MotoGP第6戦フランスGP:ホンダのザルコ、劇的優勝。「雨が降る」という確信と勝利を決定づけたレインタイヤ

©LCR Honda
MotoGP第6戦フランスGPが、5月9日から11日にかけて、フランスのル・マン-ブガッティ・サーキットで行われ、雨の決勝レースでヨハン・ザルコ(ホンダ)が優勝を飾った。ザルコが優勝することができた要因は、何だったのだろうか。

荒れたレースで下した冷静な判断

2025年、フランスGPの舞台であるル・マン-ブガッティ・サーキットには、週末通算で史上最多となる31万人の観衆を集めた。日曜日だけでも12万人が詰めかけたのである。この12万人を大いに沸かせたのは、決勝レースで優勝を飾ったフランス人ライダーのヨハン・ザルコ(ホンダ)だった。

フランスGPの週末、ホンダ勢は好調とは言い難かった。むしろ、苦戦していたと言っていいだろう。それでは、ザルコ優勝の要因はどこにあったのだろうか。

明暗を分けたのは、決勝レースのタイヤ選択だ。

決勝レースがスタートする14時の20分ほど前に雨が降り始め、この雨によってコンディションが刻々と変わった。

スタート前には全てのライダーがドライコンディション用のスリックタイヤでグリッドについていた。しかし、スタート直前にコースを1周するウオームアップ・ラップのあと、ほとんどのライダー(おそらく全ライダーだと思われる)が、レインタイヤを履いたマシンに乗り換えるためにピットインをした。

だが、あまりにも多くのライダーがピットレーン出口に並ぶことになるため、レースディレクションによって赤旗中断となる。その後、再びグリッドにつくために全ライダーがピットを出たわけだが、このとき、ライダーたちは「レインタイヤ」を履いていた。

勝負の分かれ目は、ここにある。

このサイティングラップで、マルク・マルケス(ドゥカティ)や小椋藍(アプリリア)など、13名のライダーがピットインをして、「スリックタイヤ」を履いたマシンに乗り換えたのだ。

さらに、5月6日に発表、施行されたレギュレーションにより、この13名のライダーにはダブル・ロングラップ・ペナルティ(※レース中、ランオフエリアに設定されたルートを走行しなければならないペナルティ。これによって、ライダーは数秒を失う。ル・マンでは8コーナー外側に設定されている。ダブル・ロングラップ・ペナルティの場合、レース中にここを2回通過しなければならない)が科されている。

結果的に、13名のライダーはレース序盤に再びピットインをして、「レインタイヤ」を履いたマシンに乗り換えた。つまり、M.マルケスをはじめとした13名のライダーは、レース中に「ピットインをしてマシン乗り換え」、そして「ダブル・ロングラップ・ペナルティ」という大きなタイムロスを負ったわけだ。

対するザルコは、前述のように、2回目のグリッドについたとき、レインタイヤを履いていた。

もちろん、ザルコと同じ戦略をとったライダーはいた。ワイルドカード参戦をした中上貴晶(ホンダ)、ドゥカティ・ファクトリーチームのフランチェスコ・バニャイアなど7名のライダーである。彼らはレインタイヤでレースをスタートした。

ただ、彼らのほとんどは転倒し、また、レインタイヤでスタートしたものの、レース序盤にピットインをしてスリックタイヤのマシンに乗り換え、その後、再びピットイン、レインタイヤのマシンに乗り換えている。

結果的に、スタートからゴールまで、レインタイヤで走り切ったのは、ザルコと中上だけだった。これが、ザルコの勝因だったわけだ。

ここ数年のホンダは長く低迷を続けてきた。ザルコの優勝は、ホンダにとって、2023年アメリカズGP(アレックス・リンス)以来の勝利だった。そればかりではなく、ドゥカティの連勝記録を止めた優勝でもあった。

ドゥカティは2024年スペインGPから2025年スペインGPまで22連勝を挙げており、今大会は23連勝がかかっていたのだ(なお、スプリントレースの優勝は公式記録には含まれない)。

