【訃報】パオロ・ピニンファリーナ氏死去

【訃報】パオロ・ピニンファリーナ氏死去「イタリアを象徴するカロッツェリア復興に尽力」

2022年6月、風洞実験施設50周年式典におけるパオロ・ピニンファリーナ氏。(photo:Akio Lorenzo OYA)
2022年6月、風洞実験施設50周年式典におけるパオロ・ピニンファリーナ氏。(photo:Akio Lorenzo OYA)
イタリアを代表する自動車デザイン会社「ピニンファリーナ・グループ」のパオロ・ピニンファリーナ会長が2024年4月9日、トリノで病気のため死去した。65歳だった。

50歳で急遽会長職を引き継ぐ

パオロ・ピニンファリーナ氏。(photo:Pininfarina)
パオロ・ピニンファリーナ氏。(photo:Pininfarina)

パオロ・ピニンファリーナ氏は1958年8月28日トリノ生まれ。祖父バッティスタ・ファリーナの経済貢献を評価したイタリア共和国大統領により、家族が姓を商号と同じPininfarinaとすることが認められたのは、パオロ氏が3歳の年だった。トリノ工科大学の機械工学科を卒業。キャデラック・ブランド、ホンダ、ゼネラル・モーターズなどを経て、1982年ピニンファリーナに入社した。自動車以外のプロダクトデザインを手がける子会社「ピニンファリーナ・エクストラ」では立ち上げ時代から参画し、事業の多角化を進めた。1988年にはグループの取締役、続いて2006年には副会長に就任した。2008年には1歳上の兄アンドレアの交通事故による急逝を受け、50歳で急遽会長職を引き継いだ。

当時のピニンファリーナは車体受託生産部門の不振により、創業以来の経営危機に陥っていた。状況を打開するため、パオロ氏以下経営陣は2011年まで全生産事業から撤退。以後はトリノ郊外カンビアーノ本社を拠点とするデザインおよびエンジニアリング研究開発に専念した。同時に、高級コンドミニアムや空港施設など建築部門の市場拡大を図った。

2015年にはインドのマヒンドラ・グループ傘下に入ることで再生を果たした。2018年には、マヒンドラとともに高級EVメーカー「アウトモビリ・ピニンファリーナ」をドイツ・ミュンヘンに設立。久々に自動車製造に復帰し、祖父の名を冠した電動ハイパーカー「バッティスタ」を発売した。

イタリア本国でも悼む声

イタリア国内では自動車メディア以外でも、多くの媒体がパオロ氏の死去を伝えた。番頭役としてパオロ氏を支えたシルヴィオ・アンゴリCEOは公式声明として、以下のようにコメントしている。

「我々は全員、会長の並外れた貢献に対して大変感謝しています。彼はピニンファリーナの歴史とコーポレート・アイデンティティを、スタイルと倫理的・行動的選択の両面から常に情熱的に提唱してくれました」

「個人的には、2008年にアンドレア・ピニンファリーナが他界した後、私を会社のリーダーとして認めてくれたことに感謝しています。この数年間、私たちは多くの勝利と挑戦を分かち合い、常に互いに助言し、支え合いました。彼の思い出を称える最善の方法は、彼が望んだようにピニンファリーナの未来にコミットし続けることです」

イタリアでは多くのカロッツェリアが時代や業界の変化に対応しきれず、淘汰されてきた。近年ではベルトーネがその代表例である。そうしたなか、イタリア自動車産業および工業デザインの優秀性を象徴してきた自社を倒産の危機から救い、新たなビジネスモデルを構築したパオロ・ピニンファリーナ氏の足跡は評価されるに相応しい。

ピニンファリーナ・エニグマGT。今回ヴァーチャルで発表されたが、ディテールは想像以上に詰められている。

ピニンファリーナの最新コンセプトカー「エニグマGT」は同時進行の謎解き型コンセプトカー

イタリアを代表するインダストリアルデザイン企業のひとつ「ピニンファリーナ」による最新コンセプトカー「エニグマGT」。目下はフルデジタル、すなわちヴァーチャルによるスタディだが、その中身は最新技術を提示するとともに、歴史あるカロッツェリアのレガシーにもしっかりと結びついている。イタリア在住ジャーナリストが解説する。

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著者プロフィール

大矢アキオ ロレンツォ (Akio Lorenzo OYA) 近影

大矢アキオ ロレンツォ (Akio Lorenzo OYA)

在イタリア・ジャーナリスト。国立音大ヴァイオリン専攻卒業。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)大学院 …