カローラは「変わり続けたからこそ60年続いた」

2026年11月1日、休日で操業していないトヨタ自動車の堤工場に、歴代のカローラが並んだ。1966年の初代から現行12代目、そして2025年のジャパン・モビリティショーで披露されたカローラ・コンセプトまで。60年という時間の長さを、実車を通して感じることができる展示だった。

カローラは1966年10月20日に発表され、同年11月に発売された。以来、世界各地で生産・販売され、トヨタを代表するグローバルモデルに成長した。世界累計販売台数は6800万台を超える。

今回の記念セレモニーには、開発、生産、販売に携わってきた関係者に加え、カローラを愛用するユーザーも招かれていた。

トヨタコンパクトカーカンパニーの高橋司プレジデント

トヨタコンパクトカーカンパニーの高橋司プレジデントは、販売店、仕入れ先、そして60年間カローラを選んできたユーザーへの感謝を述べたうえで、ひとつの問いを投げかけた。

なぜ、カローラは60年間も多くの人々に選ばれ続けてきたのか。

この問いに対する答えを、最も端的に示していたのが、現在のカローラ・シリーズの開発責任者、福島徹チーフエンジニア(CE)の言葉だった。

「カローラは、名前以外はすべて時代に合わせて変わってきたと言っても過言ではないと思います。変えてはいけないのは、形ではなく考え方です」

カローラの60年は、同じクルマを作り続けた歴史ではない。時代ごとに求められるものを考え、変えるべきところは大胆に変えてきた歴史なのだ。

パブリカの経験が生んだ「プラス100ccの余裕」

トヨタ・パブリカ

福島CEがカローラの原点を説明する際に取り上げたのは、初代カローラではなく、その前に登場したパブリカだった。

パブリカは国民車構想を背景に誕生した、経済性を重視した小型車である。しかし、日本のモータリゼーションが進み、ユーザーがクルマに求めるものは急速に変化していった。

初代カローラの開発を指揮した長谷川龍雄氏は、パブリカの開発にも関わっていた。その経験を踏まえ、パブリカとコロナの間に、新しい市場があることを見いだした。

1966年の初代カローラ(KE10型)

初代カローラは、当時のライバルだった日産サニーが1000ccだったのに対して、1100ccのエンジンを搭載した。「プラス100ccの余裕」である。

それだけではない。セパレートタイプのフロントシート、4速フロアシフト、スポーティなスタイリングなど、単に安くて実用的なだけではない魅力を備えていた。

クルマを所有すること自体が憧れだった時代に、もう少し上のクルマに乗りたい、もう少し遠くへ出かけたいという気持ちに応えたのである。

福島CEは、カローラの本質を「手の届く憧れ」と表現した。

必要十分ではなく、お客様の期待の少し先を行く。これがカローラの「プラスアルファ」であり、60年間受け継がれてきた商品企画の思想だ。

2代目TE20型
1974年デビューの3代目。
4代目AE70型
5代目AE82型。ここでFF化された
6代目カローラ
7代目カローラ
8代目AE110型
9代目NZE121型

12代目カローラは、開発初期には厳しい評価を受けていた

左からカローラ・シリーズチーフエンジニアの福島 徹氏、12代目カローラ開発責任者の上田泰史氏、堤工場の馬渕 晃氏、トヨタ自動車東日本の藤井雅則氏。

60周年の会場では、12代目カローラの開発に携わった上田氏が、印象的なエピソードを披露した。

2015年から2024年まで、およそ10年間にわたってカローラの開発に関わった上田氏。なかでも忘れられないのが、北海道の士別試験場での出来事だという。

開発初期の試験車を持ち込み、先輩の開発者に評価してもらったところ、非常に厳しい評価を受けた。

冬の北海道の路面では、乗り心地やハンドリングの欠点が表れやすい。上田氏自身も改善の必要性を感じていたが、先輩からの指摘は想像以上に厳しかった。

悔しかったという。そこからチームで開発を進め、完成に近づいた段階では、自信を持って世に送り出せるクルマに仕上げた。

そして発売後、試乗したある人から言われた言葉が、今も忘れられないという。
「このクルマって、皆さんすごく楽しんで作られましたよね」
実際の開発は、楽しいことばかりではなかった。むしろ苦労の連続だった。それでも、作り手の思いがクルマを通じて伝わったことが嬉しかったという。

