【ランボルギーニ ヒストリー】V8を搭載した“スモールランボ”の元祖

野望を持ったスモールランボ「ウラッコ」が持つ驚異のパッケージング(1970-1974)【ランボルギーニ ヒストリー】

【ランボルギーニ ヒストリー】V8を搭載した“スモールランボ”の元祖
新興メーカーながら次々に魅力的なスポーツモデルをリリースしてきたランボルギーニ。彼らが次なる目標に設定したのはポルシェ 911のマーケットだった。
フェラーリをライバル視してV12エンジンを搭載したハイパフォーマンスモデルをリリースしてきたランボルギーニだが、フラットシックスをリヤに積んで市場を席巻していたポルシェ 911が次のターゲットになる。コンパクトなボディにV8をミッドシップする“スモールランボ”の誕生だ。

Lamborghini Urraco

フェルッチオの次なるターゲットはポルシェ

2+2レイアウトをもつミッドシップモデル「ウラッコ」。2450mmという短いホイールベース内に新たに開発した極めてコンパクトな横置きV8エンジンを搭載した。

1966年のジュネーブ・ショーでミウラを、そして1969年の同ショーではエスパーダ、翌1970年にはハラマをやはりジュネーブで発表するなど、創立からまだ10年も経たないにもかかわらず、ランボルギーニは驚くほどの勢いでニューモデルを市場へと投じていった。そもそもフェルッチオが創業時に考えていたランボルギーニ像は、フェラーリのライバルとなる高性能車で、かつ高級なモデルを生産する自動車メーカーであったから、いずれも12気筒エンジンを搭載する、ミッドシップのミウラ、4シーターGTのエスパーダ、2+2GTのハラマというラインナップで、ほぼその目的は達したともいえた。実際の生産台数ではまだフェラーリには大きく及ばなかったものの、特にミウラはそのメカニズムの先進性や美しさで、確実にフェラーリの牙城を崩していた。

だがフェルッチオは、これだけで満足するような実業家ではなかった。次にランボルギーニのライバルとして照準が向けられたのは、ドイツのポルシェ。当時、年間1万5000台レベルの生産が行われてきた911と同様のコンセプトをもつ、すなわちコンパクトなエンジンをミッドに搭載し、同時に実用的な2+2のキャビンを実現したスポーツモデルを商品化することで、ランボルギーニを一気に大規模な自動車メーカーへと成長させようと考えたのだ。その指示を直接受けたのは、チーフ・エンジニアのパオロ・スタンツァーニ。この時、彼はハラマの開発が最終段階にあり、その日常は多忙を極めていたことは想像に難くない。 

ミッドに搭載されたのは横置きV8エンジン

当時としても斬新なメーターパネル。左右に速度計と回転計を配置し、その他の計器類は中央に位置させている。

「ウラッコ」の開発で最も重要な課題となったのは、パワーユニットをどれだけコンパクトな設計にできるのかであった。スタンツァーニは、まずV型8気筒エンジンの搭載を決めると、バランスや低振動性に優れる90度のバンク角を設定。エンジン単体では若干サイズは大きくなってしまうものの、逆にバンク間にさまざまな補機類を収めやすいというメリットがあるからだ。エンジンブロックはアルミニウム製の一体鋳造で、対してヘッドは二分割構造。上部にはカムシャフトとタペットが、下部にはバルブとポートが収められる。シングルカムを採用したのは、主にコストの問題だった。ちなみにこのカムシャフトをベルト駆動したのも先進的だ。圧縮比は10.5、4基のウェーバー製キャブレターを組み合わせ、2.5リッターの排気量から最高出力で220PSを発揮することに成功した。これは当時のポルシェ 911と比較しても十分に強力な数字だった。

