目次
今回の成果を活用することで、燃料電池の性能を左右する生成水の挙動を速やかに把握し、製品開発にすぐに反映できるようになることから、最適な燃料電池セルや流路構造の開発を加速し、燃料電池のさらなる高性能化・低コスト化が期待されている。これによりFCVの普及拡大を図り、運輸部門などでの温室効果ガス排出量の削減に貢献する。
概要
燃料電池は発電効率が高く、水素と酸素の化学反応を利用するため、発電時に水しか排出しないクリーンなエネルギーデバイスである。このため、カーボンニュートラル実現に向けたキーテクノロジーとして期待されている。日本では、燃料電池自動車(FCV)や家庭用燃料電池を世界に先駆けて実用化するなど本分野での取り組みがリードされてきたが、さらなる普及拡大には燃料電池の高性能化や低コスト化が不可欠である。また燃料電池は、発電時に生成された水が燃料電池セル内部に滞留すると、水素や酸素の供給経路をふさぎ、発電性能の低下につながることから、セル外に水を効率的に排出できるセパレーターの流路や電極構造の開発が課題となっている。
このような背景の下、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)は「燃料電池等利用の飛躍的拡大に向けた共通課題解決型産学官連携研究開発事業※1」(以下、本事業)で燃料電池の解析技術の高度化に取り組んでいる。その一環として、高エネルギー加速器研究機構、日本原子力研究開発機構、J-PARCセンター、日産アーク、技術研究組合FC-Cubicは、豊田中央研究所、本田技術研究所、トヨタ自動車の協力の下、FCVに搭載された燃料電池セル内部の水挙動を可視化することを目的に、大強度陽子加速器施設(J-PARC)※2の大強度パルス中性子ビーム※3による非破壊観察技術(イメージング)のための撮像機器開発と環境整備を進めてきた。
そして今般、中性子イメージング用撮像機器の高度化と撮像条件の最適化、発電評価装置の構築が完了し、パルス中性子ビームを用いた実験系としては世界初となる、実機サイズ(約300cm2)の燃料電池セル内部の水の挙動をほぼリアルタイムで可視化することに成功した。今回の検証は、トヨタ自動車のFCV「MIRAI」の実機セルを使用し、発電時のセル内部の水の生成・排出の挙動を直接観察した。
なお本成果の詳細は、2022年7月13日に開催するFC-Cubicオープンシンポジウムで発表する予定。
今回の成果
中性子は高い物質透過能力をもち、水などの軽元素に対する感度も高いことから、非常に厚い金属板で拘束されている車載用燃料電池セルの内部に生成された水の挙動を直接観察することができる唯一の技術として期待されてきた。しかし、実機サイズ(大面積)の燃料電池セル内部の水の可視化は国外の研究用原子炉など大強度中性子実験施設に限られており、国内では小型のモデルセルで成功したのみだった。このため、研究の利便性や検証の即時性、実用段階での速やかな課題解決と製品開発への反映などの観点から、国内施設での実機サイズ燃料電池セル内部の直接観察が切望されていた。
これに対して、国内では2015年にJ-PARCの物質・生命科学実験施設に、世界で最初のパルス中性子を用いたイメージング専用の実験装置(エネルギー分析型中性子イメージング装置「RADEN」)が建設され、大強度パルス中性子を生かしたエネルギー分析型イメージングなどの最新の技術開発が積極的に行われてきた。しかし、研究用原子炉に設置された中性子イメージング装置と比較して平均中性子強度が劣ることが課題としてあった。
