丁寧なDIYによりノーマルに戻された1969年式チンクエチェント!【クラシックカーヒストリックカーミーティングTTCM2022】

DIY修理で甦ったフィアット500! カスタムされたチンクエチェントをノーマルに戻して楽しんでます!【クラシックカーヒストリックカーミーティングTTCM2022】

6月18日から19日の2日間かけて初開催されたクラシックカーヒストリックカーミーティングTTCM。会場には年式を問わずあらゆる国籍、ジャンルのクルマたちが集まった。今回は展示された姿があまりに可愛いためか、絶えず人だかりを作っていたフィアット500、チンクエチェントと自ら修理を続けてきたオーナーのお話を紹介しよう。

PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1969年式フィアット500L。

2007年に復活したフィアット500は今でも新車が買える長寿モデル。長く続く人気の秘訣は、やはり可愛らしいスタイルとミニマムなメカニズムながら運転して楽しいと誰もが思える操縦性にある。操縦感覚とスタイルはともに先代であるヌォーバ500、2代目フィアット500から引き継いだ伝統でもある。ヌォーバ500ことチンクエチェントは1957年に発売された4人乗りの小型車で、リヤエンジン方式を採用することで小さなボディながら開放感ある室内を実現。この時代のイタリアでは第二次大戦後に大流行した小型バイクやスクーターの全盛期。スクーターなどのユーザーがステップアップするべく開発されたのが、全長3メートルを切る小さな小さなボディのチンクエチェントだった。エンジンは簡素な空冷2気筒で排気量はわずか479cc。ところが小さく軽いボディには十分な性能をもたらし、イタリアだけでなくヨーロッパ中で広く愛用されることとなった。一方日本では360cc時代から軽自動車が普及したこともあり、小型車扱いになってしまうフィアット500はイギリスのミニやフランスのシトロエン2CVなどとともに、もっぱらマニアから支持を集めただけで一般的な存在にはならなかった。チンクエチェントの名を知らしめたのはTVや映画になったアニメ『ルパン三世』での活躍。それも放映当時からではなく、随分と時間が経ってからのこと。人気に火がついたのは新車からすでに20年以上を経た頃で、その当時はイタリアからの並行輸入車が多かった。一時期大いに中古車市場にも出回ったが、最近は新車が手に入るようになって人気は落ち着いたかに見える。それでも6月18日に取材した「クラシックカーヒストリックカーミーティングTTCM」の会場には2台のチンクエチェントが参加して見学者の目を楽しませていた。そのうち1台のオーナーからお話が聞けたので紹介したい。

リヤエンジンらしくスリットが数多く開けられたリヤスタイル。

お話しすることができたオーナーの佐藤一博さんは現在52歳。実はまだ20代だった25年ほど前にもチンクエチェントを手に入れた経験がある。昔から小さなクルマがお好きだそうで、趣味の対象としてチンクエチェントは外せない存在だった。ところが若さゆえか、経験不足だったり知識不足、はたまた自らの修理技術などさまざまな理由から乗り続けることを諦めてしまわれた。確かに25年前といえばチンクエチェントが大いに並行輸入されていた時代で、ボディの鉄板が腐食により失われてしまった部分へ当て板をしてパテで成形された個体も多く混ざっていた。それを高温多湿な日本で乗り出すと数年と経たずにボディから塗装ごとパテが剥がれてアラびっくり!となる。ひどい場合だとブレーキングで室内の床が抜けたとか、エンジンからオイル漏れが止まらない、足回りからガタゴト音がするなど手のかかる代表のようになってしまう。佐藤さんのファースト・チンクエチェントも修理に手こずり手放すことになった。

キャンバストップを開けて走ると室内の狭さから解放される。
ボディサイドのモールは腐食の温床になるが、この個体は奇跡的に無事だった。
オーナーお手製のキャリアを装着。

