ベスパならではの美点

ベスパの第一号車となった1946年型98。排気量は98ccで、最高出力は3.2CV/4500rpm。

歴史を振り返れば経営危機は何度かあったものの、1946年に第1号車の98を世に送り出して以来、ピアッジオは80年に渡ってベスパの生産を続けている。改めて考えてみると、それは驚くべきことである。

ランブレッタが1950年代に販売した125ccのモデルD。ムキ出しのパイプフレームが目を引くものの、以後の同社は外板としてプレス鋼板を追加したモデルや、モノコックフレーム車も生産。

何と言っても、ピアッジオと同様に航空機業界から進出・転身する形で第二次世界大戦後に誕生したスクーターブランド、イタリアのランブレッタ(イノチェンティ)、日本のラビット(富士産業。後の富士重工業)、シルバーピジョン(中日本重工業。後の新三菱重工業)、ドイツのハインケル(ハインケル航空機)などは、4輪の普及に伴い、1970年代以前に消滅したのだから。

2024年にアシェット・コレクションズ・ジャパンが販売した、ラビット・スーパーフローS601の1/8スケールモデル。なおS601を含めて、1950~1960年代のラビットは多くのモデルにトルクコンバーターを採用していた。

ではどうして、ベスパが1970年代以降もスクーターの生産を続けられたのかと言うと、その主な理由は頑固一徹な姿勢、スチール製モノコックボディ、2ストローク単気筒、パワーユニットを後輪の右横に設置するダイレクトドライブ、左手で行うハンドチェンジという構成を維持していたから……ではないだろうか。

1997年型PX200E。

逆に言うなら1940~1960年代の他社製スクーターが、フレーム/エンジン/駆動系にさまざまな技術を導入し、さらには4輪に通じるラグジュアリーさを追求する車両も存在したのに対して、当時のベスパは第1号車の98で作った基盤を守り続け、車重が110kgを超えるモデルは1台も無かったのだ。

そしてその姿勢は信頼性や利便性や生産性という面で、他車に対する大きなアドバンテージになったのではないかと思う。

1953~1965年にハインケルが販売したツーリストは、高級車としての資質を追求。当初は150ccだった4スト単気筒の排気量は、1955年から175ccに拡大。

ちなみに前記したブランド以外にも、1950~1960年代はスクーター市場に新規参入するメーカーが数多く存在したのだけれど、信頼性や利便性や生産性がいまひとつだったため、わずか数年で生産が終了するモデルが珍しくなかった。

以下に紹介するスクーターの概要を知れば、ベスパの堅実さが理解できるだろう。

1952 ドゥカティ・クルーザー

ドゥカティが1952年から発売を開始したクルーザーは、4輪界で名を馳せたカロッツェリア・ギアがモノコック構造のボディワークを担当。

エンジンは4ストローク175cc単気筒で、後輪駆動はシャフト式。初期モデルの最高出力は12hpだったものの、イタリア政府がスクーターの最高速度を80km/hに制限してからは、7.5hpに引き下げられることとなった。

このモデルの最大の特徴は、当時としては画期的な油圧トルクコンバーター式の自動変速機構を導入したことだが、そのシステムにトラブルが多く、さらには車重が154kg(174kgという説もある)と重かったためか、販売は苦戦。1954年には生産が終了した。

1954 ホンダ・ジュノオK型

スクータースタイルではあるけれど、クラッチレバーとシフトペダルを装備するジュノオK型の操作はモーターサイクル的。

ボディの大半はFRPだが、当時はまだ樹脂の成型技術が確立されていなかったため、車重は同時代のラビットやシルバーピジョンより30~40kgほど重い170kg。エンジンはドリームE型から転用した190ccの4ストローク単気筒で(後輪はチェーンで駆動)、この車体には明らかに力不足だった。

そこでホンダは即座に、排気量を220ccに拡大し(最高出力は7.5→9psに向上)、車重を170→160kgに削減した改良版を世に送り出すものの、ライバル勢に匹敵する人気は獲得できず、1955年には販売が終了。

