【モナコ・ヒストリック・グランプリ】日本人ドライバーが活躍

モナコ・ヒストリック・グランプリに「ロータス72」で出場した久保田克昭が劇的な2勝目

2位を大きく引き離した久保田は、ファステストラップも手土産にトップでフィニッシュした。
2位を大きく引き離した久保田は、ファステストラップも手土産にトップでフィニッシュした。
5月10〜12日、第14回モナコ・ヒストリック・グランプリが開催された。F1で使用するモナコ市街地コースそのものを使って、2年に1度行われるこのイベントに、エントリーしたのはなんと212台。日本からエントリーした2人のサムライレーサーの活躍をリポートする。

14e Grand Prix de Monaco Historique

世界中から集まった腕利きのアマ&プロレーサー

F1モナコGPといえば、インディ500マイル、ル・マン24時間と並ぶ世界3大レースのひとつ。まさにそのF1で使用するモナコ市街地コースそのものを使って2年に1度行われるのが、モナコ・ヒストリック・グランプリだ。さる5月10日から12日にかけて開催された第14回大会には、1925年のブガッティT35から、1985年のティレル012まで8カテゴリー、計212台がエントリー。“世界一のヒストリック・レーサー“の座をかけて、世界中から腕利きのアマ&プロレーサーが集まった。

その中にはマクラーレンF1チーム代表のザク・ブラウン、そしてレッドブルF1のデザイナーで今話題のエイドリアン・ニューウェイ(2人ともヒストリック・レーシングカーのエンスージアストとしても有名)の姿もあったが、日本からは2014年に日本人として初めて優勝を遂げた久保田克昭、そしてFIA F4やスーパー耐久で活躍した鳥羽豊の2人が出場を果たした。

久保田は1961〜1965年の1.5リッターF1と、1956〜1960年のF2で競われるセリエBに1962年型ロータス24F1で、1966〜1972年のF1で競われるセリエDにロータス72で出場。一方の鳥羽は1973〜1976年までのF1で競われるセリエEに1976年型ウィリアムズFW05で、1981〜1985年までの3.0リッター自然吸気F1で競われるセリエGに1981年型ウィリアムズFW07Cで出場した。

予選でダメージを負うも

そんな今回のモナコ・ヒストリック最大のトピックは、なんといってもセリエDで久保田が10年ぶり2度目の優勝という快挙を成し遂げたことだろう。

2014年の優勝以来、毎回優勝候補に挙げられながらも不運なクラッシュ、トラブルが続き結果を残すことができなかった久保田は「とにかく完走。できれば表彰台」を目標に参戦。金曜のプラクティスではかなりマージンを取りながらも、常勝マイケル・ライオンズのサーティースTS9に次ぐ2位につけた。

そして土曜に行われた予選でも、早々に2番手のタイムをマーク。しかしながらトップのライオンズを捉えるべくアタックをかけた周のタバコ・コーナーで右サイドがガードレールに接触。ノーズコーンが脱落し、ホイールが割れるだけでなく、リヤサブフレームが曲がるほどのダメージを負ってしまった。そのシーンを見た誰もが万事休すと思ったのだが、サポートするミラージュ・エンジニアリングは修理を決断。スペアパーツがないものは現場で溶接するなどの応急処置を施し、見事に日曜午前のスターティンググリッドに並べてみせた。

再びモナコのポディウムの頂点に

とはいえ、リヤウイングは僅かに傾き、アライメントも完璧に取れていない手負いの状態。それでもチーフメカの「大丈夫、問題ない」という言葉を信じ、久保田はマシンに乗り込んだ。

決勝でスタートのタイミングは決まったものの、その後の加速が伸びなかった久保田は、マシュー・リグレーのマーチ721Gにかわされ3番手で1コーナーをクリア。「新品タイヤで最初からプッシュできないので、3番手キープで行こうと思った」という通り、ライオンズ、リグレーから離れ、単独で周回を重ねていたのだが、マシンのコンディションに問題がないことを確認すると、ファステストラップを更新しながらリグレーを徐々に追い詰めていく。

すると、そのプレッシャーに負けたリグレーが1コーナーでオーバーラン。久保田は2番手に上がってからもペースを緩めることなく、トップを独走するライオンズを追走する。そして9周目。ハイペースが祟ったのかライオンズのマシンがラスカス・コーナーでスピン。直後まで追い上げていた久保田は見事な回避行動をみせ、ついにトップに立つことに成功した。その後、2位のリグレーを大きく引き離した久保田は1分33秒6というファステストラップも手土産にトップでフィニッシュ。再びモナコのポディウムの頂点に立ち、君が代を響かせたのである。

「先月25日に父が亡くなり、出場辞退も考えましたが、僕が好きなことを思いっきりやるのも供養になると思い、走りました。必死に直してくれたメカニックをはじめ、サポートしていただいた皆さんに感謝します」と話す久保田の目は、いつもの笑顔とは違い、大粒の涙で溢れていた。

REPORT/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
PHOTO/藤原功三(Kozo FUJIWARA)、藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)

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著者プロフィール

藤原よしお 近影

藤原よしお

クルマに関しては、ヒストリックカー、海外プレミアム・ブランド、そしてモータースポーツ(特に戦後から1…