ホンダはなぜ“歩く”ことを諦めなかったのか――IEEEが認めたP2と、かつて未来だったホンダ





1996年12月、ホンダが公開した人間型自立二足歩行ロボット「P2」は、世界に衝撃を与えた。
人間のように自然に歩き、階段を上り、自律的にバランスを取る。それまでロボットといえば、ゆっくりと“すり足”で歩くのが当たり前だった時代に、P2はまるで未来から現れた存在のように見えた。
そのP2が今回、「IEEEマイルストーン」に認定された。IEEEマイルストーンは、電気・電子・情報・通信分野における歴史的偉業を顕彰する制度で、1983年の創設以来、世界で認定されたのは293件のみ。Hondaとしては、2017年の「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」に続き2度目の認定となる。
会場となったホンダ和光ビル1階ホールには、P2実機とともに開発年表や認定銘板が展示されていた。銘板を授与したのは、2020年にアジア人として初めてIEEE会長を務めた福田敏男氏(現・名古屋大学名誉教授)である。
だが今回あらためて浮かび上がったのは、単なる技術成果ではない。そこにあったのは、“未来を本気で作ろうとしていたホンダ”そのものだった。
“歩く”ことが革命だった

現在では人型ロボットは珍しい存在ではなくなった。しかし1980~90年代当時、人間型二足歩行ロボットの実現は極めて困難と考えられていた。
当時主流だったのは「静歩行」と呼ばれる、重心を常に安定領域内に保ちながらゆっくり歩く方式だ。いわば“転ばないこと”を最優先した歩行であり、人間のような自然な動きとはほど遠かった。
それに対してP2が実現したのは、「動歩行」である。
歩行中に重心が一時的に不安定領域へ移動することを前提としながら、リアルタイムで姿勢を制御し続ける。さらに段差や傾斜、外乱に対応し、人間に近い自然な歩行を実現した。
IEEEが評価したのも、まさにこの点だった。認定銘板には、「dynamic walking(動歩行)」「dynamic balance(動的バランス)」「posture control(姿勢制御)」などの言葉が並ぶ。
P2が特別だったのは、単に歩いたことではない。“転ばない知能”を機械に与えようとしたことだった。
「1歩に20秒」から始まった挑戦

森川章男氏(株式会社昭和測器代表取締役社長)、根本岳志氏(マイコン計測工業株式会社技術部部長)の各氏。
もっとも、ホンダが最初からP2に到達できたわけではない。
記念講演に登壇した元P2開発者の竹中透氏(本田技術研究所社友・博士)と、吉池孝英氏(本田技術研究所総合研究センターフロンティアロボティクス領域統括)は、当時の開発について語った。
その原点となったのが、1986年の試作機「E0」だ。

E0は、最初は一歩踏み出すのに20秒もかかったという。
それでもホンダのエンジニアたちは諦めなかった。転倒リスクを克服するためのダイナミックバランス制御を追求し続け、Eシリーズ、Pシリーズを経て、1996年にP2へと到達する。
会場に展示されていた開発年表には、その長い試行錯誤の歴史が刻まれていた。
P2は、“天才的なひらめき”で生まれたロボットではない。途方もない時間と執念によって積み上げられた技術の結晶だった。
P2は“ホンダだけ”では作れなかった




銘板贈呈式の後には、P2開発を支えた関係者への感謝プレート授与も行われた。
登壇したのは、医学・リハビリ・精密制御・計測分野など、異なる領域の専門家たちである。
旭川医科大学名誉教授の高草木薫氏、神奈川県総合リハビリテーションセンター病院長の杉山肇氏、そして精密減速機で知られる株式会社ハーモニック・ドライブ・システムズなど、P2開発の背景には幅広い分野との連携があったことが窺える。
人間型ロボットは、単なる機械制御だけでは成立しない。人間の歩行や姿勢制御を理解し、それを工学へ落とし込む必要があるからだ。
P2は、機械を人間に近づける研究であると同時に、人間そのものを理解しようとする試みでもあった。
Hondaは、なぜ人型ロボットを作ったのか
そもそも、なぜ自動車メーカーであるホンダが、人型ロボット開発に挑んだのか。
その背景にあったのは、ホンダ独自の「モビリティ」思想である。
ホンダにとってロボットは、自動車とは別の事業ではなかった。人の移動や行動を支援する技術の延長線上に位置づけられていた。
そのためP2で培われた技術は、後のASIMOだけでなく、現在のeVTOL(電動垂直離着陸機)や宇宙開発研究へも脈々と受け継がれている。
つまりP2は、過去の遺産ではない。ホンダが現在取り組む先端技術群の“原点”でもある。
“ロボットをやめた会社”ではない
ASIMO開発終了後、ホンダは繰り返し「ロボティクス研究をやめたわけではない」と説明してきた。
実際、現在も遠隔操作ロボットやマニピュレーター、制御技術の研究開発は続いている。原発事故後の作業を想定したロボットなども、その延長線上にある。
ホンダにとって重要なのは、“人型”そのものではなく、そこで培われた要素技術だからだ。
しかし一方で、多くの人々にとってASIMOは単なる研究成果ではなかった。
未来そのものだった。
かつてのホンダは、F1、VTEC、ASIMO、HondaJetなど、“無謀に見える挑戦”を本気で続ける会社だった。そしてP2は、その象徴でもあった。
現在のホンダは、電動化やSDV、中国市場での競争激化など、多くの課題に直面している。だからこそ今回のIEEEマイルストーン認定は、単なる“過去の表彰”以上の意味を持って見える。
IEEEが認めた“挑戦”
式典で三部敏宏社長は、次のように語った。
「本認定は、一台のロボットとしての完成度のみならず、技術者達の挑戦そのものをご評価いただいたものと受け止めています」
この言葉は象徴的だ。
P2が世界を驚かせた理由は、単なる技術力だけではない。不可能と言われたテーマに、10年以上かけて挑み続けたことにある。
1986年、E0は一歩踏み出すのに20秒かかった。それでもHondaのエンジニアたちは諦めなかった。
その執念は、ASIMOへ、さらにeVTOLや宇宙開発へと受け継がれている。
そして今回のIEEEマイルストーン認定は、その挑戦の歴史が、世界の技術史として正式に刻まれた瞬間でもあった。