そこで本事業では、J-PARCの中性子イメージング装置の高い性能に着目し、微弱な光を検知・倍増する光イメージインテンシファイア※4と相補型金属酸化膜半導体(CMOS)カメラ※5を用いた撮像機器の高感度化および撮像条件の最適化を図ることで、パルス中性子を利用して、研究用原子炉にある実験装置と匹敵する可視化性能を実現した。その結果、実機サイズの燃料電池セル内部の水の挙動を、高い空間分解能(約300μm)を維持しながら、従来の10分の1以下となる撮像時間(1秒)で可視化することに成功した。これにより、燃料電池セル内部の0.5mm以下のガス流路溝内の水の挙動をほぼリアルタイムで可視化できる。またパルス中性子の特長を生かすことで、燃料電池セル内部の水と氷の識別や、水のミクロな挙動とその詳細な解析を組み合わせて可視化するなどのさまざまな応用や利用に展開できる。
さらに、今回構築された実験装置を用いて、トヨタ自動車が2020年12月に販売したFCV「MIRAI(第2世代)」の実機セルを解析したところ、同セルに特徴的な絞り流路構造※6に由来する水の生成・排出挙動を確認できた。今後もこのような産業界における活用が期待できる。
今後の予定
本成果の活用により、車載用燃料電池の性能を検証するために実際に行われる試験(負荷条件、温度条件、ガス流量条件)と同時に、燃料電池内部での水の生成の様子や、その排出の挙動をその場で観察することが可能となる。このように実製品を用いた評価により得られた知見をすぐに製品開発に反映できることから、最適な燃料電池セルや流路構造の開発を加速し、燃料電池のさらなる高性能化・低コスト化につながることが期待できる。
※1 燃料電池等利用の飛躍的拡大に向けた共通課題解決型産学官連携研究開発事業
事業期間:2020年度~2024年度
事業概要:燃料電池等利用の飛躍的拡大に向けた共通課題解決型産学官連携研究開発事業
※2 大強度陽子加速器施設(J-PARC)
大強度陽子加速器施設J-PARC(ジェイパーク)は日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構が茨城県東海村で共同運営している先端大型研究施設で、素粒子・原子核物理、物質科学、生命科学などの幅広い分野に関連する世界最先端の研究が行われている。物質・生命科学実験施設では、J-PARCの大強度の陽子ビームを用いて世界最高クラスのパルス状中性子ビーム(パルス中性子ビーム)およびミュオンビーム、最先端実験装置を用いた物質科学、生命科学の学術研究および産業応用研究が行われている。
※3 パルス中性子ビーム
J-PARCの中性子源では、加速器により光速近くまで加速された大強度な陽子ビームが標的に入射し、標的が核破砕反応を起こすことにより中性子を生成する。J-PARCでは陽子ビームがパルス状であり、一定の間隔(J-PARCの場合0.04秒に1パルス)で標的に入射するが、その入射のタイミングに合わせて瞬間的(パルス状)に中性子も発生するため、パルス中性子ビームと呼ばれる。一方、研究用原子炉では核分裂反応によって連続的に中性子が発生するため、得られる中性子ビームは定常的なビームとなる。そのため、パルス中性子ビームとの対比で定常中性子ビームと呼ばれる。
※4 光イメージインテンシファイア
微弱な光を検知し、増幅して画像を得るための機器。一般的には、光を電子に変換する光電面、電子を増幅するマイクロチャンネルプレート、電子を再度可視光に変換する蛍光面から構成される。この機器により、入射した像を1万倍程度まで増幅して出力することができる。
※5 相補型金属酸化膜半導体(CMOS)カメラ
撮像素子に相補型金属酸化膜半導体(CMOS)を用いたデジタルカメラ。従来は長時間の露光による高画質な撮像ができる電荷結合素子(CCD)を撮像素子として用いたデジタルカメラが一般に使用されてきたが、高速での読み出しが可能な低ノイズのCMOSカメラが開発されたことで、光増幅器と組み合わせることで微弱な光からも高画質な画像を高速で取得できるようになった。
※6 特徴的な絞り流路構造
トヨタ自動車のFCV「MIRAI(第2世代)」が採用する空気ガス流路構造の呼称。間隔的に流路溝幅方向のネック(絞り)を設けることにより、供給した空気が滞留した水を押し出して水の排出を促進し、触媒への空気の供給が増えることで発電性能を向上させることを狙ったもので、高出力化/コンパクト化の重要技術の一つ。