かつて小学校の運動会を見学したとき、無心で走るお子さん達の姿に感動しました。コーナーを曲がるとき、ヒトは内側に体を傾けて(ロール)遠心力に対抗しているのです。ロールは力学的には遠心力による自然の姿です。コーナーを曲がるとき、オリンピック選手も然り、野球の走者も同様に内側に体を傾けて走ります。しかるにクルマは間違ったままです。当時、研究室の学生に自然の姿とは逆、即ちクルマの挙動を模して外側に体を傾けての走りに挑戦、誰ひとりとして走ることできず、大爆笑でした。
ところで航空機は、気体である空気中を飛行し、制御者であるヒトも機体と一体化した運動となり、路面をタイヤが転がって走るクルマとは異なります。船舶の水上航行は航空機と同様に、ヒトは船体と一体化しています。路面をタイヤが転がって走るクルマの運動は、単純のようで意外と複雑です。その力学は、タイヤが弾性体であるゴムですので物性論も加わり、厳密な理論を追求し始めると複雑の極みとなり、脳細胞が破壊されそうになります。
さて、その昔、蒸気自動車が英国に登場したとき、ホースレスキャリッジ(馬無し馬車)と呼ばれ、その当初、スピードは遅く、路面の凹凸による激しい揺れなどにより、ロールのことはさほど問題にならなかったのでしょう。やがて内燃機関が発明され、高速の世界を実現するようになると、ロールを少なく収めるサスペンションなどを工夫し、いわゆる運動の科学的な論理はそこそこにして、実用的な技術対応の道を歩んできたのです。
加えて、ヒトには慣れの特性があるため、長きにわたって所定の操作が身に付きますと、緊急時などでは事の良し悪しとは関係なく、かつての制御行動に里帰りしてしまうこともあります。とりわけクルマは、スピードの世界であり、ヒト自体の日常の行動レベルを遥かに超えた領域ですので、慎重な対応が不可欠です。ただし、自動運転の時代になれば、ヒトの制御はなくなりますので、問題ナシとなりましょう。ただし、このロールそしてピッチングが大きく出てしまいますと走る居間での作業や飲食などの外乱となってしまいます。原理原則の道を間違えてしまいますと、そのツケはどこまでも背負っていかなければならないようです。