「340」や「750モンツァ」の心臓となったランプレディ設計のエンジン【フェラーリ名鑑:04】

【フェラーリ名鑑】華麗かつ高性能な時代(1950-1953)

フェラーリ 375MMのフロントスタイル
高性能化に伴いエンジン排気量の拡大を推し進めたフェラーリ。さらに当時隆盛を誇っていたイタリアのカロッツェリアにより、フェラーリのロードモデルには美しいボディが数多く与えられた。
1950年代のフェラーリに、まさしく優れた“原動力”を与えたのがアウレリア・ランプレディという設計者だった。ジョアキーノ・コロンボ設計のV12に代わり、ランプレディ作の高出力に耐えるビッグブロックを備えた大排気量ユニットは様々な名コンペディションモデルの心臓となった。一方で、V12以外の選択肢として直列4気筒エンジンの開発にも着手。2.0リッターの「500 モンディアル」や3.0リッターの「750 モンツァ」、2.5リッターの「625LM」といった4気筒スポーツレーサーに搭載されて競合と戦った。

V12の他に直4エンジンの開発も進める

1950年代に入ると、フェラーリのV型12気筒エンジンは、その排気量を拡大し続けていく。それはモデル名の最初に示される数字、この時代は気筒あたりの排気量が大きくなっていくことからも理解できる。すでに解説しているとおり、コンペティションモデルのメインは166から195、212へと進化。さらに1952年には225というから、フェラーリのV型12気筒エンジンは総排気量ではすでに2715ccにまで拡大されていたことになる。

だが、この排気量拡大のプロセスに、そもそもフェラーリのためにV型12気筒エンジンを設計したジョアキーノ・コロンボの姿はなく、高出力に耐え得るビッグブロックの開発は、アウレリオ・ランプレディの手腕に委ねられた。

「340 アメリカ」、「500F2」、「375 インディ」、「225S」。ランプレディの手によってフェラーリのファクトリーからはさまざまなコンペティションモデルが誕生したが、ランプレディは同時に2941ccの直列4気筒エンジンの開発を進めていた。このエンジンは1953年に「500 モンディアール」の進化型として、ワンオフで製作された「735S」に搭載され、225psの最高出力と260km/hの最高速を誇り、スポーツカーレースにおいて優れた成績を収める。そしてフェラーリからも将来的にはV型12気筒モデル以外の選択が可能になるのではないかという期待をカスタマーに抱かせたのだ。

フェラーリ 750 モンツァのフロントビュー
排気量2953ccの直列4気筒OHCユニットを搭載したフェラーリ 750 モンツァ。マイク・ホーソーンやウンベルト・マグリオーリなどにより数々の勝利を記録している。

その期待がさらに現実味を帯びてくるのは、翌1954年のことだった。この年フェラーリは「750 モンツァ」と呼ばれるスパイダーを製作。モンツァとはもちろん、イタリアのミラノ近郊にあるサーキットの名前で、ここからも750 モンツァがレースカーとして生を受けたモデルであることが理解できる。1950年代前半のフェラーリは、V型12気筒と直列4気筒エンジンを巧みに使い分け、製作したモデルをレースカー(コンペティツィオーネ)とロードカー(ストラダーレ)に分類してはいたものの、両モデルの間にあるギャップはさほど深いものではなかった。

そしてさらに当時のフェラーリを華やかな存在としていたのが、ボディのデザインと製作を請け負うカロッツェリア=デザイン工房の存在で、カロッツェリアがイタリアの自動車産業でいかに重要な立場にあったのかは、フェラーリのみならずイタリアン・メーカーから生まれたモデルの多くが、それを証明している。

エンツォの決断と、美への追求

フェラーリ 375 MM ピニンファリーナ ベルリネッタのフロントビュー
フェラーリ 375MM ピニンファリーナ ベルリネッタ。“MM”はミッレミリアに由来。ピニン・ファリーナ以外にギアが架装したクーペもある。ちなみにギアが最後にコーチビルドを手掛けたフェラーリが375MMだった。

レースの世界には1940年代、1950年代にもレギュレーションというものは存在したが、比較的自由なクルマ造りができるロードカーの世界を創業時から見続けたエンツォ・フェラーリは、性能面で誰もが満足するエンジンは、3000ccクラスのV型12気筒であり、今後はそれをロードモデルの核とすることを決断する。

実際には1953年に発表された「250GT エクスポート=GTE」が、その最初の作となるわけだが、この時点ではまだ4001ccの「340MM」、4522ccの「375MM」といった大排気量V型12気筒モデルの生産もフェラーリやピニンファリーナでは行われていた。

フェラーリ 375MMのリヤスタイル
現代の目から見てもけして古くない、流麗かつ個性的なリヤスタイルが与えられていた375MM。

ちなみにこの375MMには、映画監督のロベルト・ロッセリーニが、女優のイングリット・バーグマンのために贈った「375MM ピニンファリーナ・ベルリネッタ」、通称“バーグマン・クーペ”と呼ばれるワンオフモデルが実在する。当時のカロッツェリアが、あたかも競い合うかのように美しく、そしてフェラーリらしく高貴でかつ高性能なボディデザインを生み出していたことは、この時代のモデルを見れば誰もが納得できるところだろう。

そして1954年、フェラーリは同社にとって初の量産車ともいえる250シリーズの生産を開始する。すでにレースの世界では、「250S ベルリネッタ・プロトタイプ」や「250 モンツァ」、「250 エクスポート」などを、エントリーしていたフェラーリだが、はたして250初の量産ロードカーたる「250GT」は、どのように評価されるのか。エンツォの胸中には複雑な感情が渦巻いていたことは想像に難くない。

解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)

【SPECIFICATIONS】
フェラーリ 340 アメリカ
年式:1950年
エンジン:60度V型12気筒SOHC
排気量:4101cc
最高出力:162kW(220hp)/6000rpm
乾燥重量:900kg
最高速度:240km/h

フェラーリ 375MM
年式:1953年
エンジン:60度V型12気筒SOHC
排気量:4522cc
最高出力:250kW(340hp)/7000rpm
乾燥重量:900kg
最高速度:289km/h

フェラーリ 750 モンツァ
年式:1954年
エンジン:直列4気筒SOHC
排気量:2953cc
最高出力:176kW(240hp)/7200rpm
車両重量:850kg
最高速度:250km/h

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著者プロフィール

山崎元裕 近影

山崎元裕

中学生の時にスーパーカーブームの洗礼を受け、青山学院大学在学中から独自の取材活動を開始。その後、フ…