1959 トライアンフ・タイグレス

BSAサンビームという車名でも販売されたトライアンフ・タイグレスには、4ストローク250cc並列2気筒仕様(10hp・110kg)と、2ストローク175cc単気筒仕様(7.5hp・100kg)が存在。フレームはパイプ+鋼板のハイブリッド構造で、後輪駆動はチェーン。

ジュノオK型と同じく、クラッチレバーとシフトペダルを装備するタイグレスの操作はモーターサイクルに近く、構造的な弱点は存在しなかったと言われている。

Derived from a catalogue courtesy icenicam.org.uk

ただし、当時のイギリスのスクーター市場が急速に縮小していたうえに、製造品質が良好ではなかったため、1960年代中盤には販売が終了。なおトライアンフは、1962年に2ストローク100cc単気筒スクーターのティナを発売しているが、このモデルは同社初のCVTに関するトラブルが多かったようだ。

1960 ヤマハSC-1

ヤマハが初めて手がけたスクーターのSC-1は、175ccの2ストローク単気筒エンジンを(後輪駆動はシャフト)、GKデザインが考案したスチールモノコック製の流麗なボディに搭載。最高出力10.3ps、乾燥重量120kgという数値からは、同時代のラビットやシルバーピジョンと互角に戦える性能が伺えたものの……。

スムーズにしてイージーな加速を求めて採用した流体式トルクコンバーター+2段ギアの駆動系に、トラブルが多発。さらに言うなら整備性の悪さもネックになったようで、わずか数年で市場から姿を消した。

1960 ハーレーダビッドソン・トッパー

ハーレーダビッドンにとって唯一のスクーターとなるトッパーは、プレス鋼板+FRP素材を組み合わせたシャシーに2ストローク165cc単気筒を搭載。

1960年にデビューした初代の最高出力は6hpで、エンジン内部パーツを刷新した1961年以降は9hpに向上。車重は118kgで、駆動系にはVベルト式の無段変速を導入していた(ただし、後輪駆動はチェーン)。

そんなトッパーの人気が盛り上がらず、1965年で生産が終了した主な理由は、芝刈り機やチェーンソーのようなリコイル式スターターと、FRPボディ内に設置した空冷エンジンの熱気を排出するファンを装備していなかったことと言われている。

もっとも初代の時点では、Vベルトがムキ出しだったことも大きな問題だったようだ(1961年型からカバーを追加)。

1961 ホンダ・ジュノオM型

水平対向式の4ストロークツイン(M80:125cc・11ps、M85:170cc・12ps)も注目すべき要素だが、第二世代のジュノオとなるM型の最大の特徴は、油圧で作動するバダリーニ式無段変速機を導入したこと。

もっとも、その変速機の伝達効率が万全ではなかったうえに、左グリップの回転で行う変速比の調整が容易ではなく、さらに車重が146・157kgと重かったこともあって(フレームはスチール製モノコックで、後輪駆動はチェーン)、販売はあまり奮わず。前任のK型と同じく、M型も数年で生産が終了することとなった。

スクーター的なモーターサイクル

さて、ここまでは1950~1960年代の短命車を紹介してきたけれど、かつてのヨーロッパには、スクーターとは異なる手法で、スクーターに通じる気軽さやフレンドリーさを追求したモデルが存在した。

それらの中で大成功を収めたのが、イギリスのベロセットが1946~1971年に生産したLEと、イタリアのモトグッツィが1950~1966年に販売したガレットだ。

エンジンと後輪駆動に関しては、LE:水冷フラットツイン150/200cc+シャフト式、ガレット:空冷単気筒160/175cc/200cc+チェーン式という違いがあったものの、バックボーンタイプのプレスフレームを採用するこの2台は、ミッションや駆動系がモーターサイクル然とした構成だったため、前述したスクーターのようなトラブルが起こらなかったようである。

それに加えて、車重が軽かったことや(LE:113.4~120kg、ガレット:107~123kg)、当時の一般的なモーターサイクルと同寸のタイヤを採用していたことなども(LEは前後19/前後18インチで、ガレットは前後17インチ。なお前述したスクーターの中では、トッパーのみが前後12インチで、他車は前後10インチ)、この2台が高評価を集める一因になったようだ。