世界は、そして日本は不安に満ちている 平均所得は上がらず、クルマの売れ行きはジリ貧。2030年の日本は、どうなっているだろうか

2022年、自動車業界には何が起きるのか……ちょっとひねったキーワードを5つ挙げる。直球はつまらないので変化球でお届けする。最後の5つめは「ふ・あ・ん」だ。バブル崩壊から30年。日本人の平均所得はほとんど上がらず、クルマの売れ行きもジリ貧だ。その背景には世代ごとの不安がある。老いも若きも「クルマなんか買っている場合じゃない」と思っている。
TEXT○牧野茂雄(MAKINO Shigeo)

「交通事故の加害者になりたくない」から運転はしない。
老後が心配だから若いうちから保険に加入する。
2030年の日本は、いったいどうなっているだろうか

「残念ながら、日本と韓国の自動車市場はもう伸びそうにない」

「残念ながら、日本と韓国の自動車市場はもう伸びそうにない」

ある市場調査会社でこう聞かされた。

「伸びる要素がない。高齢化が進み、出生率がどんどん下り、クルマを運転する人が減る。そのいっぽうで、クルマはグローバル商品だから新車価格は世界の物価上昇にスライドして少しずつ値上がりする。欧米もASEAN(東南アジア諸国連合)も物価は上昇している。日本は石油など資源価格上昇によって一部の物価が押し上げられているだけで、経済の活力はない。物価上昇というよりつねにデフレの不安がある。おそらく2022年も日本人の所得は増えない。来年も再来年も増えないだろう。日本人にとってクルマは、ますます買いにくい耐久消費財になる」

たぶんそのとおりになるだろう。

よく「若者のクルマ離れ」と言われるが、持ちたくても持てないという人の割合がかなり高いと想像する。「嫌い」なのではない。10年ほど前には、自動車メーカーの経営陣が社内に向かって「スマートフォンのようなクルマを作れないのか」などといっていたが、筆者にはまるで意味不明に聞こえた。スマホは必需品だから買う。カメラとしてもPCとしての能力もオーディオプレーヤーとしての能力もすべて中途半端だが、たいがいの人びとは性能・機能に対しあまり不満を抱かない。これ一台あればほとんどの用途をこなせる。だから持つ。

いっぽう、クルマの購買優先順位は相対的に下がった。スマホ必須。へたすると衣食住よりも、とにかく必須。あとは人それぞれの価値観で選ぶ趣味の製品やファッション、飲み代などなど。クルマは高い割に役に立たない。生活圏内で公共交通機関を使えるなら、なおさら必需品ではない。それだけだと思う。

シェアリングが流行るとも言われたが、これは無責任なメディアの「トレンド探し」に過ぎなかった。じつは、世界中でカーシェアリングは勢いを失いつつある。理由は「とんでもなく汚い乗り方をする常識のない借り手」がいることや「コロナ禍での外出自粛」「他人が触ったハンドルやシートを触ることへの嫌悪感」といった理由だ。

中国では、シェアリングで借りたクルマで人身事故を起こしたドライバーが「このクルマの会社が責任を取るからそこに連絡してくれ」と現場を立ち去る例もあった。そういうドライバーはクルマをぶつけてもお構いなしである。傷だらけのシェアリングカーがイメージを悪くしたことは否めない。

また、一時期中国ではBEV(バッテリー電気自動車)のシェアリングが流行ったが、その背景には「一般に売れないBEVの処理」という事情があった。中国の自動車メーカーがシェアリング会社を作り、そこにBEVを卸すという構図だった。

メディアはよくCASEという欧州某社が広めた造語をもてはやすが、C=コネクテッド(外部の情報ネットワークとの接続)はいいとして、A=オートノマス(自動運転)はどうも実現性が怪しく、S=シェアリングは下火、E=エレクトリフィケーション(電動化)は政治由来と投資家由来の要素が大きく、半分以上がユーザーからの要望ではない。

