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DB4(1958-1963)
スーパーレッジェーラ工法を採用
DB2シリーズの改良を続けていく中で、アストンマーティンでは1950年代の中頃から後継モデルの開発がスタートしていた。DP(Development Project)114と名付けられたプロトタイプは、1954年に開発がスタート。ハロルド・ビーチは、新たにフロアの周りを補強部材で囲うペリメーターフレーム・シャシーを設計。そこにフロントにダブルウィッシュボーン、リヤにド・ディオンアクスルのサスペンション、デイヴィッド・ブラウン製のラック&ピニオン式ステアリングを装着し、タデック・マレックによる新設計の直列6気筒DOHC DP186ユニットを搭載することとなった。
一方アストンマーティンの弱点のひとつであったボディデザインに関しては、ワンオフのDB2/4スパイダーで素晴らしい実績を残したイタリアのカロッツェリア、トゥーリングと提携。ボディには彼らが特許をもつ、細いスチールフレームにアルミの外皮を貼るスーパーレッジェーラ工法を採用することが決まった。
しかしトゥーリングはペリメーターフレーム・シャシーの採用に反対。そこでDP114プロジェクトは一旦白紙に戻り、ビーチの手によって左右に箱型断面の補強材を溶接した強固なスチール製のプラットフォーム・シャシーが設計され、サスペンションもコンベンショナルなフロントダブルウィッシュボーン、リヤリジッドアクスルに変更。そのほかラック&ピニオン式のステアリングや、ダンロップ製ディスクブレーキを4輪に装備するなど、全面的に刷新された。
3670ccに拡大された排気量
エンジンは強固な軽合金製のブロックとシリンダーヘッドをもつ直列6気筒DOHCとなったほか、LB6シリーズの失敗を反映してオーソドックスなプレーンベアリングによる7ベアリング式を採用。排気量も3670ccに拡大し、2基の2インチSUキャブレターが組み合わされて、最高出力243PSを発生するに至った。
またトゥーリングが製造も手がけたボディは、同社のカルロ・フェリーチェ・ビアンキ・アンデルローニとフェデリコ・フォルメンディのデザインをベースに構築されたもので、現在にまで続くDBシリーズの基本シェイプを確立する、優雅で美しいものに仕上がった。無論その中身はトゥーリングお得意のスーパーレッジェーラ工法によるもので、トリノの工房で製作されたのちにニューポートパグネルに運ばれ、アッセンブリーされる手筈となっていた。
こうして完成したDB4は1958年10月にアールズコート・モーターショーで発表されたが、労働争議により実際の生産が開始されたのは、それから1年近く経った後だった。
シリーズを通じて行われた改良
DB4はその内容、パフォーマンス共に、当時としてはトップレベルに位置する高性能GTであった。しかし多くの新機軸を投入したが故に初期トラブルも多く、シリーズを通じて頻繁な改良が行われることになる。
その多くがエンジンのオイル量の増加、オイル流量の改善、そしてオーバーヒート対策としての冷却系の改良で、内外装の変更はわずかだったが、1961年4月のシリーズ3からはデュアルプラグイグニッション、3基のツインチョーク式ウェーバー45 DCOE 4キャブレターを装備し、圧縮比を9:1にアップした302PSのGTエンジンをオプションで設定。さらに同年9月のシリーズ4では、DB4で初めてコンバーチブルモデルが用意されたほか、3基のSUキャブを装着し、圧縮比を上げることで270PSを発生するスペシャルシリーズエンジンを搭載したヴァンテージも少量ながら生産されている。
そして1962年、ボディを4.57mに延長し、DB4GTのようなヘッドライトカバー、15インチホイール、そしてスペシャルシリーズエンジンを標準装備するシリーズ5が登場。ほぼそのままの形で後継のDB5に引き継がれることになる。