「小学生でトラックを転がし、高校1年でクルマ通学!?」トップシークレット・永田和彦【チューナー伝説】

チューナーのサイドストーリーを元に、人物像に迫る連載「チューナー伝説〜挑戦し続けてきた男達の横顔〜」。栄えある第一回目は、“スモーキー”の愛称で親しまれるトップシークレット・永田和彦氏だ。

身近だったバイクやクルマ。運転は物心がついた頃から

北海道の東端に近い野付郡別海町で生まれ育った永田さん。実家が営む牧場の手伝いで小学生の時には4トントラックを転がし、中学校にはバイクで、片道30kmあった高校へはクルマで通っていた。

初めての愛車は解体屋から3万円で買ってきたギャランGTO。パーツを集め、エンジン換装までやってしまうなど、今に至る永田さんの下地はこの頃すでに出来上がっていた。

「クルマ通学がバレて、先生と喧嘩して高校を退学したのが1年生の冬。その後、兄貴の知り合いの営業マンに声をかけられて、16歳の時にトヨタディーラーに雇ってもらったんだ。

18歳で運転免許証を取り、MA61セリカXXを購入してチューニング。直線が延々と続く地元の斜里街道でゼロヨンや最高速にのめり込んでいった。

「ディーラーを辞めたのが21歳。それから長距離トラックの運転手になってお金を貯めて、22歳で東京に出てきた。仕事のアテなんてなかったけど、飛び込みで面接に行ったトラストで雇ってもらえることになって」。

マフラーの梱包と配送から始まった仕事は、やがてマフラー製造、車検対応のための試験や書類作成へと変わっていった。チューニングしたい、クルマを速くしたいと思っていた永田さんは現実とのギャップを感じ始め、自らチューニングショップを持つと決意。辞表を出すもすぐに受理してもらえず、昼間はトラスト社員、夜はトップシークレットでチューナーという生活が1年ほど続いた。

愛車を売って創業資金に。初のデモカーはBNR32

「28歳でトップシークレットを始めた頃は自分で走るよりも作る側。当時、幕張ゼロヨンで速い常連さんがいたんだ。その後、1年で資金を貯めて初めて作ったデモカーがBNR32。事故車を起こしてTD07を組んで、ボディはカストロールカラーのグリーンメタリックにした。ZEEK-Rとして東京オートサロンに出展したクルマだよ」。

創業4年目には新車でJZA80を購入。かつてトヨタディーラーに勤めていたこともあり、日産車よりも身近に感じていたと永田さんは言う。

「BNR32やJZA80のお客さんが増えてきて、湾岸にも走りに行くようになった。お客さんのリクエストで、ボディを金色にオールペンしたBNR32を初めて作ったのもその頃だね」。

また、RX6 F1タービン仕様のBNR32で谷田部のゼロヨンや0-1000mにも参加。シェイクダウンで好記録を出し、大きな注目を集めることとなった。

「その後がBCNR33。0-1000mや0-300km/hでHKSとやり合ってた。ただ、僕が勝ってもOPTIONに掲載されず、そうこうしてると記録を更新したHKSが誌面に登場。今だから言うけど、あの時は、いつになってもウチを取り上げてくれないOPTIONを恨んだよ」。

ちなみに、トップシークレットのイメージカラーとして今や広く知られる金色のデモカーを初めて作ったのがこの頃。

「アトランタ五輪で日本の柔道が金メダルを獲得して、ウチも0-300km/hでトップタイムを出したから『金』にしようと。それも、自分が好きなロレックスの金色にしたんだ」。

以来、トップシークレットの歴代デモカーは同じ金色をボディカラーとしているのである。

レース車両の製作に着手、将来を見据えV6の研究も

ストリートチューンドを手がける一方で、マーチやヴィッツなどワンメイクレース車両の製作やメンテナンスも行なうようになった永田さん。2001~2003年には老舗レーシングガレージの鈴木板金とタッグを組んで、スーパー耐久マシンの製作にも深く携わった。

「耐久性を持たせるとかロングランでも安定してタイムを出せるとか、レースはクルマ作りの面ですごく勉強になったね。トップシークレットのクルマは直線が速いとレース屋さんに褒められたのも嬉しかったな」。

S耐と並行して2002年からはD1GPにも参戦。マシンはS15で三木竜二をドライバーに擁し、早くも3シーズン目となる2004年には見事シリーズチャンピオンを獲得した。

試験的に製作されたZ33だ。エンジン本体には手を入れず、サージタンクやスロットルなど、吸気系パーツを変更することでどこまでパワーを引き上げられるかに挑戦したのである。

また、第三世代GT-RにはV6エンジンが搭載されると予測して独自に研究をスタート。

「600ps級でトルクもあるV6ツインターボとかを作って十分に予習していたから、R35が出てきた時は想定内だった。“R”が付く日産のエンジンはレースで2倍以上、キャパ的には3倍くらいのパワーが出せるし、それを見越した設計だよね」。

R35が飽きないのは他にライバルがいないから

2016年に誕生したVR32GT-R。世界中のチューニングファンに衝撃を与えたスーパーチューンドだ。

1998年、RB26を載せたJZA80改0-300スープラでイギリスの高速道路を340km/hで爆走し逮捕。その後、ニュージーランドでのJZA80改(290.4km/h)、ドイツアウトバーンでのV35GT-R RX-1(341km/h)、イタリアナルドでのTS8012V(358.22km/h)とR35スーパーGT-R1200(377.246km/h)など、永田さんは世界各地で行なった最高速アタックでトップシークレットの実力を見せ付け、多くのファンも獲得していった。

また、2016年にはBNR32にR35のメカニズムや機能をフルに詰め込んだスーパーチューンド、VR32GT-Rを製作。翌年の東京オートサロンで発表され、東京国際カスタムカーコンテストのチューニングカー部門で最優秀賞に輝いた。

ファクトリーの様子。右端は永田さんが通勤に使っている100台限定モデルのTスペック。奥には専用ボディ色ステルスグレーの特別仕様車ニスモスペシャルエディション、その左手にはJAPAN-Rも確認できる。

そんな永田さんは今、R35型GT-Rに力を入れている。それは2008年モデル以来、14年ぶりに新車を購入したことからも分かる。

「R35をヤンチャに乗りたいという人に対してチューニングしていくよ。登場から15年が経つけど、R35には飽きないね。理由は他にライバルがいないからだと思う。でなければ、この歳になってTスペックとかニスモとか買わないでしょ」。

さらに、永田さんが続ける。「死ぬまでRBとVRをやり続けていくつもりだし、そうしていける自信もある。将来的には自分が付き合いたいお客さんのクルマをチューニングして、自分が好きなクルマを作って、それを娘が売ってくれて…となったら理想だよね」。

プロフィール
永田和彦(Kazuhiko Nagata)
ショップ:TOP SECRET
出身地:北海道別海町
生年月日:1963年2月24日

PHOTO:篠原晃一/近藤浩之
取材協力:トップシークレット 千葉県千葉市花見川区三角町759-1 TEL:043-216-8808

【関連リンク】
トップシークレット
https://topsecret-jpn.com/

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