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1980年代前半、トヨタの2ℓ級高出力エンジンのラインアップは、旧世代機と新世代機が共存する、ちょっとしたカオス状態にあった。
まず、4気筒では18R型があった。初搭載は1972年発売の2代目マークⅡというエンジンで、DOHC化や電子制御燃料噴射化などが図られつつ、4代目マークⅡがマイナーチェンジした1982年まで使われ続けた。さらに、排気量は1.8ℓだが出力では同等の3T-GTEUという4気筒も存在。「日本初の量産DOHCターボエンジン」という触れ込みで3代目セリカなどに搭載されたが、1982年から1985年のわずか3年でカタログから消えた。そして6気筒では、1960年代からのM型がターボで武装され(M-TEU)、1986年に初代ソアラが販売終了となるまで現役を張った。
一方、新世代機としてまず登場したのは6気筒の1G-GEだった。1982年に4代目マークⅡや2代目セリカXXなどに搭載されてお目見えしている。そして、2年後の1984年6月、ようやく4気筒の2ℓ新世代機が姿を現した。それが3S-GEであった。
気筒あたり4バルブのDOHCヘッドを持つ点、それがヤマハ発動機との共同開発による産物である点は、先に送り出されていた1G-GEや1.6ℓの4A-GEと同様。燃焼室は点火プラグを中央に配したペントルーフ型で、吸排気をクロスフローとし、ロッカーアームを介さずにタペットを直打ちするアウターシム式の直接バルブ駆動方式である点も共通している。旧世代機に延命措置を重ねて使い回してこざるを得なかったトヨタの設計部隊が、高出力エンジンをようやく「本来あるべき姿」で作ることが許された、といった感の、一気呵成の展開だった。
同時期のトヨタの直4同士ということから、約1年先に世に出た4A-GEの排気量拡大版のように思われがちな3S-GEだが、両エンジンの間ではストローク/ボア比が決定的に異なる。つまり、4A-GEが81.0mm×77.0mm(S/B比0.95)であるのに対して、3S-GEは86.0mm×86.0mmのスクエア。このあたりには、初搭載車が2代目カムリ/初代ビスタであったことからして、3S-GEは低中速を主にした使い方にも対応できるエンジンでなければならなかった、という事情が見て取れる。
余談だが、この2代目カムリ/初代ビスタは、国産車として初めて横置きのDOHCエンジンを搭載したFF車として記録されている。グロス200psの三菱ギャランシグマやグロス170psの日産ブルーバードマキシマなどの高出力FF車が続々と登場し、トルクステアに対する懸念から、「FF車にハイパワーエンジンを載せても大丈夫なのか!?」という議論が声高にたたかわされていた時代でもあった。
話を3S-GEに戻すと、このエンジンのバルブ挟み角は50度で、その中で吸排気バルブの開口面積/ポート面積は最大限の大きさを確保しつつ、できるだけ小さく、効率よく燃える燃焼室とすることが目指された。バルブ駆動はロッカーアームを介さない直動式とし、シリンダーヘッドも極力コンパクトにすることが狙われている。そのヘッドの材質はアルミ合金で、シリンダーブロックは鋳鉄製。燃料噴射システムには、当時のトヨタのエンジンでは最も進んだ各気筒独立制御方式が採用された。
3S-GEは最後の搭載車となったアルテッツァが生産中止となった2005年までの足かけ22年にわたって作り続けられた。その間の最大の変化は吸排気バルブタイミング可変機構の導入で、1997年には吸気バルブの開閉タイミングをエンジン回転数等に応じて連続可変させるVVT-i、翌1998年には吸気側/排気側双方のバルブを同様に制御するDUAL VVT-iを搭載した3S-GEが登場している。デビュー当初はネットで140psだった最高出力は、最後のDUAL VVT-i仕様では210psにまで高められていた。
また、3S-GEには、同じくDOHC・4バルブヘッドを持ち、排気量やボア×ストロークも同一の派生エンジンが3機種あった。まずは「ハイメカツインカム」といううたい文句のもと、1986年に登場した3S-FE。これは従来のSOHC機に代わるものとして開発された汎用DOHCエンジンで、フレキシブルな出力特性と省燃費性能、そして仕様・性能に対して安上がりに作れることが特に狙われていた。3S-GEと大きく違うのはヘッド周りで、コンパクトな燃焼室を実現させるために3S-FEはバルブ挟み角が22度35分と3S-GEの半分以下に。結果、カムプーリーを2つ配置できなくなったためにプーリーは吸気側だけとし、排気側はシザースギヤで駆動する方式とされた。そして、この3S-FEの流れから、トヨタ初のガソリン直噴エンジンである3S-FSEが1998年に登場している。三菱のGDIに対抗してトヨタが送り出してきた直噴エンジン「D-4」の第一弾だったが、強化される排ガス規制にうまく対応できず、3S-FSEはもとより「D-4」シリーズそのものが短命に終わった。
