ロシア自動車産業の時計は再び止まってしまうかもしれない
トヨタがサンクトペテルブルクで車両生産を開始したのは2007年。乗用車だけでなく商用車(バンとマイクロバス)も生産してきた。2005年ごろのロシアは「経済好調のBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)」として注目され、将来は年間500万台を超える自動車市場になると期待されていた。トヨタの工場進出も、その期待感から実現した。
今回のトヨタの生産撤退は現地生産に必要な部品・資材の調達が「いつ正常に戻るか判断できない」点が最大の理由だ。日本や欧州からの輸入トヨタ車も含めて、新車の販売から全撤退する。残るのは修理とそのための部品供給だけだ。日産と三菱は現地生産を停止したままの状態。マツダはロシアのソラーズ社との合弁工場(ウラジオストク)での現地組立を終了することをロシア側と協議している。
日系自動車メーカーのロシア生産拠点は、いずれすべて閉鎖され、設備はそのままロシア政府のものになる可能性すら高くなってきた。大型のプレス機や溶接ロボットなどはすべて設置当時の最新鋭であり、まだ充分に使えるが、設備の撤収のほうがお金がかかるから、あらゆる設備はそのまま廃棄される。おそらく、撤去費用をロシア側に徴収され、ロシア側は国内企業に工場を売却するのではないだろうか。
マクドナルドなど外食産業の店舗もすべてロシア企業が「居抜き」で使っている。ロシア側にしてみれば「設備を置いて行きなさい」と言う必要もなく、日本の自動車メーカーから「人と資本」だけが消える。機械と建物はそのまま残る。サンクトペテルブルク市の要望でトヨタが作った橋や道路も残る。
それと、おそらくロシアの中古車輸入が増えるだろう。現在はVWグループやヒョンデ・キア・グループも生産を休止している。もし、全社が生産撤退となったら旧ソビエト国営企業しか残らない。金型や生産工具はすべて工場に残したままの撤退だろうから、いずれ同じ工場で生産再開できる可能性はある。しかし当面の商品がない。となれば中古車輸入だ。
トヨタはロシアでの修理と修理部品の供給は続けると発表した。だから、ロシアの業者が中古トヨタ車を輸入しても補修部品はある。かつてロシア政府が「右ハンドル車禁止」を強引に法制化したときも、極東ロシアの業者は日本から中古車を仕入れ、それを左ハンドルに作り直すビジネスで儲けた。そういう手間をかけても、走行5万km程度で手放された5年落ち(初回車検3年+継続車検2年)の日本車はすぐ売れる。
ロシアでの日本ブランド乗用車のシェアは、2020年実績で約16%。なかでもトヨタ「RAV4」、日産「キャシュカイ」、三菱「アウトランダー」といったSUVが人気だ。かつてトヨタ「ランドクルーザー70」、日産「パスファインダー」、三菱「パジェロ」で築いた信頼はいまも引き継がれている。
ロシアでは「日本は寒い国」だと思われているそうだ。この話は日本の商社マンや現地の自動車販売関係者からよく聞かされた。「寒い国、日本のクルマは信頼されている」と。それと、通貨の価値が安定しないロシアでは「景気が悪くなるとクルマが売れる」という現象がたびたび起きる。
「ルーブル紙幣の価値はどんどん下がるが、クルマの価値はそこまで下がらないし、外国車は市販価格が値上がりすれば中古車価格も値上がりし、買ったときよりも価値が上がることさえある。だから不景気の足音が聞こえてくると、クルマが売れる。現金を物に変えて持っていようという人が増える」
この話もずいぶん聞かされた。ロシアの自動車生産は2021年実績で156万台。かつて2012年のピーク時には223万台だったが、その後は増減を繰り返してきた。自動車販売のピークは2008年の322万台で、これも2013年からはほぼジリ貧の状態だ。
メーカー別のシェアは、販売総数163万1,163台(車両重量3.5トン以下)だった2020年の実績で首位が元国営のラダ、シェア21.06%(34.3万台)。2位は韓国・キアで12.37%(20.2万台)、3位も同じく韓国のヒョンデで10.01%(16.3万台)、4位ルノー7.87%(12.8万台)、5位フォルクスワーゲン(VW)6.14%(10.0万台)、6位スコダ(チェコのVW子会社)5.80%(9.5万台)、その次の7位がトヨタで5.62%(9.2万台)という順位である。
トヨタとレクサスを合計すると11万台を超え、5位のVWを抜くが、VWにアウディとスコダを加えたVWグループ合計では2位のキアを抜く。また、ルノー/ダチア、日産/インフィニティ/ダットサン、三菱の合計は2位のキアを3万台以上上回る。ロシアの自動車市場はヒョンデ・キア・グループ、ルノー・日産・三菱グループ、VWグループの大手3グループが年に合計80万台を売り過半数のシェアを握っている市場である。
すでにロシア生産から撤退したルノーは、2022年上半期(1〜6月)の連結決算で13億5,700万ユーロ(約1,800億円)の最終赤字を計上した。ルノーにとってロシアは、国別ではフランスに次ぐ売上を確保していただけに、撤退の影響は大きい。
ルノーの場合もトヨタ同様、半導体などの生産材が現地に届かないと言う理由で生産が止まっていた。しかし、ロシア撤退は5月に決めており、これはEU(欧州連合)加盟各国と歩調を合わせたロシア制裁という意味合いが強い。ルノーの経営には株主であるフランス政府が何かと首を突っ込んで来るから、これも仕方ない。
ウクライナ戦争がいつまで続くかはまったく予測もできない。ロシアの自動車普及率は2019年のOECDデータだと人口1,000人当たり365.78台。アメリカの813.17台に比べると半分以下だ。欧州諸国の多くは600台以上であり、旧東欧やベラルーシやラトビアもロシアを上回る。
ウクライナ現地から届く映像を見ていると、侵攻当初には多かった新しいキャブオーバー型のトラックはほとんどが破壊されたのか、最近は古い型のボンネット・トラックが圧倒的に多い。トラックはロシアメーカー製がほとんどだから、おそらく多くの工場で生産がストップしたままなのでは、と思う。
ルノーはロシア最大の自動車メーカー・ワズ(アフトワズ)の保有株式のうち68%をわずか1ルーブルで売却することを発表している。買い戻しオプション付きだが、プーチン政権が続く限りは買い戻すことはないだろう。ソビエト連邦崩壊とともに西側の資本と技術を入れて近代化が進んだロシア自動車産業だが、ふたたびその時計は止まってしまうかもしれない。