これはスゴイ! 「アメリカングラフィティに憧れて」 貴重なホットロッド、1932年型フォード・デュース現る! 【クラシックカーヒストリックカーミーティングTTCM2022】

6月18、19日に栃木県足利市の渡瀬川河川敷にある北多目的広場で開催された「クラシックカーヒストリックカーミーティングTTCM2022」。参加車の中からピックアップした旧車たちを紹介してきた。最後は、1932年型なのに自走で参加されていたフォード・モデルBをお届けしよう。

PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)

1932年型フォード・モデルB。

とかくクルマはドイツ人が発明してフランス人がレースを始め、アメリカ人が量産化したなどと喩えられる。高価で一部の層にしか買えなかった自動車を、アメリカのフォードがライン方式による量産体制を整え1908年に発売を開始したのがモデルT、T型フォードと呼ばれるモデルだ。大量生産を可能としたことで低価格を実現。自動車が誰でも買える存在としたモデルTは、自動車史におけるエポックでもある。長く生産されたことも特徴で、ライバル車が続々と発売されたことで商品力が失われた1927年に後継車のモデルAが発表されるまで1500万台以上が生産された。後継車のモデルAはモデルTのような成功を収めることができず、フォード自体も経営危機を迎えるなど逆境が続く。そこで新たにV型8気筒エンジンを搭載するモデルBを1932年に発売して、ようやくライバルに一矢を報いるのだった。

ホットロッド仕様にされたモデルB。

モデルBも爆発的なヒット作だったとは言い難いものの、V8エンジンという新たな価値観を創出して評価されることとなった。これら戦前のモデルはフォードに限らずアメリカ全土に普及していたから、古くなった中古車も豊富に存在した。スポーツカーがまだ発売されていなかったアメリカで、これら中古車たちは格好の改造ベースになっていく。新車を買えない若年層が重いパーツを取り去りエンジンをチューニングしたりV8に載せ換えて、スポーツカーのように速さを競って楽しむのだ。これが第二次世界大戦後にカリフォルニアを中心として盛り上がりを見せたホットロッド文化へとつながっていく。例えば映画『アメリカン・グラフィティ』には進路が決まり地元を離れることになる若者たちが、1932年型フォード・モデルB「デュース」で走り回る姿が描かれている。「デュース」は軽量化を施したことでV8エンジンの速さを際立たせたホットロッドの代表的な存在。映画を見て憧れたという人も多いことだろう。6月18日に取材した「クラシックカーヒストリックカーミーティングTTCM」の会場で、一際目を引くホットロッドが展示されていた。近くで会話をしている人たちの話を聞くでもなく聞いていると、やはり「アメリカン・グラフィティに出ていた〜」と盛り上がっている。会話の主であるモデルBオーナーにお話を聞いてみることにした。

誇らしげなV8エンブレム。
フロントウインドーは下側が開く構造。
室内側にヒンジが残り開閉する。ルーフには木材が使用されていた。

モデルBのオーナーは現在51歳になる荻野さん。よくぞ貴重な1932年型フォードを手に入れることができたものと感心してしまったが、よくよく聞けば1942年に作られたハーレー・ダビッドソンの軍用バイクであるWLAも所有されているとか。根っからの古き良きアメリカ車がお好きな人だからこそ実現されたのだろう。このモデルBは1年前にショップから手に入れたそうで、決め手になったのはホットロッド姿であることもそうだが、ほとんどのパーツがオリジナルのままという点もポイントになったようだ。前述したようにホットロッドとして改造する場合はオリジナルパーツを外して新しいV8エンジンにしたり、不要なパーツを取り去るだけでなくルーフをチョップしてしまう例も多いからだ。

エンジンフードの左右はフックで固定されているだけ。
エンジンフードを開くとフレームが剥き出しになる。
フラットヘッドと呼ばれるサイドバルブ式V8エンジン。

アメリカではホームセンターでV8エンジンが買えるという比喩があるほど、豊富に自動車部品が流通しているしユーザー自ら改造や修理を行うことが文化として根付いている。だから古い戦前型フォードに新しいV8エンジンを載せていることは珍しくないし、むしろ多いくらいかもしれない。だからこのモデルBに搭載されているオリジナルのフラットヘッドV8はとても貴重なこと。萩野さんもこうしたところで購入する決意を固めたようだ。とはいえホットロッド仕様なので細かなことは気にされていない。珍しい色の塗装もそうで「サビ留めを塗っただけ」と語っている。クルマを自由に楽しむのがアメリカ流なら、萩野さんの楽しみ方もアメリカ文化にならったものだといえるだろう。

ほとんどの内装材が剥がされた室内。
ベンチシートが標準なところもアメリカらしい。

1932年に作られたエンジンをそのまま載せていると聞けば、誰もが「大丈夫?」と思うことだろう。ところがこの時代のサイドバルブ式エンジンは滅法丈夫なことでも知られている。もちろん燃費が良いわけもないし音や振動はそれなりのもの。ただ壊れて動かなくなるようなことは少ないし、補修部品はアメリカでいくらでも揃うから維持する不安は少ない。実際、萩野さんは決して近くはない埼玉県から自走でイベントに参加されている。しっかりと手を入れてあれば戦前型でも走れるものだし、その操縦性は今なお楽しいと表現できるもの。モータリゼーションがいち早く根付いたアメリカらしいところで、量産化だけでなく世界で一番クルマを楽しんできたのはアメリカなのかもしれないと思わせてくれた。

著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…