3S型に至る第2世代「S」の流れ
トヨタの第2世代のS型エンジンは、1981年発売の3代目セリカなどに搭載された1S-U(1832cc、ボア80.5mm×ストローク89.9mm)からスタートし、1982年には2ℓ版の2S-ELU(1995cc、84.0mm×89.9mm)が送り出されている。そして1984年には、同じ2ɜ版のS型でもDOHC専用の3S型がラインアップを開始。いずれも排気量は1998cc、ボア×ストロークは86.0mm×86.0mmのスクエアで、2S型までとは主要寸法からして異なっていた。
そして、自然吸気版の3S-GEより2年4カ月後の1986年10月、ターボ版の3S-GTEが市場投入される。同じ2ℓDOHCターボの国産エンジンでは、日産FJ20ETが1983年2月、三菱4G63が1987年10月、スバルEJ20が1989年2月というタイミングでそれぞれ登場を果たしていたという時代だった。ちなみに、トヨタ、三菱、スバルはここに記したエンジンで各々WRCチャンピオンを獲得している。
型式:3S-GT
種類:水冷直列4気筒DOHC
総排気量(cc):1998
ボア×ストローク(mm):86.0×86.0
圧縮比:8.5
最高出力(kW/rpm):136/6000
最大トルク(Nm/rpm):240/4000
NAとターボ、どう違う?
3S-GTEでは多岐にわたって高出力化への対応が図られている。例えばシリンダーヘッドガスケットには、3S-GE、3S-GTEともにステンレス製グロメット付きのカーボンガスケットを採用しているが、3S-GTEではグロメット内側にワイヤリングを追加し、シリンダーヘッドボルトに塑性域締め付けを採用してヘッドガスケットのシール性を向上させている。肝心のターボに関しては、一貫して「CT」という名称が与えられた自社開発品を使用。当初はシングルエントリー&金属タービンのCT26だったが、5代目セリカ(ST185)搭載モデルからは名称は同じCT26でもツインエントリー&セラミックタービンに。これがST185の「GT-FOUR RC」ではツインエントリー&金属タービンのCT26となり、6代目セリカ(ST205)からはCT20Bという名のツインエントリー&金属タービンとされた。
ブロックの違い
3S型の鋳鉄製シリンダーブロックは、全長が409.5mm、全高が272.5mm。ボアピッチは、1番・2番シリンダー間が9 3.5mm、2番・3 番が96.5mm、3番・4番が93.5mmとなっている。3S-GTEにおけるブロック関係での高出力化への対応は、クランクシャフトの軸受け周りの強化やクランクケース内部へのリブの追加、1番・2番シリンダー間および3番・4番シリンダー間へのウォーターチャンネルの追加など。
そしてターボ化した3S-GTEへ
そしてもうひとつの重要なエンジンが、3S-GEをターボ化した3S-GTEである。自然吸気仕様の登場から約2年の1986年8月に「流面形セリカ」と呼ばれた4代目セリカに搭載されてデビュー。3S-GTEを積むのはその名も「GT-FOUR」という4WDシステムを備えるモデルだけという設定で、それをベースにしたマシンがWRC(世界ラリー選手権)で活躍して一世を風靡することになった。
初期の3S-GTEはトヨタ製CT26型ターボに水冷式インタークーラーを組み合わせて、ネットで185ps /24.5kgmを発揮。シリンダーヘッドやブロックなどの基本構造はベースとなった3S-GEと同じだが、クランクシャフトの軸受け周りの強化やケース内部へのリブの追加設定、ヘッドガスケットのシール性向上といった高出力化への対応が図られていた。
そしてセリカが5代目にモデルチェンジした1989年、3S-GTEは自社製CT26ターボを一新させる。タービンホイールを当時のトレンドだったセラミック製とし(それも自社開発品)、1番・4番シリンダーからの排気と2番・3番シリンダーからの排気を分けてタービンノズルに導くツインエントリー式とした。そして、シリンダーヘッドの上に水平搭載されるインタークーラーは空冷式となり、軽量化=慣性マスの低減が図られた。ただし、WRC側ではこれらの変更がむしろアダとなった。当時の最高峰カテゴリーであったグループAでは、ターボもインタークーラーも量産車であるベースモデルのものを使わなければならず、それでいて1.5倍以上の出力と2倍以上のトルクを出していたことから、セラミックタービンではラリーユースでの十分な信頼性を確立できなかったのだ。そこで、同じツインエントリー式ながらもタービンを金属製とし、インタークーラーも水冷式に戻したモデル「セリカGT-FOUR RC」が5000台限定で発売。商売からすれば非効率的なこのような競技ベース目的の限定モデルが送り出されたのは、巨人トヨタとしては極めて異例の出来事だった。
