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LAMBORGHINI Aventador
ずっと気になっていた初期型
くぅ〜先をこされた〜、なのだ。敬愛する福野礼一郎さんが、なんと初期型「アヴェンタドール」を手に入れたと知った。実は私もこのところ密かに初期型「LP700-4」をずっとカーセンサーで検索し続けていた。それこそ少し前にゲンロク本誌で初期型を改めて取材して以来、ずっと気になっていて、その思いが実は最新型レヴエルトに乗ってみて一気に募ったのだった。
なぜか。レヴエルトとアヴェンタドールを同じ場所で同じ日に比較試乗(『GENROQ』2024年10月号)してみたところ、アヴェンタドールが“カウンタック”に思えてしまうほど、レヴエルトへの進化幅が凄まじかったからだ。
フツウなら「だったらレヴエルトを買う」になる。確かにパフォーマンスだけを考えれば、もう全くもってレヴエルトは異次元だ。けれどもそれはもう、ドライバーの能力や気持ちなどお構いなしの高性能領域に達している。そりゃそうだ、そうでなければロードカーで1000馬力などと大メーカー資本のブランドが謳えるはずもない。それはそれでスーパースポーツの進化というものだろう。事実、フェラーリもマクラーレンもその領域をひたすら突き進んでいる。
常に初期型が面白いランボルギーニ
ところで私はクラシックカーも嗜む。スポーツカーの楽しみはラップタイムやゼロヨンではない。身体に何かを、音だったり振動だったり、あるいは油の匂いだったり、を感じつつ、共に走らせる感覚を好む。そして以前にはカウンタックに乗っていたし、アヴェンタドールも嗜んだ。
何が言いたいか。アヴェンタドールでカウンタックが終わったとレヴエルトに乗って確信し、だからこそ今一度、SVJではなく初期型に自分自身を回帰させたいと思ったのだ。
ランボルギーニは常に初期型が面白い。人気ではなく、ピュアな情熱と理想の発露が未成熟なままそこにあるからだ。完全ではないところがいい。それにスタイリングに限って言えばいつだって初期型が完成型である。そこから妙にいじってもケレン味が増えるだけで、まぁ、不純である。そんな内外のアンバランスさがまたいっそう面白い。
カーセンサーでいつものようにソートする。アヴェンタドールは大体いつも100台くらい流通している(すごい!)。レヴエルトの納車が進めばさらに増えるかもしれないが、それは大抵、高年式になるだろう。初期型が途端に増えるようなことはないように思う。初期型の中古車相場は3000万〜5000万円で、距離の少ない個体を狙うとなるとほとんど10年前の新車価格に等しい。
その場で“買う”と言ってしまったあの時
しかもメンテナンスコストはそれなりに覚悟しなければならない。何せ新車の時だって最初の半年はサービス工場とガレージを行ったり来たりしていた。アヴェンタドールは2011年に登場して、それは正真正銘のフルモデルチェンジ、何から何まで新しかったのだから、不具合もあって当然だったのかもしれない。
問題は今買って、今後どうなるか、だろう。私は楽観的に予測している。つまり、多くのランボユーザーが同じように考えるのでは、と思っている。レヴエルトとアヴェンタドールを同時にガレージに収めておくこともアリだな、と……。つまり、そうは崩れない。
そんなことを考えつつ、改めて初期型を見れば、やっぱりフィリッポ・ペリーニのシンプルなデザインが俄然美しく見えてくる。アヴェンタドールのスタイルもまた奇跡なのだ。ミウラとカウンタックの融合である。21世紀最高のスーパーカーデザインであることは間違いない。ミティア・ボルケルトのレヴエルトも決して悪くない。けれども、プロトタイプを見たとき、心から欲しいとは思えなかった。歳をとったのかもしれない。ランボのフラッグシップは10年に一度、フルモデルチェンジするのだから。
そして思い出す。初めてアヴェンタドールのプロトタイプを見て、価格の予定も聞かずその場で“買う”と言ってしまったあの時の気持ちを……。今一度、飼ってみたいものである。