実用性を重視した三輪バイクの元祖、最大積載量は400kg!ダイハツが製造販売していた懐かしのスリーター(三輪)。【ジャパンモビリティショー2023】

二輪の大型バイクをベースにしたダイハツの三輪自動車「HD型」。空冷4サイクル単気筒498ccエンジンを搭載。当時のメーカー資料によると最大積載量は400kg。
2023年10月28日(土)~11月5日(日)まで開催(一般公開)のジャパンモビリティショー(旧:東京モーターショー)。名称を変更した今回のショーでは、自動車やバイクだけでなく“モビリティ全般”を広く募ったのが大きなポイント。未来の可能性を感じさせる製品が多い中、「ダイハツ」ブースでは貴重で懐かしいモデルも展示された。
PHOTO/REPORT●北 秀昭(KITA Hideaki)
参考文献●ダイハツ工業株式会社「ダイハツ 六十年史」

ダイハツ HD型 三輪自動車……1931年(昭和7年)式

ボディサイズは、全長2,780mm×全幅1,200mm×全高1,200mm。
フロントフォークは懐かしのスプリンガーフォークを採用。

現在のダイハツは軽自動車を始めとした小型車を中心に、幅広い四輪車をラインナップ。しかし大昔は、フロントタイヤ1輪・リアタイヤ2輪の三輪自動車も製造販売していた。

当時、国内における三輪自動車の多くは、輸入バイク用エンジンをそのまま三輪車に搭載。また、普通のバイクを“強引に”三輪化していたため、旋回性や操安性などが極めて悪かった。駆動方式はチェーンドライブ式だったために耐久性が低く、旋回時の差動機能(デファレンシャルギア機構)も満足なものではなかった。

当時のダイハツは、これらの問題点に着目。四輪車と同じ差動装置(デファレンシャルギア機構)を採用するとともに、動力伝達のシステムに、三輪自動車としては国内初となるシャフトドライブ式を採用。

純国産となるエンジンは空冷4ストローク単気筒498ccを搭載。ボア径×ストローク長はΦ80mm×99mmのロングストローク。

また輸入エンジン搭載の風潮を打破するため、国内で生産された“純国産エンジン”を搭載。まずは第1号車としてHA型を試作し、さらに上記の改良を加えた「HB型」を1931年3月に発売。写真はシリーズ4代目となる「HD型」。

写真の「HD型」は、スプリンガー式フロントフォークやスチール製フレームを採用した大型バイクをベースに三輪化。エンジンは空冷4ストローク単気筒498ccを搭載。ボア径×ストローク長はΦ80mm×99mmのロングストローク仕様に設定。

リアには超大型の荷物運搬用スペースを設置。当時のメーカー資料によると、最大積載量は現代の軽トラックを超える400kg(現代の軽トラックの最大積載量は350kg/軽自動車の排気量の上限は660ccで最大出力の上限は64馬力)。そのフォルムはデリバリー等で活躍する、ホンダの実用原付スクーター「ジャイロ」をイメージさせるものだが……

ボディサイズは、全長2,780mm×全幅1,200mm×全高1,200mm。ホイールベースは1,850mm、リアのトレッド幅は1,070mm。肉眼で見た実物の大きさは、原付のジャイロ系を遥かに凌ぐもので、ハーレーダビッドソンやホンダ・ゴールドウイングなどをベースとした現代の「トライク」に匹敵するビッグサイズだ。

超ビンテージモデルとなる同車は、当然ながらジャイロ系のように車体がバンク(傾く)する機能がないため、コーナリング時はトライクやサイドカーのように“ハンドルで曲がる”必要がある。

足元には走行風や飛び石を阻止するための、大型レッグカバーを装備。
アクセルはスロットル式ではなく、レバー式を採用。前後ブレーキはフット式。エンジン始動方法はキック式。

ダイハツ ミゼット MP5型……1962年(昭和37年)式

ボディサイズは全長2,970mm×全幅1,295mm×全高1,455mmのコンパクトサイズ。乗車定員は2名。
フロントが1輪。また重心が高いという構造上、横転しやすかったミゼット。
強制空冷式2サイクル単気筒305ccエンジンを搭載した「ミゼット MP5型」。

上記の三輪自動車「HD型」の進化版とも呼ぶべき、ダイハツの名車「ミゼット(Midget)」。HD型は知らなくても、ミゼットをご存じの人は多いはず(昭和を題材にした映画や、懐かしのテレビ番組、CMなどにも多数登場)。

フロント1輪・リア2輪のミゼットは、ダイハツが1957年(昭和32年)から1972年(昭和47年)まで製造販売していた軽自動車規格の三輪自動車。資金に余裕のない中小・零細事業者にも手の届く、大手メーカー製初の三輪自動車だった。

“軽トラックの元祖”とも言うべきミゼットは、リアに大量かつ大型の荷物が積載できる、超大型の荷台を装備。工場、商店、建設現場、運送業等々、幅広い事業者に重宝され、庶民の日常生活及び、日本の高度成長期の根元を支え続けた。

写真の「ミゼット MP5型」は、強制空冷式2サイクル単気筒305ccエンジンを搭載。ボディサイズは全長2,970mm×全幅1,295mm×全高1,455mmのコンパクトサイズ。乗車定員は2名。

筆者の父は昭和17年生まれ。10代後半より阪神工業地帯の中枢にある尼崎市の部品工場に就職し、自動車免許取得後はミゼットに自社製品を積み、大阪各地へ納品に回っていた。

ある日、大阪梅田の交差点をコーナリング中、父が運転していたミゼットが横転。納品物をすべて路上にブチまけてしまった。父によれば、ミゼットはフロントが1輪。また車体がバンクしない(傾かない)。加えて重心が高いという構造上、横転しやすいのがネックだった。

幸い父にケガはなく、横転によって巻き込んだ車両や歩行者もなし。横転したミゼットを、近くにいた歩行者と一緒に起こし、ブチまけた納品物をせっせと荷台に戻したという(歩行者が交通整理)。

父によると、当時ミゼットが横転していることは少なくなかったとのことで。そのたびに歩行者が集まり、「せーの、よっこらっしょ」という按配で一緒に起こしていたという。

日本が豊かになるとともに、軽トラック、1トン車、2トン車、4トン車など、四輪トラックの種類も増加。また各車の価格は庶民にも手の届くものとなり、中小・零細事業者たちもこぞってトラックを購入。ミゼットはその役割を終え、1972年(昭和47年)に生産終了となった。

懐かしの「三角窓」を採用。当時はカーエアコンがない時代。雨の日などで内側のフロントガラスが雲った時、三角窓を少し開ければ換気され、曇りが取れるという効果もあった。

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