メルセデスが空力に注力したW25 ストリームラインは380km/hを達成

シルバーアローの伝説を振り返る。85年前に生まれたメルセデス・ベンツの流線形マシンが残したもの

メルセデス・ベンツ ミュージアムに展示されているW25 ストリームライン。フロントビュー
メルセデス・ベンツ ミュージアムに展示されているW25 ストリームライン。1937年5月30日のインターナショナル・アヴス・レースで、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュがドライブした。
メルセデス・ベンツのレーシングカーは、“シルバー アロー”の愛称で広く知られてきた。そのきっかけとなったのは、1934年に登場したフォーミュラカー、W25。当時のモータースポーツシーンで数々の栄光を打ち立てたマシンには、空力ボディを与えられた“ストリームライン”仕様も存在する。速さを追い求めた特別なW25とは、どのようなマシンだったのか。

水中生物のような有機的ボディが与えられた空力マシン

メルセデス・ベンツ ミュージアムに展示されているW25ストリームライン。サイドビュー
メルセデス・ベンツ ミュージアムに展示されているW25 ストリームライン。ドライバーの前方に設置された小さな窓はウインドディフレクター(風よけ)の役割を果たした。

まるで水中生物のような有機的なボディを与えられたW25 ストリームラインは、1937年のアヴス・インターナショナルに登場した。当時のメルセデスのエンジニアが流線形ボディの可能性と空力テクノロジーを追求するべく製作したモデルであり、ホイールハブの下まですっかりカバーで覆う独特のデザインを採用していた。このカバーは、整備性の観点から上方へ開く仕組みになっていたといい、このあたりはいかにもメルセデスらしい。

メルセデス・ベンツは、フォーミュラ・リブレ(車両規定自由)としてドイツのベルリンで行われた1937年のインターナショナル・アヴス・レースへ3台の流線形レーシングカーを投入した。1台はW25をベースとし、5.6リッター12気筒のMD25 DABエンジンを搭載。残りの2台はW25の後継モデル、W125の5.7リッター8気筒M125 Fエンジンを搭載していた。

W25 ストリームラインは最高速度約380km/hを達成

1937年5月30日に開催されたインターナショナル アヴス レース。スタート前の様子。
1937年5月30日に開催されたインターナショナル・アヴス・レース。スタート前に撮影された写真には、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュの乗るナンバー36のマシン(写真右)をはじめ、ルドルフ・ハッセの乗るナンバー34のアウトウニオン、ルイジ・ファジオーリが駆るナンバー33のアウトウニオンも写っている。ヘルマン・ラングがコクピットに収まるナンバー37のストリームライン仕様(写真左奥)は、8気筒のM125エンジンを搭載している。

W125ベースのマシンは、ルドルフ・カラツィオラが最初の予選で勝利を獲得。本選でもヘルムート・ラングのドライブにより総合優勝を果たしている。また、W25 ストリームラインを駆ったマンフレート・フォン・ブラウヒッチュは第2予選でトップを奪取した。

W25 ストリームラインのストレートでの最高速度は約380km/hに達していたという。アヴスに新設された北側のカーブでさえ、370km/h弱のスピードを実現。ちなみに、4.7リッター8気筒エンジンを搭載した1936年製のW25 フォーミュラカーの最高速度はおよそ300km/hであった。

メタル製カバーで覆い隠したコクピット

メルセデス・ベンツ ミュージアムに展示されているW25ストリームライン。コクピット
W25 ストリームラインのコクピットはほとんどカバーで覆い尽くされており、展示車両を覗き込んでも辛うじて見えるのはステアリングホイールの一部と回転計のみ。

レーシングカーは少量をハンドメイドで仕上げるのが通例であったが、ストリームライン仕様はそれ以上に“特別”な仕立てとなっていた。フォン・ブラウヒッチュの乗ったマシンは、ヘルマン・ラングが言うところの「現時点で世界最速のレース」であったアヴスに照準を合わせて開発された。

レース中の写真を見てみると、ストリームライン仕様のマシンを運転するドライバーは、その頭部だけを外側に露出している。コクピットへ蓋をするように設置されたメタル製のカバーがドライバーの肩と腕を覆い隠し、小さな3面のウインドウがウインドディフレクター(風よけ)の役割を果たしていた。

ドライバーの脇に“壁”がそそり立つアヴスのヘアピンカーブ

1937年5月30日のインターナショナル アヴス レースを走るメルセデス・ベンツW25ストリームライン
1937年5月30日のインターナショナル・アヴス・レースを走るメルセデス・ベンツ W25 ストリームライン。アヴスの有名な北ヘアピンカーブで撮影された1枚。

ウインドディフレクターを3面すべて透明な窓にしたのは視認性を向上するため。これはアヴスで有名なバンク付きのヘアピンカーブでとりわけ効果を発揮したという。ヘルマン・ラングは後にこう語っている。

「アヴスの特徴的なカーブである北ヘアピンを走行する際は正確性が問題となり、かなりの訓練が必要とされていました。最初、私はトラックのセンターラインから目を離すことができませんでした。側方を時折見ることができるようになったのは後になってから。右を見ると、そそり立つ壁を登っていくような妙な気持ちに襲われます。左を見やると、今度はカーブの内側を埋め尽くす人々の顔を、深く下の方に見下ろすようでした」

W25 ストリームラインを駆ったフォン・ブラウヒッチュは、その5年前、1932年5月22日にもやはりアヴスにプライベートで挑んでいる。その時乗っていたのは、空力のパイオニア、ラインハルト・フォン・ケーニヒ・ファハゼンフェルトが設計した流線ボディをまとったメルセデス・ベンツ SSKLだった。このマシンの勝利により、エンジニアは空力性能の重要性を確信。空力ボディを大切にする哲学は、のちのW25 ストリームライン、さらに後年の量産車へと繋がっていくことになる。

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著者プロフィール

三代やよい 近影

三代やよい

東京生まれ。青山学院女子短期大学英米文学科卒業後、自動車メーカー広報部勤務。編集プロダクション…