレード」
1960年代に小型乗用車市場に本格参入したダイハツは、1977年にダイハツオリジナルのリッターカー「シャレード」を発売。1.0Lエンジンながら、1.3Lクラスの小型車に匹敵する室内空間を実現し、世界初の4ストローク3気筒エンジンを搭載した、リッターカーの先駆車だった。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)

●発動機製造から、トラック、そして小型乗用車に参入したダイハツ

ダイハツの前身は、1907年に設立されたガスエンジンや船舶用エンジンを製造する発動機製造株式会社だ。1930年には、自社製エンジンを搭載した3輪トラックを発売し自動車事業に参入。戦後になり、トラック需要の高まりを受け急成長し、1951年に社名を「ダイハツ」へと改称した。

ダイハツ「シャレード」
1977年にデビューしたリッターカー「シャレード」

その後も小型3輪「ミゼット」などの軽トラックで業績を伸ばし、1960年代に入って小型車乗用車の開発に着手。1963年に「コンパーノ・ベルリーナ」、1964年「ベルリーナ800」、1965年「コンパーノ・スパイダー」、1966年には軽自動車「フェロー」をデビューさせ、小型車と軽自動車メーカーとしての基盤を築いた。

初代「ミゼット」
1957年にデビューして大ヒットした初代「ミゼット」

しかしその後、自動車業界再編の煽りで、ダイハツは1967年にトヨタと業務提携を締結。1969年にトヨタ「パブリカ」のボディを流用した「コンソルテ」、1974年にはカローラをベースにした「シャルマン」を発売。そして、1977年に満を持してダイハツオリジナルのリッターカー「シャレード」を市場に投入した。

●快適な室内空間のリッターカーの先駆車シャレード

シャレードの基本的なコンセプトは、1.3Lクラスの小型車に匹敵する性能と室内スペースを持ち、さらに軽自動車と同等レベルの燃費性能を実現することだった。

ダイハツ「シャレード」
ハッチバックスタイルの「シャレード」

当初は4ドアハッチバックのみだったが、翌年にハッチバッククーペが追加され、コンパクトながらタイヤを極力隅に追いやり広い室内空間を確保。室内の投影面積が約5.2m2だったことから、“ゴー(5)・へーべ(m2)・カー”とアピールした。
最高出力55psを発生するエンジンは、乗用車としては世界初となる1.0L の4ストローク3気筒 SOHCエンジンで、3気筒エンジンの課題である振動については、独自に開発したバランサーシャフトの採用で低減。トランスミッションは、4速&5速MTで横置きエンジンのFF駆動だ。

室内空間の広さに加えて、車重が630~660kgと非常に軽量だったため、軽快な走りを実現。車両価格は、65.3万~79.2万円、ちなみに当時の大卒の初任給は9.6万円程度(現在は、約23万円)だったので、単純計算では現在なら156万~190万円に相当する。
当時は、1973年のオイルショックや排ガス規制強化の影響で省エネブームが起こり、軽快な走りと低燃費のリッターカーのシャレードは、ダイハツ久々のヒットとなり、リッタカーブームの火付け役となった。

●独自開発のバランサーシャフトで3気筒エンジンの振動を低減

シャレードが3気筒にこだわった理由は、4気筒に比べて部品点数が少なく、またフリクションも小さくなるのでコストと燃費で有利なこと。さらに排気量1Lの場合、4気筒だと1気筒あたりの排気量250ccに対して、3気筒だと333ccと大きくなることも燃費で有利となる。1気筒あたりの排気量が小さ過ぎる(ボア径が小さい)と熱損失が増え、熱効率が低下するのだ。

だだし、3気筒エンジンは4気筒エンジンに比べて振動が悪化するという欠点がある。これは、3気筒では燃焼行程がクランク回転120度に一回起こるので、1つの気筒のピストンが燃焼行程の時に、ほかの2つのピストンは往復運動の中間位置にあり、しかも上昇と下降の別の動きをするので、偶力と呼ばれるエンジンを回しながら揺するような独特な振動が発生する。

この振動の課題について、シャレードはクランクシャフトと連動する逆回転のバランサーシャフトを設け、振動を打ち消す方法で対応。ちなみに、現在の3気筒エンジンはバランサーシャフトだけでなく、バランスウエイトの設定やエンジンマウントの改良などで対応している。

●優れた走りと低燃費をラリーやエコランによって世界にアピール

シャレードは、優れた走りと経済性を実証するために、積極的に海外ラリーやエコランにチャレンジした。

ダイハツ「シャレード」
1979年~1983年の間、WRCモンテカルロラリーに挑戦したシャレード(RallyPlus誌)

特に、モンテカルロ・ラリーでは軽量ボディの俊敏な走りを披露し、1979年から参戦し翌1980年にクラス2位、そして1981年には見事クラス優勝を成し遂げ、シャレードの名を世界に轟かせた。

また、1979年にオーストラリアで開催されたトータルオイルエコノミーランで平均燃費18.14km/Lで優勝、シンガポールで開催されたタイトニー・エコノミーラリーでも平均燃費34.3km/Lで優勝するなど、走りだけでなく優れた燃費性能も大きくアピールしたのだ。

コンパーノ・スパイダー
1964年にデビューした「コンパーノ・スパイダー」

●ダイハツのシャレードが誕生した1977年は、どんな年

5代目スカイライン ・ジャパン
1978年にデビューした日産の 5代目スカイライン ・ジャパン

1977年には、日産自動車の5代目「スカイライン(通称、ジャパン)」、トヨタから「チェイサー」も発売された。
5代目スカラインのジャパンは、人気モデル「スカイライン・ケンメリ」に続いて“日本の風土で生まれた日本車の決定版”の意味を込めて命名され、引き続き人気を獲得。チェイサーは、「マークII」兄弟車の高級感あふれるスポーツセダンで、1980年には「クレスタ」も加わり“マークII 3兄弟”として、スポーティな高級セダンのハイソカーブームをけん引した。

トヨタ「チェイサー」
1977年にデビューしたトヨタ「チェイサー」

その他、読売ジャイアンツの王選手が765号のホームラン世界記録を達成、日本初の気象衛星「ひまわり」打ち上げの成功、白黒TV放送が廃止され完全カラー放送に移行、日本赤軍による日航機ハイジャック事件が発生し、ピンクレディが大人気となった年である。また、ガソリン121.4円/L、ビール大瓶204円、コーヒー一杯220円、ラーメン250円、カレー328円、アンパン68円の時代だった。

シャレードの主要諸元
シャレードの主要諸元

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小型車に負けない走りと軽自動車並みの低燃費を実現したリッターカーの始祖「シャレード」。リッターカーという新しいカテゴリーを開拓した、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…