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1962 Porsche 804 F1
スリムな鋼管スペースフレームに、ブッツィのボディ
1961年からスタートした1.5リッター規定に合わせポルシェ社内で独自に開発された、当時としても異色の空冷水平対向8気筒エンジンを搭載するF1マシン。
ポルシェでは1957年からセンターコクピットに改造した718 RSKで、1.5リッターで争われていたF2選手権に挑戦。数度の優勝を飾るなど結果を残していたが、1961年からF1が1.5リッターとなりF2選手権自体が消滅したことで、活動の場を失うこととなった。
フェラーリやクーパーに対抗するため、すべてを刷新
ところが新しいF1とそれまでのF2のレギュレーションに大きな差がなかったため、彼らは718 F2の空冷水平対向4気筒DOHCにクーゲルフィッシャー製の機械式インジェクションを装着した787 F1を製作し、F1GPに打って出る。
しかし、肝心のフューエルインジェクションにトラブルが多発し、わずか2戦でお蔵入り。急遽キャブレター仕様の718 F2を持ち出すものの、V6ディーノ・ユニットをもつフェラーリや、シーズン後半にコヴェントリー・クライマックスV8 FWMVユニットを投入したクーパーなどのライバルの敵とはなりえなかった。
空冷水平対向8気筒エンジンを開発
そこでポルシェが開発したのが、ボア66mm、ストローク54.6mmをもつ空冷水平対向8気筒DOHC“753ユニット”だ。ツインプラグの半球形燃焼室をもつシャフトドライブの4カムヘッドなど、従来のカレラ・ユニットに共通するメカニズムをもつ一方で、アルミ合金のシリンダーに硬質クロムメッキを施したクロマル・シリンダー、マグネシウム合金製のクランクケース、チタン合金製のコンロッドなど、ポルシェの持てる最新技術を惜しみなく投入。その最高出力は185ps、最大トルクは153Nmといわれた。
シャシーも718から脱却し、スリムな鋼管スペースフレームへと変更。一方のサスペンションは前後ダブルウィッシュボーン、ブレーキはポルシェ自製の4輪ディスクとオーソドックスなものとなった。またアルミ製のボディは“ブッツィ”ことフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェによるもので、合計で4台が製作されている。
悲願の初優勝を果たし、F1史上初の記録を残す
1962年シーズンの開幕戦オランダGPから、ダン・ガーニー、ジョー・ボニエの2カー体制で参戦したポルシェ804だが、メカニカルトラブルが多発。第2戦モナコではボニエが6位入賞を果たしたものの、マシンの熟成を図るため続く第3戦ベルギーを欠場することとなった。
そして復帰戦となったルーアンでの第4戦フランスGP。予選6位からスタートしたガーニーの804は、トラブルやアクシデントで脱落する上位陣を尻目に快走し、自身にとっても、そしてポルシェにとっても悲願の初優勝を果たすことになる。それはまた、空冷エンジンを搭載したF1マシンの公式戦唯一の優勝記録にもなった。
未来永劫語り継がれる名車
その後7月にドイツ・ソリチュードで行われたノンタイトル戦でガーニーとボニエが1-2フィニッシュ、8月にニュルブルクリンクで行われたドイツGPでガーニーがポールポジション&3位入賞という活躍をしたものの、コンパクトなコヴェントリー・クライマックスV8 FWMVを積むモノコック・シャシーのロータス 25の前では、それ以上の活躍は見込めなかった。
結局、最終戦南アフリカGPに出場することなくポルシェ・ワークスはF1活動を休止。ドライバーズランキングでガーニーが5位、ボニエが14位、コンストラクターズでフェラーリの前となる5位でシーズンを終了する。その後、1980年代にマクラーレンのエンジンサプライヤーになるまでポルシェがF1に復帰することはなかった。
【SPECIFICATIONS】
ポルシェ 804 F1
年式:1962年
エンジン形式:空冷水平対向8気筒DOHC
排気量:1494cc
最高出力:185hp
最高速度:270km/h
TEXT/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
COOPERATION/ポルシェ ジャパン(Porsche Japan KK)
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