日本はどうかといえば、コネクテッドは渋滞情報のVICSで始まり、エレクトリフィケーションはHEV(ハイブリッド・エレクトリック・ビークル)で始まった。欧米よりもずっと早かった。いっぽうカーシェアは「自分で所有しないコト消費」だが、それほどメジャーではない。自動運転は、ホンダがレベル3実装市販車を出したが、いまの時点でやりたくてやったわけではない。法制度が整備されたのに自動車メーカーがどこも参加しないのは失礼という理由がある。

「若者のクルマ離れ」だとすると、カーシェアが流行らないのは「クルマを持てないから」という理由と同時に、クルマの運転をしたくない、自転車でいいという理由があるはず。

「新興国でもスマホは普及している。昔なら真っ先にバイクを買ったが、現在はまずスマホを買う。スマホは万能情報機なので買う。その先に、収入の余裕があるか、余裕が出そうだという感触を抱いていればバイクを買う」

これはある自動車メーカーの方の発言だ。見方を変えると、日本の購買事情は新興国並みになりつつあるとも言える。また、こういう発言もあった。

「いまのお客さんは『交通事故の加害者になりたくない』という思いが強い。自分がケガをするというではなく、ぶつけた相手に迷惑がかかる。その人の補償をしなければならないというところが心配。そうなったとき、自分の家族がどうなるかという不安感を抱える人が増えている。だから最大の関心事は自動車保険になる」

保険という意味では、人生100年にも備えなければならないから生命保険、医療保険、がん保険などにも加入しなければならない。若い人がこうした保険に進んで加入している。じつは、この傾向は日本だけではない。いくつかの意識調査について取材すると、世界は不安に満ちているという印象を抱く。

「裕福になると、交通事故によって自分の社会的地位や収入を奪われることが心配事になる。だから保険に加入する。この傾向はアメリカもEUも、ここへ来て裕福になった中国にも共通している。物質的にも精神的にも恵まれた社会なのに、不安だけ大きくなった。そう言えるだろう」

これは自動車メーカーの安全技術担当氏のコメントだ。もうそろそろ高齢者と呼ばれる歳になる筆者は、相変わらずクルマは捨てず、能天気にクルマを運転している。若い人に言わせればリスクテイク最悪なのだろう。いっぽう、自分の収入の中で必要な保険支出を計算し、とてもクルマを持つ余裕はないと考えれば、若い人たちはクルマなど持たない。それがもっとも有効な人生のリスクテイクになると考える。

世界を覆う不安のもとにはなにがあるのか?

世界を覆う不安はたくさんある。CO2(二酸化炭素)など温室効果ガスによる地球温暖化への不安は、スウェーデンの某お嬢さんをイギリスの活動組織がメディアに登場させたように、若い世代が強く感じているようだ。これも意識調査のデータに現れている。

旧知のイギリス人ジャーナリストは「あのお嬢さんを国連総会に出席させるためヨーロッパからアメリカまで『誰かが』ヨットをチャーターしたが、ヨットのクルーは全員、飛行機で帰った。計算すると、お嬢さんが飛行機でニューヨークへ飛ぶほうがはるかにCO2負荷は小さい」と言った。こういう本末転倒行為は、単なる話題づくりとプロパガンダにしか思えないのだが、表層だけしか知らされない場合は共感の対象になり得る。

ガソリン車とディーゼル車は禁止。全部BEVにすべきだ……こういう発言を聞くと、筆者は「なぜ?」と思ってしまう。どこまで環境負荷を計算した結果なのか。石油や天然ガスといった化石系エネルギーはダメで、太陽光や風力はOK。雨が続いても風が吹かなくても、電気は貯めておける。半分は当たっているとして、どうやってやる? 答えはひとつしかないのですか?

