5年掛かりで丁寧レストアされた1965年式「トヨタスポーツ800」

トヨタスポーツ800のレストアに3Dプリンターが大活躍?! 衝動買いから5年かけて仕上げたヨタハチ! 【甲府駅自動車博覧会】

「ヨタハチ」ことトヨタスポーツ800は日本に生まれた初のライトウエイトスポーツカーと言っていい。ヨタハチより前に発売された小型オープンカーのホンダSシリーズよりも100キロ近く軽量で、航空機のような設計思想が貫かれていた。それというのも航空機の設計者だった人物が開発を指揮していたからこそ軽量化が可能だったのだ。可愛らしいスタイルで人気のヨタハチだが、発売から60年近く経ちレストアするにも一苦労するようなお話を聞くことができた。

PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1965年式トヨタスポーツ800。

トヨタは1950年代半ばに当時の通産省が考案した「国民車育成要綱案」、後に国民車構想とも呼ばれた計画を受けて大衆車の開発を始める。その結果、700ccの空冷2気筒エンジンを搭載するパブリカが1961年に発売される。タクシーばかりの時代だが、庶民でもクルマが所有できるかもしれないと大いに注目を集め、実際に初のマイカーとして選ばれることが多かったパブリカ。当初は低価格を実現するため質素なまでの装備だったが、年々デラックス仕様とされ販売的にも大成功する。このパブリカのコンポーネンツを利用して安価なスポーツカーが作れないものかと考えた人物がいる。立川飛行機で戦闘機の設計を手掛けた長谷川龍雄氏で、トヨタに入社後はトヨエースや前述のパブリカ、さらに後には初代カローラの設計主査を務めた人物だ。元々が航空機の設計技師だっただけに、軽量化は専門分野のようなもの。徹底した軽量化と空力性能を追求することでパブリカスポーツの開発が進み、1962年に開催された全日本自動車ショーに参考出品されることになる。

パブリカスポーツの復元車。

スライディングキャノピーを備える航空機のようなスタイルが斬新なパブリカスポーツだったが、自動車ショーでの反響が大きく市販化への動きが進む。市販するにはやはりドアがなければ不便ということで、1964年の試作車ではスライディングキャノピーを廃止して一般的なドアと脱着式ルーフを採用。その翌年にあたる1965年、車名を新たにトヨタスポーツ800として発売が開始されたのだ。

65年から68年2月のマイナーチェンジ時までの前期型に採用されたグリル。

2022年6月5日に開催された甲府駅自動車博覧会の会場には2台のヨタハチが展示されていた。そのうちの1台は特徴的なグリル形状から前期型と思われた。その前期型がパレードのため展示車が出ていった会場に取り残されるようにして佇んでいる。近くにいるオーナーに話を聞くなら絶好のチャンスとばかり、取材をお願いすることにした。

前後のバンパーは軽量化のため小さな形状となっている。

前期型ヨタハチのオーナーは65歳になる長谷川善規さん。以前からシボレーK5や1937年型フォードなどを所有する熱心なアメリカ車ファンで、手のかかるモデルばかりだから当然のように独自のネットワークを広げられている。その縁で前期型のヨタハチを見る機会があり、大きなアメリカ車とは正反対のスタイルに一目惚れ。それから探し出して手に入れたのが現車とのことだ。

2022年の1月からエンジンとミッションをオーバーホールされた。
ガソリンを使う燃焼式ヒーターが特徴。

前期型ヨタハチを手に入れたのは今から5年前のことだったが、当時から万全の状態だったわけではない。古いクルマにも精通している長谷川さんなので、不調のまま乗るより一度しっかりメンテナンスをしてからと考えた。ただ、相手は60年近くも前の国産車。アメリカやヨーロッパは古いクルマを愛好するユーザーが多く、補修部品も数多く流通しているから修理できずに困ることは少ない。ところが補修部品がほぼ全滅に近いのが国産車。一部の人気モデル以外は純正・社外品問わず部品が流通してなく、さらには再生産されることもない。そこで長谷川さんは人脈を築き上げる。ヨタハチのマニアと知り合えば部品を確保することが容易になると考えたのだ。

アルミホイールに変更した足回りはブッシュを製作してリフレッシュ。

その結果、5年かけて必要な部品を集めることに成功する。2022年1月からエンジンとミッション、ブレーキのオーバーホール作業が始められ、ようやく満足いく性能を取り戻すことに成功された。ただ、ゴムブッシュやステアリングラックのパッキンなどの消耗品はどうしても手に入らなかった。そこで3Dプリンターによりワンオフ製作してくれる業者を探し出し、ヨタハチ用のものを複製することができた。もはや国産車のレストアに3Dプリンターが活躍する時代になっていたとは驚きだ。

イベントへ自走して参加するために装備を追加したインテリア。
中央のメーターだけヨタハチ用ではなくパブリカ用を使っている。
カーナビや携帯ホルダーは一般的だが扇風機を2連装するのは旧車ならでは。

実用性ではなく楽しみのために所有している旧車とはいえ、イベントへ自走して参加するならエンジンやミッション、足回りに不安があってはままならない。長谷川さんのように一気にオーバーホールできれば理想的だが、徐々に進める人も多いことだろう。旧車イベントに参加されているオーナーたち、特に希少な国産車はこのような苦労を乗り越えた人ばかりなのだ。今回のイベントは6月の開催だから猛暑ではない。けれどエアコンやクーラーのないモデルだと室内には扇風機が常備されていることが多い。長谷川さんのヨタハチにも扇風機が2個装備され、さらにフロントウインドーへ向けてサーキュレーターのようなファンまで追加されていた。

2座しかない室内。シートはリクライニングしない。
一段高くなるシートの後ろにスピーカーを追加。

室内を見ると純正を重視するより快適性や楽しみを優先されているとわかる。前述の扇風機などは必需品かもしれないが、シートの後ろには大きなスピーカーが設置されていた。ダッシュボードにはCDプレーヤーも装備されていたので、音楽を楽しめるようにされたのだろう。スピーカーを設置した場所は本来、ファスナーを開閉することでトランクにアクセスできるような構造。スピーカーを支えるような強度は当然ないため、この部分は作り直されているのだろう。スピーカーの間にあるフタのようなものも純正にはない装備だ。

ルーフは室内のノブを緩めて取り外す。

ちなみにヨタハチは軽量化のためボンネットやトランクリッド、バンパーなどにアルミが採用されている。またスライディングキャノピーではなく脱着式とされたルーフにもアルミが採用されていて、今なら豪華に感じる部分が多い。それでも1965年の発売時、このクルマは60万円を切る59.5万円の価格を実現していた。大衆車であるパブリカのコンポーネンツを流用することで実現した価格で、同時期のパブリカはスタンダードが37.9万円、デラックスのトヨグライド(AT)仕様だと45.9万円だった。パブリカ用の非力な空冷2気筒エンジンの性能をカバーするため、600キロを切る580キロでしかない車両重量を実現したのはこのためだ。こんなライトウエイトスポーツカーが現代に甦ったら、それこそ若者向けの人気モデルになりそうと思えるが、いかがなものだろう。

著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…