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驚愕だった、新価値創造のミニバンという存在
1980年代に登場し、北米で大ヒット車種になったのがミニバンだ。北米は日本の自動車メーカーにとっても極めて重要なマーケット。これを見逃す手はない。ホンダはアコードが北米でベストセラーカーになるなど、とりわけ北米市場を重視していたメーカーだった。
そうしたなか、ホンダ初の多人数乗車可能なクルマとして登場したのが、1994年のオデッセイだった。北米市場を主眼としながら、国内へも導入された。
だが国内では当初、評判はそれほどよくなく、その理由は「大き過ぎる」。ちなみにサイズは既存ラインでアコードをベースにして生産できる限界で決められた。
1989年に自動車税が改定され、3ナンバー車のハードルは大幅に下がっていたものの、その認知度はそれほど高くなかった。1990年に登場した北米向け、トヨタのエスティマは、その大きさゆえに国内で人気が出なかったという前例もあった。
だがそんな予測はものの見事に大ハズレ。初代オデッセイは日本で歴史的な大ヒット車になっていく。この頃「ミニバン」という言葉はまったく認識されていなかった。オデッセイは「ミニバン」を定着させ、その後に起こる「ミニバンブーム」の火付け役として市場を牽引した。
人気の要因は何か? 日本で多人数乗車可能なクルマといえばワンボックスカーだった。ワンボックスをベースとし、短いノーズを備えるミニバンも当時存在した。FFのアコードをベースとする初代オデッセイは、それらとは一線を画すドライバビリティを獲得していた。それはセダンにも決して引けを取らないものだったのだ。
ワンボックス系には必ず商用バンが存在した。コスト面で制約があり、乗り心地などでマイナスとなってしまうことは否めない。対してオデッセイに商用モデルは存在しない。多人数乗車が可能だが、純然たる乗用車だったのだ。日本では1980年代からRV(レクリエーショナル・ビークル)が人気を集めていたが、オデッセイはその考え方を大きく変えてしまったという点でもエポックメイキングだった。
一方、北米では、元祖ミニバンといえるダッジ・キャラバンは全長5m級のグランドキャラバンが主力で、V6エンジンを搭載しており、それに比して初代オデッセイは小さく、直4は貧弱に見え、人気は今ひとつだった。
それまでにないキャラクターとして誕生
もうひとつのオデッセイ!兄貴分ラグレイド
日本国内では空前のヒットモデルとなった初代オデッセイだが、北米では今ひとつだった。理由は北米では小さすぎたことと、ミニバン=V6のイメージになっており、非力と見なされたことだった。そこで北米版2代目オデッセイは国内向けと袂を分かち、独自路線を歩んだ。1999年に登場した北米版2代目オデッセイは、全長5.1m超、全幅1.9m超とビッグサイズとなり、3.5LのV6エンジンを搭載するモデルへと変貌。ホンダはこれを逆輸入し「ラグレイト」と名付けて販売した。
オデッセイ誕生のきっかけ〜クリエイティブ・ムーバー〜
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STYLEWAGON(スタイルワゴン)2024年7月号より
[スタイルワゴン・ドレスアップナビ編集部]