現時点で、最高峰クラスにおけるメーカーの連勝記録トップは、ホンダの22連勝(1997年~1998年)である。これを更新せんとするドゥカティを止めたのが、ホンダだったというわけだ。

そしてまた、フランスGPでフランス人ライダーが優勝するのは、1954年以来、71年ぶりのことだった。

レース後、カストロール・ホンダLCRのチームマネージャーであるルーチョ・チェッキネロは、MotoGP.comのインタビューで、こう語っている。

「私が使っている天気予報のアプリによると、20分以内にさらに雨が降る、とチームに伝えた。ヨハンにもこのデータを見せたよ。だから彼は、レインタイヤでグリッドにとどまることに納得したんだと思う。でも、数分後には祈っていたよ。『頼む、頼むぞ、雨よ降ってくれ』ってね! 最終的には、正しい選択ができたと思う」

ザルコもまた、プレスカンファレンスでタイヤ選択が肝だったと述べた。

「今日は、レインタイヤという“正しい選択”をしたことが大きかった。他のライダーたちがスリックを選んだのがわかっていたけど、僕は『雨が降る』と確信していた。はじめのうち、路面はやや乾いていたけれど、レインタイヤを守りながら走ったんだ。スリックの選手たちを見て、『いけるかもしれない』と思った」

ザルコにとって、脅威だったのはレインコンディションを得意とするジャック・ミラー(ヤマハ)だった。しかし、ミラーは6周目に転倒、リタイアした。

「ジャックが転倒したとき、『勝てるかもしれない』という確信を持ち始めた。マルクがレインタイヤに履き換えたときは少し怖かったよ。最初は彼の方が速かったからね。でも彼もすぐに限界に達したみたいで、それ以上プッシュできなくなった。僕のリードは十分にあったから、うまくコントロールできたんだ」

「本当に素晴らしい気持ちだよ。レースによっては、自ら勝利を“掴みにいく”こともある。でも今日は、レースが進むのを“待って”勝利がやってきた。それがすごく特別だったんだ」

ちなみに、この日、ザルコの両親がサーキットに駆け付けていた。特にザルコの母は、17年のうち一度も現地に来たことがなかったのだという。どちらかといえば、家にいるのが好きな性分なのだそうだ。しかし、ザルコは今回、そんな彼女に「フランスGPを一度見に来たらどうかな」と言った。連勝記録ストップのことと言い、母国での勝利と言い、全てを含めて劇的と表現するに値する優勝だった。

「ウイニングラップをしているときに、大観衆の姿が目に入ってきてね……。水曜、木曜、金曜と、みんなが僕の名前を呼んでくれていたんだよ。フランス国歌を何度も何度も歌ってくれて――ちょっと多すぎたくらい(笑)」

「でも、表彰台の一番上で国歌を歌えたとき、『この週末は完璧だった』って心から思えたんだ。それと、何よりうれしいのは、フランス人ライダーがフランスGPで勝つという歴史的な1ページをモーターサイクルの歴史に刻めたこと。本当に誇らしいよ」

ザルコは、ホンダに移籍した1年目である2024年シーズンから前向きな姿勢を維持してきた。少なくとも、維持しようと努めていた。2024年シーズンのホンダはどん底といってもいい状況にあったが、それでもザルコが1年目からホンダ勢としては上位にいることができたのは、ライディングスタイルもあるのだろうが、そうした姿勢が一因だったと言えよう。

天候やコンディション、確かに複雑なレースではあったが、間違いなく、この勝利はザルコにふさわしいものだった。

コンディションゆえか、転倒も多かった。まさに波乱のレースだった©MotoGP.com
母国の前で優勝を飾ったザルコ。記録や個人的状況含め、劇的な勝利だった
2位にはチャンピオンシップのランキングトップ、マルク・マルケス、3位にはルーキーのフェルミン・アルデゲェルが入った©MotoGP.com

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