3S-GTEおよび3S-GEは、競技用エンジンとしても華々しい活躍を見せた。それどころか、1980年代後半から2000年代前半にかけてのトヨタのモータースポーツ活動は、3S型を抜きにしては語ることができないほどに、様々なカテゴリーで用いられた。
筆頭はやはりWRCであり、3S-GTEを搭載したセリカGT-FOURおよびカローラ・ワールドラリーカーは、1990年に日本車初の世界チャンピオンを獲得したのを皮切りに、ドライバーズタイトルを通算4回、メーカータイトルを通算3回、トヨタにもたらしている。もっとも、3S型が競技用として先に開発されたのはスポーツプロトタイプレーシングカーであるグループC用で、専用のシリンダーブロックが与えられたボア89.0mm×ストローク86.0mmの2140ccにトヨタ製CT44STターボを組み合わせて680ps /65.0kgmを発揮させ、1986年にデビュー。同年のWEC in Japanではポルシェ962Cなどの強豪を相手に幻のポールポジションをさらうほどのスピードを見せた。
503Eという専用の開発コードを持つレース用3S-GTEは、その後、アメリカのIMSA-GTPで用いられ2度チャンピオンを獲得。さらに、1994年から本格参戦した全日本GT選手権(現スーパーGT)では2002年までワークスエンジンとして使われた。また、自然吸気の3S-GEは、20年以上にわたってジュニアミドルフォーミュラのF3のパワーユニットとして最前線を走り続けたほか、1990年代後半に開催されていた全日本ツーリングカー選手権などでも活躍した。
素直でクセがない3S型は、市販車であろうがモータースポーツであろうが、いずれのフィールドにおいても、いかようにも応用が利き、高い競争力を発揮した。それは、名実ともに世界の巨人としてのし上がっていった時期のトヨタを力強く支えた、実にトヨタらしい優等生エンジンであった。
ヘッドの違い
3S-GE、3S-GTEともにシリンダーヘッドはアルミ合金製で、バルブ挟み角50度のペントルーフ型であり、吸排気クロスフローの燃焼室である点も共通。燃焼室容積は50.8cc(バルブ、点火プラグ組み付け時)となっている。3S-GTEでは、吸気ポートを一部絞った形状とすることで、2噴孔インジェクターの採用と低中速トルクの向上に対応させている。ヘッドカバーは、3S-GEではアルミダイキャスト製の3分割構造だったが、3S-GTEでは一体構造とし、高さを抑えたデザインとされた。
インテークマニフォールドの違い
3S-GE、3S-GTEともに、サージタンクと一体型としたアルミ合金製のインテークマニフォールドを採用。各気筒に伸びる2本の通路の片側に吸気制御バルブを設け、その開閉をエンジン回転数に応じてコントロールする「T-VIS」という名称の吸気制御システムを採用。低中速域での燃焼状態の安定化と燃費の向上が図られた。インジェクターは、3S-GE、3S-GTEともに各気筒独立制御で、流量は3S-GEの毎分250ccに対して、3S-GTEでは70%アップの毎分430cc。2方向分岐噴射孔を採用し、全長の短縮と小型・軽量化が図られた。
潤滑系の違い
潤滑方式は3S-GE、3S-GTEともに全圧送・全ろ過式。熱害が大きなターボエンジンの3S-GTEでは、オイルポンプローターの幅を3S-GEの10mmから14mmに拡大して吐出量を約40%増大させているほか、オイルポンプシャフトの軸受けを片持ちから両持ちに変更して信頼性を高めている。また、シリンダーボア下端部にオイルジェットを設け、高回転時にのみ噴出してピストンを冷却するが、熱負荷の小さな低回転時は機能させず、油圧低下を防止。そして、エンジン冷却水を使った水冷式オイルクーラーを設けて、オイル全量がここで冷却されるシステムとしている。
排気系の違い
3S-GEはエキゾーストマニフォールドからフロントパイプまでは1番・2番シリンダー分と3番・4番シリンダー分の排気を分けて通すデュアルレイアウト。これが3S-GTEでは、ターボを出てからの排気通路は1本だが、排気ポートからエキゾーストマニフォールドにかけては気筒間の排気干渉を抑えるため独立式とした。
3S-GTEだけの装備
3S-GEに対して細かく仕様変更されている3S-GTE。最大の変更点はもちろんターボシステムの装備だが、細かいところでは、ピストン冷却用オイルジェットや水冷式エンジンオイルクーラーが追加され、シリンダーブロックにはそのための座面やネジ穴が設定された。また、オルタネーター冷却用エアダクト、ノッキングセンサーなども追加装備されたほか、圧縮比の変更にともなうピストンクラウンの形状変更やフライホイールの材料変更(ねずみ鋳鉄→バーミキュラ黒鉛鋳鉄)なども行なわれた。