さらに興味深いのは、このパワーユニットの搭載方法にあった。V型8気筒エンジンは、それと直列に組み合わされる5速MTともに、エンジンルーム内に横向きにミッドシップされ、その直後にデフを配置。前後長で1020mm、幅で660mm、高さで700mmという、きわめてコンパクトなパワーユニットが完成されている。スタンツァーニがここまでストイックにサイズの小型化を追求したのは、もちろんホイールベースを可能なかぎり短縮するとともに、2+2のシートレイアウトを実現することが理由だった。結果としてスタンツァーニがウラッコに与えたホイールベースは、ミウラよりもさらに短い2450mm。実際にウラッコのキャビンを見ると、長時間の移動が可能かどうかは別として、確実に使用に耐える後席が備わっていることに改めて驚かされる。スタンツァーニはフェルッチオのリクエストに見事なまでに応えてみせたのだ。

生産効率をも考慮したフルモノコック構造

ガンディーニによるデザインは、シンプルながらも存在感を主張。リヤ周りの処理などは、その象徴とも言える。

ボディやインテリアのデザインは、やはりベルトーネに委ねられ、ここでもマルッチェロ・ガンディーニは後世に残る見事な仕事を残した。同時にスタンツァーニは、エスパーダやハラマがセミモノコックであったのに対し、このウラッコではフルモノコックへと、そのボディ構造をさらに進化させ、生産技術においてもより効率的に大量生産を可能にするメリットを実現した。サスペンションはフロントがIアームにテンションロッド、リヤが逆Aアームにテンションロッドという構成。スタビライザーは前後ともに装備される。ブレーキはハラマ GTSと同様に、ベンチレーテッド方式のディスクとなる。

インテリアのデザインも実に斬新だ。とりわけ印象的なのはインパネの中に整然と並ぶ計器類で、左右の端に大型のエンジン回転計とスピードメーターを配置。これまで他のモデルでは見られなかった発想に、当時は先進さを感じさせた。

スモールランボの系譜

発表からリリースまでに3年を要したウラッコ。ウラカンに続く“スモールランボ”の元祖的なモデルだった。

そして、最高速度240km/hをアピールした最初のウラッコ、すなわち「P250 ウラッコ」は1970年のトリノ・ショーで発表される。しかし、ウラッコには精密な生産技術が要求され、それに対応するレベルを生産の現場がマスターするまでに時間を要した。さらにトラクター事業が苦境に陥り、結局フェルッチオはアウトモビリ・ランボルギーニ社の株式の51%をスイスの実業家に売渡、経営の一線から身を引いた。社内的にも混乱が続いたことなどもその大きな理由だった。

実際にP250 ウラッコの生産がスタートしたのは1973年になってからで、その後は1974年に排気量を3.0リッターに拡大し250PSの最高出力を得たP300、イタリアで税制上の優遇措置が得られる2.0リッターモデルのP200が182PSで追加されたりしたものの(P300とP200の誕生とともに、P250の生産は中止された)、セールスを大きく加速させることは残念ながらできなかった。実際に生産されたウラッコは、P250が520台、P300は205台、P200が66台とされる。そして、このV型8気筒エンジンを搭載した、いわゆる“スモールランボ”は、デタッチャブル・トップを備えるシルエットへと市場を譲ることになる。

ウラカンまで続くスモールランボの系譜、その始まりにあるウラッコは、まさにスタンツァーニのストイックな性格が生み出した、他に類を見ない作品だったともいえる。

 SPECIFICATIONS

ランボルギーニ P250 ウラッコ

発表:1970年
エンジン:90度V型8気筒OHC
総排気量:2462cc
圧縮比:10.5
最高出力:162kW(220PS)/7850rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:RWD
車両重量:1100kg
最高速度:240km/h

ランボルギーニ P300 ウラッコ

発表:1974年
エンジン:90度V型8気筒DOHC
総排気量:2995.8cc
圧縮比:10.0
最高出力:184kW(250PS)/7000rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:RWD
車両重量:1280kg
最高速度:260km/h

ランボルギーニ P200 ウラッコ

発表:1974年
エンジン:90度V型8気筒OHC
総排気量:1973cc
圧縮比:8.6
最高出力:134kW(182PS)/7500rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:RWD
車両重量:1250kg
最高速度:220km/h

解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)

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著者プロフィール

山崎元裕 近影

山崎元裕

中学生の時にスーパーカーブームの洗礼を受け、青山学院大学在学中から独自の取材活動を開始。その後、フ…