若い頃に一度はかなえたものの、道半ばにして諦めた経験は佐藤さんにとっても忘れられないことだったろう。どうしてもまた欲しくなってしまったのが今から5年ほど前のこと。20代の頃とは違い、ある程度の経験を重ねて古いクルマの扱いや修理技術も身についた。今ならチンクエチェントに手こずることはないと自信が持てたこともあって、中古車屋巡りを始めたのだ。何件かのショップを訪問した後、ショールームに展示されているカスタムされた個体を発見する。店主と話しをすれば5年ほど同じ場所に展示したままながら車検は継続して受けている状態。断って細かく観察させてもらうと、過去に苦い思いをした経験のある佐藤さんらしくボディのサビや腐食具合をチェック。チンクエチェントの場合、フロアごと補修部品と入れ替えていることが多いものだが、この個体は新車時のフロアを維持しているように思える。ボディサイドのモールはボディに固定するため突起があり、ボディ側に穴が空いている。ここから雨水などが侵食してサビや腐食に発展するのだが、この個体ではそれも見当たらない。これはもしや、すごく程度の良いボディではないか。内外装はあちこちがカスタムされていたが、元に戻せないことはない。そう思えた時点で手に入れることを決断された。

小径のウッドステアリングホイールに変更されている室内。
ダッシュボードの灰皿に航空機用メーター風の時計を、助手席側に爆破スイッチ風のUSB装置を装着。
前後のシート表皮やカーペットは張り替えてある。

カスタムされた旧車を手に入れる場合、そのまま乗るなら気にしなくても良いがノーマルに戻したい場合は注意が必要だ。外板をカットしたり広げるなどの加工がされていると、ノーマルへ戻すために純正形状のパネルを買ったり、手に入らない場合は鉄板から作り直さなければならない。こうなると費用も時間も大いにかかるのだが、佐藤さんのチンクエチェントはそこまでのカスタムではなかったようだ。写真をご覧の通りで外装はほぼノーマルと言っていい状態にまで戻されている。ところが室内は佐藤さんの好みを反映して、若干の変更が加えられた。シート表皮を鮮やかなベージュ色のものに張り替え、シート色と合わせてカーペットも茶色系のものを敷くことにした。いずれもイタリア本国で販売されているアフターパーツで、今なら日本からでもネット通販により手に入れることができる。これらを買って手元に届くと、佐藤さん自らシートを張り替えカーペットも入れ替えた。ただドアの内張などはホームセンターで売っている布を貼ってアレンジしてある。明るい内装になったものの、佐藤さん曰く「オレンジ系の外装には黒がピッタリな気がしてきました」と、純正の色使いが絶妙なことを改めて感心している。

空冷2気筒OHVエンジンは純正のままオーバーホールしてあった。
チンクエチェント用に販売されている非純正のオルタネーターはパンクしたため交換。
エンジンルーム奥にオイルタンクを増設。
専門店に転がっていた試作品のマフラーを手に入れ装着。

車検が残っている状態で手に入れたため、納車後はしばらくそのまま走ってみることにされた。5年もの間ショールームに展示されていただけのことはあり、納車から1年はまともに動いてくれなかった。走っては壊れ、直しては壊れを繰り返し、なんとか普通に乗ることができるようになったのは2年目からという。その間、塗装以外の修理はすべて佐藤さん自ら作業されてきた。どのような症状を改善したか一例を紹介すると「走行中にワイパースイッチを入れたところ、エンジンが止まってしまいました」という。古いクルマのハーネスは漏電していることが多く、できることなら外して見直してみるのがベスト。ワイパースイッチを入れてエンジンが止まるのも、漏電や絶縁不良、アース不良などが原因であることが多い。こうしたトラブルに対処していくと、電気の大元であるオルタネーターがパンクしてしまった。チンクエチェントの純正はダイナモ式だが、イタリアでは発電効率の高いオルタネーターが販売されている。佐藤さんが手に入れた時すでにオルタネーターが付いていたが、前述のようにハーネスが怪しい状態のままだからパンクしやすかったのかもしれない。そこでイタリアから同じものを手に入れて交換された。趣味のクルマに求めるものは人それぞれだろう。ただ、避けて通れないのが故障やトラブルで、これを乗り越えてこそ旧車乗りともいえる。手のかかる子は可愛いなどと表現するが、そう思えるか思えないかが旧車を長く乗り続けられるかどうかの分かれ目になるのだろう。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…