きっかけはホンダ、そして火をつけたのはヤマハ

1960年代の終わりごろ、まだバイクといえば「働く乗り物」だった。配達、郵便、工場の通勤──どこか油臭い世界の道具だったのだ。

その頃のスクーターというと、富士産業(のちの富士重工業、現SUBARU)のラビットを挙げないわけにはいかないだろう。鉄ボディに135ccエンジンを搭載する国産初のスクーターで、1946年に誕生。その後、スーパーカブをはじめとする実用車の台頭などもあり、1968年に生産を終えることになるが、ラビットがなければ日本のスクーター文化は生まれなかったと言っても過言ではないだろう。

空気が変わったのは1970年代に入ってから。日本は高度経済成長から大きな転換期を迎え、街にはファッションや音楽があふれ、若者の目が外へ向き始めたころだ。その直前の1969年にはホンダがCB750 FOURを送り出し、世界を驚かせている。バイクは“速さ”や“スリル”の象徴として一気に花開いたが、そのいっぽうで、まったく違うベクトルの「バイク」がひっそりと芽を出していた。それが“ソフトバイク”だった。

1976年に登場したホンダ「ロードパル」は、その象徴的存在だ。ハンドルにカゴが付き、自転車のように乗れる“優しいバイク”。イタリアの女優ソフィア・ローレンを起用したテレビCMでは「ラッタッタ〜」の軽やかなフレーズが日本中に流れ、原付が“主婦の足”として一気に市民権を得た。自転車の延長線上で乗れる、「ソフトバイク」と呼ばれるモデルの代表格だ。

毎日の買い物に使える。スカートでも乗れる──そんな当たり前の便利さが、当時はとてつもなく新しかったのだ。

パッソルが広げた“生活と遊びの中間”

そんな空気をさらに一歩押し広げたのが、1977年に登場したヤマハ「パッソル」だろう。

こちらは八千草薫をイメージキャラクターに起用し、「やさしいから好きです。」というキャッチフレーズで展開。これまでのステップの付いた自転車スタイルと違って、フラットなステップスルー構造で足をそろえて乗れるというのは、まさに革命的だった。

しかもコンパクトで、どこかエレガント。気軽に乗れるのに風を感じられる。いわば“生活と遊びの中間”にある存在だ。

当時のパッソルはちょっとオシャレな女子が乗っていて、男の子たちはその後ろを追いかけるようにソフトバイクを選んでいた。ヤンキーも例外ではなく、網サンダルで、シャリィを転がすようにガニ股で転がしていた姿をなんとなく覚えている。

YAMAHA パッソル/1977年発売

日本のスクーター史は、この女性向けパッソルから始まった……って、大げさ? いえいえ! このステップスルー&軽量ボディは、オートマチック機構によるシンプルな操作で気軽に走れた。まさに等身大の革命車だ。

全長×全幅×全高:1515×605×925mm
重量:45kg(乾燥)総排気量:49cc
エンジン:空冷2ストローク単気筒
最高出力:2.3ps/5500rpm
最大トルク:0.37kgm/3500rpm
タイヤ:2.50-10・2.50-10
発売当時価格:6万9800円

“生活の足”には、小さな自由が詰まっていた

当時は朝の商店街を元気にロードパルで走るお母さんたちの姿をよく見かけた。前カゴには買い物袋。後ろには味噌や醤油の瓶、時々、灯油缶まで積んでいた。本当は法的にアウトなケースもあっただろうけれど、それでも皆どこか誇らしげで、あの頃の“生活の足”には小さな自由が詰まっていたと思う。

ちょうど時代背景を振り返ると、1973年の第一次オイルショックを経て、ガソリン価格が上がった時期でもある。軽くて取り回しが良く、駐車場所を取らないソフトバイクは、当時の暮らしにもよく馴染んだ。

つまり、社会の空気と生活の実感が、ちょうどスクーターという新しいライフスタイルにピタリとはまった瞬間だったのだ。

いま思えば、あの頃の“ラッタッタの時代”は単なる流行ではなく、モビリティの価値観そのものを変えた節目だったと言えるだろう。バイクが「男のロマン」から、女性でも楽しめる「日常の相棒」へ。その最初の一歩を刻んだのが、ロードパルやパッソルといったソフトバイクたちだったのである。

※この記事は月刊モトチャンプ2025年12月号を基に加筆修正を行っています

【モトチャンプ編集部】