EU(欧州連合)を中心に大きな流れになった自動車のエレクトリフィケーション、とくにBEVへの誘導は、EU委員会委員長に元ドイツ国防相のフォン・デア・ライエン女史が就任する前から金融界(広い意味で)の中に胎動があった。欧州では王室(王国はたくさんある=イギリス、スペイン、ベルギー、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、モナコ、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン)系ファンドも資金力を持つ。中国ではなく域内に投資をUターンさせたいと考えたとき、電池と再エネ発電にポテンシャルがあった。脱ロシア、脱中東というエネルギーシフトである。

ファンドビジネス側には不安があった。IT系と自動車が中国経済を引っ張り、アメリカはAmazonのようなECから軍需・宇宙まで知財中心のデファクトスタンダードを持つ。石油は中東産油国に握られ、ガスはロシアと中国が握っている。欧州にはエネルギーがない。しかも経済は停滞。長らく自粛してきた政府補助金を復活させる圧力は経済界からあったと聞いている。これも理由は不安である。世界は不安に満ちていたし、いまでも満ちている。

定年が70歳まで延長されたとして、生保や住宅会社までが「人生100年」と喧伝しているから、退職金と年金だけでは到底足りない。そもそも年金制度は大丈夫なのか? 老後のためには働けるうちに稼いで貯蓄しておかないと!

しかし、70歳定年となったら企業の新規採用は圧縮されるだろう。ますます老人天国だ。そもそも日本企業が生き残れるのか? すでに日本では外資への企業身売りと資産売却が活発であり、このままでは国内の資産が根こそぎ海外に持って行かれる。しかし企業体力が衰えている。これで自動車がジリ貧になったら、日本は資源も食料も輸入できなくなる。

日本の自動車市場はこのまま漸減を続け、自動車産業は国内で稼げないようになり、日本で販売される日本車の数がどんどん減り、しかしも車両価格は高くなる。アメリカは地元市場が1700万台あるから、日本勢は現地生産体制を整え、アメリカとしての自動車産業は衰退していない。日本は地元市場が減り続けている。

欧州自動車産業はアメリカの影響力をほぼ排除し(残るはフォードだけ)、独自の文化を守り、現在はBEV保護主義を敷く。自動車市場の規模はアメリカとほぼ同じであり、その点では不安は少ないだろうが、ボルボ・カーズとロータスは中国資本でありダイムラーは筆頭株主が中国。しかもこの3社をほぼ支配しているのは吉利ホールディングスというたった1社の中国企業である。欧州経済界の不安材料のひとつはここにある。

最後に余談を。

筆者がときどき夜中に仕事をしにいっていた某ファミレスのメニューに「白玉ぜんざい」があった。2000年ごろには白玉が5つ入っていた。それが4つになり、現在は3つである。値段は変わらない。筆者が葉巻を吸いに出かけていた近所のビストロは、ランチセットに小さなデザートと飲み物が付いていたが、デザートがなくなり、飲み物が別料金になった。いつも楽しみだった色鮮やかなサラダはわずか2色になった。値段は変わらない。

消費税が5%から8%へ、8%から10%へと2段階で税率アップされたため、その分を価格転嫁できない業種と事業者は多かった。これが日本経済へのボディブローになったと筆者は考えている。このビストロでランチを楽しんでいるのは、あらかた拙宅近所の外資系企業に勤める外国人になった。日本人はビストロでのランチを諦めた。

筆者が好きなキューバ産葉巻は、いまや中国のほうが日本より値段が高く、入荷量は圧倒的に多い。日本には回って来なくなった。アジアのキューバ葉巻代理店であるパシフィック・シガーは香港資本だが、20年前の上顧客には日本が入っていた。現在は中国やマレーシアだという。これが購買力の差である。しかし、親しくしている中国人たちは日本に葉巻を買いに来る。「日本なら偽物をつかまされるリスクがゼロだし、安いからね」と。これが現実である。

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著者プロフィール

牧野 茂雄 近影

牧野 茂雄

1958年東京生まれ。新聞記者、雑誌編集長を経てフリーに。技術解説から企業経営、行政まで幅広く自動車産…