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1974 Porsche 911 Carrera RSR Turbo 2.14
911にターボの先鞭をつけた歴史的モデル
ポルシェ 911 カレラ RSR ターボ 2.14は、1974年のル・マン24時間で2位入賞を果たしたスポーツプロトタイプ。後の930ターボの礎にもなった記念碑的なマシンでもある。
1974年3月24日に行われたル・マン・テストデイにポルシェ・ワークスであるマルティニ・レーシングは1台の見慣れない911をエントリーさせた。その基本的なボディワークこそ911 カレラ RSR 3.0をベースにしていたが、リヤフェンダーは思いっきり広げられ、背後には車幅いっぱいの巨大なリヤウイングが装着されていた。
しかしこの“特別なRSR”最大のトピックは他にあった。なんとそのエンジンベイにはターボチャージャー付きの空冷フラット6が搭載されていたのである。
無敵を誇ったカレラ RSR 3.0
話は2.8リッターのカレラ RSRが大成功を収めていた1973年シーズン中に遡る。ヴァイザッハの研究所では911 カレラ RSRの更なる発展、改良作業が進められていた。その答えのひとつが、翌1974年シーズンに向けGシリーズの911をベースに3.0リッター化した空冷フラット6を搭載するグループ3マシン、911 カレラ RSR 3.0だ。
グループ3は年間1000台の生産義務が課せられていたが、すでにその資格をもつカレラ RS 2.7のエヴォリューション・モデルということで、100台が製造された時点(最終的には50台のレース仕様、59台の公道仕様を製造)で公認されたカレラ RSR 3.0は主にプライベーターに託され、1975年のデイトナ24時間レースで総合優勝するなど、世界中のレースで活躍する成功作となった。
その傍らでポルシェの技術陣はさらに先を見据えた911の開発にも着手していた。それが911 カレラ RSR ターボ 2.14である。
限界を迎えたNAの3.0リッター水平対向6気筒に代わる施策
彼らがその開発に取り組み出したのは、世界メイクス選手権のタイトルが近いうちにプロトタイプ・レーシングカーではなく、市販車ベースの改造車に懸けられるという情報を入手していたからだと言われている。
諸々の問題を克服して、3.0リッター化を達成していたフラット6であったが、それ以上の排気量拡大には自ずと限界が見えていた。そこでモアパワーを目指した彼らが目をつけたのが、すでに北米Can-Amシリーズで917/10、917/30に搭載され成功を収めていたターボ技術だったのである。
当時のメイクス選手権は3.0リッター規定で行われていたため、レギュレーションで定められた過給機の係数1.4を掛けて3.0リッターに収まるようにフラット6の排気量を2142ccへとダウンし、最大過給圧1.3~1.4barのKKK製のシングルターボチャージャーが装着された。
その最高出力はRSR 3.0の330hpを遥かに上回る500hpを記録。その大パワーに合わせ、90suihes6のチタン製コンロッドや、917用のドライブシャフトを流用するなど各部が強化されていたが、クランクシャフトは市販の2.0リッター用がそのまま使われていたという。
ル・マンの活躍を礎に911ターボへの道筋を拓く
マトラ MS670C、アルファロメオ TT12と同じプロトタイプ・レーシングカーにカテゴライズされたカレラRSR ターボ2.14は4月のモンツァ1000kmでデビューし、幸先のいい5位入賞を飾ったほか、スパ1000kmで3位、ニュルブルクリンク1000kmでも6位と高成績を残した。
そして迎えたル・マン24時間には2台のカレラ RSR ターボ 2.14がエントリー。21号車はエンジントラブルでリタイアしてしまったが、7番グリッドからスタートしたガイス・ファン・レネップ/ヘルベルト・ミューラー組の22号車は大方の予想を裏切りトップを快走。日曜の昼前に発生したギヤボックストラブルの影響で2位入賞にとどまったものの、自信を得たポルシェはターボ化を推進。930ターボや934、935といったモデルの誕生に繋がることになる。
TEXT&PHOTO/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
COOPERATION/ポルシェ ジャパン(Porsche Japan KK)
【SPECIFICATIONS】
ポルシェ 911 カレラ RSR ターボ 2.14
年式:1974年
エンジン形式:空冷水平対向6気筒SOHCターボ
排気量:2142cc
最高出力:500hp
最高速度:300km/h
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