現在、上田氏は次世代カローラのプラットフォーム開発にも関わっている。

次のカローラでも、開発者が苦労を乗り越え、最後にはユーザーに「楽しいクルマだ」と感じてもらえるものを作りたいと語った。

ツートーン塗装を2回から1回へ。堤工場の挑戦

12代目カローラ スポーツ。イエローとブラックの2トーン。

開発だけでなく、生産現場でも、カローラを少しでも良くするための取り組みが続いている。

堤工場の馬渕晃副工場長が紹介したのは、カローラスポーツのツートーン塗装に関する改善活動だった。

従来、ツートーンカラーの車両は塗装工程を2回通していた。上側と下側を塗り分けるためである。当然、単色の車両よりも工程が増え、生産に時間がかかる。そこで堤工場では、品質を維持しながら、塗装工程を1回で完了させることに挑戦した。難しいのは、2色の境界を正確に仕上げることだ。マスキングテープの種類や貼り方、作業方法まで、現場のメンバーが一つひとつ見直した。

その結果、従来2回必要だった工程を1回にすることができたという。

馬渕氏が強調したのは、工程を短縮できたという結果そのものではない。

今の作り方が本当に最善なのか。もっと良い方法があるのではないか。そう考え続けることこそ、堤工場のものづくりの強みだという。

品質へのこだわりは変えない。しかし、作り方は変えていく。開発責任者が語ったカローラの思想は、生産現場にも息づいていた。

「工場が変わるとクルマも変わる」。岩手工場の品質へのこだわり

左から10・11代目開発責任者の奥平総一郎氏、安井慎一氏、高岡工場の中山等氏、川名雄二氏、広瀬茂樹氏。

トヨタ自動車東日本の岩手工場からは、カローラクロスの生産移管に関する話が紹介された。

2025年5月、カローラクロスの生産が岩手工場に移管された。

生産拠点が変われば、設備も作業する人も、部品を供給するサプライヤーの生産拠点も変わる。しかし、ユーザーにとっては、どこの工場で作られたかは関係ない。

岩手工場では、単に従来と同じ品質を再現するのではなく、生産移管を機にさらに良いクルマにすることを目指した。

例えば、足まわりの締結トルクについて、許容範囲内に収めるだけでなく、狙いとする値により正確に合わせる取り組みを行なった。また、車体の合わせ目に塗布するシーラーについても、作業者の技能だけに頼るのではなく、前工程から作りやすさを改善した。

プレス、溶接、塗装、組立。それぞれの工程が自分の担当範囲だけでなく、後工程まで考えて改善する。

ここにも、カローラを作り続けてきた現場の姿勢が表れている。

開発と生産は「仲良く喧嘩する」

左から10・11代目開発責任者の奥平総一郎氏、安井慎一氏、高岡工場の中山等氏、川名雄二氏、広瀬茂樹氏。

次世代カローラの開発について、福島CEは興味深い表現を使った。

開発と生産は「仲良く喧嘩している」というのである。

開発側には実現したい性能やデザインがある。一方、生産側には品質を守りながら、安定して量産できるクルマにする責任がある。

当然、意見がぶつかることもある。しかし、目指しているものは同じだ。ユーザーに、もっと良いクルマを届けることである。お互いに主張し、議論を重ね、ときには厳しく要求し合う。そうした過程を経て、クルマは磨かれていく。

福島CEは、次のカローラについて、見た人に「これがカローラか」と驚いてもらえるクルマにしたいと語った。

その挑戦は、すでに開発と生産の現場で始まっている。

次の100年に向けて、カローラはまた変わる

60周年の会場には、2025年に発表されたカローラ・コンセプトも展示されていた。

その姿は、現在のカローラとは大きく異なる。

しかし、福島CEが語ったカローラの本質に照らせば、外観が大きく変わること自体は不思議ではない。カローラは、同じ形を守ることで60年間続いてきたわけではないからだ。

これからは電動化、知能化、世界各地の市場環境の違いなど、さらに多くの課題に対応する必要がある。それでも、カローラの根底にある「良品廉価」「手の届く憧れ」「プラスアルファ」という思想は変わらない。

変えないのは考え方。変えるのは、それを実現する方法。

60周年の記念セレモニーは、カローラの過去を振り返るだけでなく、次の時代に向けたものづくりの決意を確かめる場でもあった。

60年間続いてきたカローラが、次にどのような姿を見せるのか。その答えは、いま開発と生産の現場で作られている。

カローラ・コンセプトの前に立つ福島CE